タイにおける母語・継承語としての日本語教育研究会

Japanese Mother Tongue and Heritage Language Education and Research Association of Thailand (JMHERAT)

2018年8月ワークショップ報告

みつめよう子どもの姿、考えよう子どもの現実

 ―マップを描き、マップで語る
  わたしたちの言語・文化体験
  親と子どもと教師たち―

2018年8月26日に終了したワークショップの内容をこれから2回に分けて報告します。
当研究会では舘岡洋子氏をお招きし、2011年から複言語・複文化ワークショップを開催してきました。今回はその第5弾です。複数の言語と文化で育った子ども(※)と、親と教師が一緒に活動するワークショップになりました。第5弾では、これまでの人生の言語体験を整理する「言語マップ」に加え、現在の関係性の視点で言語・文化体験を見直す「関係性マップ」の2つのワークを行いました。

複言語・複文化環境で育った人をすべて「子ども」としました。
内訳は中学生2名・高校生1名・大学生8名・成人1名。両親は日本人ではないが、幼少期日本で育った、という大学生も3名いました。

■会場の様子

■感想

  • 2つのワークを比べてみて、改めていまのままでの自分の生き方や他の人の生き方についてもちゃんと見るという体験ができました。自分んと似たような体験の人たちとも知り合い、知るという新たな体験ができました。自分の経験をいうおは簡単なことじゃないですが、それでもこうして自分の経験を言える場を作ってもらえた。(子ども)
  • 娘のマップを作成しました。改めて様々な言語の中で人生を歩んできていること実感しました。(保護者)
  • 今回初めて関係性マップというものを作りました。自分を知るための新しいアプローチがとても良かったです。(教師)
  • 思っていたより自分と関係のある人が多かった。こうやって書いてみると、改めてその人達の重要さに気づける。(子ども)
  • Really interesting!! I have met so many people that going thru/went thru so many struggles/hardship. This workshop helps those people to understand who they are and understand their life and make those people realized that it is okay to be this way and nothing to be ashared of.(子ども)
  • みなさんのけいけんをしることができて、自分のけいけんをしってもらえることができたので、とてもうれしいです。(子ども)
  • 自分の今までの言語環境をまとめて整理できた。大変だったときと楽しかったときは同じだったことがわかり、娘が複言語で苦労していることが、同時に楽しい思い出になるだろうと思えるようになりました。(保護者)

第5回 複言語・複文化​ワークショップ開催のお知らせ

みつめよう子どもの姿、考えよう子どもの現実

 ―マップを描き、マップで語る
  わたしたちの言語・文化体験
  親と子どもと教師たち―

2018年8月26日(日)にワークショップを開催いたします。

2011年に始まった複言語・複文化ワークショップの第5弾です。
今回は言語マップと関係性マップの二つのワークを行います。
言語マップでこれまでの人生の言語体験を整理し、次に関係性マップを描いて、関係性の視点で言語・文化体験を見直します。
これらのマップを描き、語ることで、自分の複数性を実感し、そこから複数で生きる人間が持っている能力、そして複数性をリソースとして目指す能力について考えます。
昨年、初めて子どもたちも参加し、 複数の言語と文化で生きる子どもたちの体験と気持ちを聞くことができました。
今年も、複数の言語と文化で育った学生と、親と教師が一緒に活動するワークショップを企画しています。
それぞれ経験の違う人からきっと多くのことが学ばれるはずです。
関心のある方は、どなたでも奮ってご参加ください。

参加申し込みはこちらの申し込みフォームからお願いいたします。
みなさまのご参加、お待ちしております。

日時 日時:8月26日(日)12:00〜16:30(11:30 受付開始)
会場 泰日経済技術振興協会日本語学校
通称 ソーソートー(スクンビット、ソイ29)
講師 舘岡洋子氏(早稲田大学大学院)
参加費 200バーツ(中学生以上のお子さん:無料)
定員 35名(8月17日(金)締切)
主催 タイにおける母語・継承語としての日本語教育研究会(JMHERAT)
協賛 トレイルインターナショナル校
協力 タイ国日本語教育研究会
問合せ JMHERAT[@]gmail.com ※送信には[ ]を外して下さい。


第14回セミナー 全体質疑応答とまとめの報告

みつめよう子どもの姿、考えよう子どもの現実

 子どもを育てる、ことばを育てる
 ―複数言語環境で育つ子どもが自信を持って生きるための言語実践―
 

2018年3月18日に終了した第14回セミナーの4回目の報告をします。
今回は、最後のまとめとして行った全体質疑応答を掲載します。

全体質疑応答報告の前に
第2部の質疑応答場面で「子どもがどうすれば自信が持てるか」という質問があり、その後の休憩中も発表者の間で話し合われました。バイリンガル教室からは「親が子どものことばを否定しない態度が、子どもの自信、肯定感につながると感じた」、また、NISTの大倉さんからは「個人が自分を表現し発信することが重要だが、クラスメートや教師という周囲がどう評価するかが大事。個人の表現を受け入れ、評価する環境として学校の環境を創っていくことが大切」というコメントがありました。
では第3部、全体質疑応答の報告をします。

《全体質疑応答》

ー質問1:複言語・文化をバックグラウンドに持つ人(特に学生・大学生)は、どういった場面でアイデンティティを求められるのか?

誰もがいろんなアイデンティティを持っている

  • 石井:アイデンティティというのは、一人一個持っているというものでは全然ない。一人の人間はいろんなアイデンティティを持っていて、ある場面で、自分とここはとっても似てるな、共感できるなという側面を持つ。その共感が持てたところで、私はこういうアイデンティティを持っているんだなというのを認識するもので、モノリンガルだろうとなんだろうと、アイデンティティが一個しかないなんてことは絶対にないです。例えば私も、時々職場の人たちと色々話ししながらすごくずれている自分を感じて、「みんながそれが日本人だよね」と言うと、「じゃあ私は日本人じゃないんだ」と思ったりすることもあれば、男性とか女性とかその感覚の差で何か違いを感じて、「自分はこういう人間だな」と思ったりします。また、出身の地域で共有した経験があるということで共感できたり、そうじゃない人もいるでしょうし、様々な側面でアイデンティティというものは現れ、意識されるものです。だから、モノリンガルか、たくさんのバックグラウンドがあるかということは関係なく、アイデンティティに関してはどの人も同じような状況だと考えています。
  • 深澤:子どもたちの例で言うと、周りから「日本人なのに」というように、民族アイデンティティとことばのことで言われ続けるから、そこにこだわってしまう。こだわらされてしまう。でも本当は、「サッカーが好きな私」が一番アイデンティティの束の中で強いかもしれないし、いろんな要素があります。

外から付与されるアイデンティティをどうするか

  • 池上:外から付与されるアイデンティティというのがあります。本当はアイデンティティを自分から主体的に選び取ることができれば、そこに迷いとか痛みがあったとしても、「何人だ」「何々語がどのぐらいできる、なんとかさん」とかではなく、そうであったとしても、自分が主体的に選び取ったものであれば、その子はそこに足を置けると思います。そうではない場合、つまり自分は日本人としてのアイデンティティにあまり重きを置いていないのに、他人から「だって両親日本人でしょ」と言われた時に、本人は「違うんじゃないか。」と思ったりする。外から付与されるものを、どうやって再構成したり、選び直したりして、自分のアイデンティティを選べるかが多分目安なんです。そこに、ことばというのが関わってきますので、複言語環境であれば、関わる要因が多くなって、大変な思いをすることはあるかもしれません。しかし、それは石井さんが言ったように、私たちモノリンガルであっても、年を経たり、私も足が悪くなった時になかなか受け入れられない時期があって、今現在わたし自身も再構築中です。こういうことはあるんです。「だから大丈夫」というのは無責任な言い方かもしれませんが、そうやって「アイデンティティの再構成や選び直しは、みんながやっていることなんだ」と、見守ることや手伝うことが、大事なんじゃないかなと思います。

ー質問2:成長過程にある子どもと大人とで新しい言語との接触で起こる反応は違わないか?

大人も子どもも常に変化の過程にある

  • 池上:成長過程にある子どもと、大人の言語との接触で起こる反応については、もちろん成長過程にありますから、違います。でも、今日の話の中でもたくさんあったように、どうやって発達過程にあることをこちらが認めて一緒に進んで行くかということです。大人も一応発達をしている途中です。生涯学習ですから、迷うことやアイデンティティの再構築が起きます。ですから、言語接触の面での言語習得という意味では違いはありますけれども、人としての成長というところでは、大人も子どもも共通点も多いんじゃないかと思います。

ー質問3:思春期の子が言語マップや言語ポートレートで自分をさらけ出すとことに抵抗はないか?

  • 池上:思春期の子どもたちのナイーブさというのは、何語をどのように使っていても同じですよね。その時に言語マップや言語ポートレートで自分をさらけ出すことに抵抗がないわけではないと思うんですが、意外と、活動だから言えることもあったり、親には出さないけれども仲間には出すとか、仲間にも親にも出さないけれども、斜めの関係の中では出すこともあります。

大切な斜めの関係

  • 池上:関係性は、縦:親や先生、横:友達、そこだけでは完結しなくて「斜め」というのも非常に大事で、この「斜め」というのは、親ではない大人であったり、いつも同じコミュニティーにいる友達ではない友達、であったりします。そこの中で出せることっていうのもあると思いますし、さらに、それは親と話している言葉ではない言葉、友だちと話している言葉ではない言葉が出てくる。そういう意味では今も言ったように、縦横+斜めの関係性を準備していく、作っていくことが大事だと思います。バイリンガル教室は、この斜めの関係性を上手に作っているんだなと思いました。言語マップや言語ポートレートに関しては、認識の問題ですから、事実を追求するものではないので、子どもたちが自分の言語にどういう認識を持っているのかということを表している。だからもっと言うと、抵抗感を持つことはあっても、自分の認識を出さないということもある。だからこちらは、マップを子どもたちが出してきたものとして、受け止めて、やり取りをするということが、非常に大事じゃないかと思います。今申し上げたように、複言語・複文化の環境にあるからこそ、子どもたちも非常にこの関係と格闘しながら生きていて、大変なことはたくさんあるのだろうと思います。

ー質問4:複言語・複文化の環境で、論理的な思考の能力を伸ばすのは難しいのでは?

  • 池上:そのように考えると、一つの言語に接する時間をもっともっと増やすべきという悩みが出てくるかと思うんですけれども、もちろんそういうことで一つの言語での思考力を伸ばすということも一つの方法ですけれども、「複言語・複文化の子どもだから目指すべきこと」があると思います。

ー質問5: ネイティブって何ですか?

複言語・複文化で育つ子どもに何を目指させるのか

  • 池上:今日の前半からのセッションで、私たちは「100%」を必ず子どもに目指させるのか、私たちも目指すのか、ということを考えさせられました。「ネイティブスピーカー並み」と言った時のネイティブって、誰がネイティブなんでしょうか。モノリンガルでも、しゃべるのが上手な人もいれば、言っていることがわけのわからない人もいますよね。じゃあ、誰をネイティブの規範として置いて、それを目指すことが正しいと言えるのか。そこを考えなければいけないのではないでしょうか。

ことばを育て、思考力を育てるために必要なこと

  • 池上:子どもたちにどんなことばかけをすると子どもたちの語彙力が伸びるか、という研究があります。「何々しなさい」「何々しちゃダメ」「こうだよね」という、断定的で、縦の関係性だけの声かけをしてやるグループよりも、「どうしてかな?」「どう思う?」「一緒に考えてみようか」「なんでなんだろう」という、ことばかけをされるグループの子どものほうが、語彙のテストをすると伸びてくるということがあるんです。後者の声掛けでは、子どもたちと大人が一緒に考えていって、最後には「じゃあどう思うの」と、主体性を子どもに渡してしまうんです。つまり思考力が伸びるということは、そのことばかけに対応して、子どもがものを考えることになります。ですので、複言語の環境の場合は、子どもが今どの言語に直面しているのかということを、親が色々考えながら状況を見定めて、「どの言語で」ではなく、「どういう言葉かけをしていくか」と考えて、思考力の伸びの芽を作ってあげるかを考える。そうすれば、複言語でもそんなには怖くはないんじゃないかなと思うんです。

ことばが育つのは共同作業が成り立った時

  • 石井:色々なご質問を聞いていて、ことばが育つ、ことばを学ぶ、ということを個人作業という風に思ってらっしゃる方が多いのかなと、ちょっと心配になったんですけれど、ことばが伸びるというのは間違いなく共同作業が成り立った時なんですね。誰かと関わって、そこで自分が何かを感じたとか考えたっていう時に、それをいろんな手段で表出します。そのことが相手を確認したい、相手も共同作業だと、自分の考えていることと同じかな、とか、違うのかな、ということを確認したくなる。だから、そこでことばが必要になるわけですよね。今日紹介のあった「ねこのピート」*1とか、高校の授業もやっぱり具体的なものを作っていく作業があるから、自分たちの目標が同じかとか、相手が感じていることとか思っていることは、それでいいかということを確認するという、まさに言語活動がそこで発生するわけですよね。

ー質問6:テレビはどのように見せるのが効果的か?

  • 池上:そうすると、テレビはどのように見せるのが効果的かという質問にはどう答えますか。まあ、見せっぱなしではなくてということになると思いますが。
  • 石井:さっきも、「ねこのピート」を読んでおしまいじゃなくて、それをどう自分が感じたか、それで何を連想したかを、絵でもなんでも描いてきたら、「何でこの絵かいたの?」と一言聞くだけで、それは自分がかいたものだから相手に伝えたいと、一生懸命何か伝えようとしますよね。で、うまく伝わってこなければ、「こういうこと?」「こういうこと?」と、そこで助けるというのが自然にできますよね。そのやり取りの中で自分の感じていることに適切なことばが降ってきたら、「あーそうそう、それそれ。」という風に自分の中で取り込むことができる。それはもうただの「言葉」ではなく、自分のこの気持ちに合致した、「自分の思いそのものを表すもの」と、ストンと落ちる。そういう経験を子どもとどれだけやれるかということが、映像や、動作、ダンス、なんでもいいんですけれど、そういう別の媒介もふんだんに使って、特に年齢の低いうちはやってあげるっていうことが、まさにことばの育て方になると思います。
  • 池上:テレビとかビデオとかを見せてはいけないということではなくて、見せっぱなしだとただの刺激にしかならない。その刺激に、私たち周りの者がどうやってやり取りとして関わっていけるかということが大事だと思います。

ー質問7:ダブルの子どもを育てる自信がなくなってしまいましたが…。

ダブルだから子育てが大変ということはない

  • 石井:ダブルだから子育てが大変ということは、全然ないんじゃないかと思います。私も国際結婚で、ダブルの子どもを育ててきましたが、韓国の従妹たちと仲良くじゃれて遊んでいてもまるで言語化のない状況で育ってきた息子が、高校を目前にした時に自分が家族の中で韓国語がわからないということに気がついたようで、突然、「僕は韓国語が勉強できる高校に行きたい」と言い出して、都内にある韓国語コースがある学校に入りました。子どもというか、人というのは成長していくので、どこでどういうきっかけで切り替わるかわかりません。やっぱり、韓国語世界が、韓国語社会が、自分の近くにあったから他の言語じゃなくて韓国語をやりたいと言ってきたわけですね。学校ですから、文字の読み書きからきちっとやってくれるので、私はあっという間に抜かれました。特にずっと聞いているので発音がすごくいい。私が知らない韓国語が出てきたとき、私が一生懸命夫に、「なんとかってどういう意味?」って聞いても、「え?え?」と何回も聞き返されて、発音がわからないと言われるんですが、息子が言うと、すぐに聞き取ってもらえる。例えばそういう風に、(能力の)一発逆転なんていくらでもあります。娘は娘で、そんなに高い能力は持ってなかったんですが、仕事でできた方がいいなって思ったらしく、25くらいの時に韓国語を勉強をし直そうかなと言い出しました。

子どもたちは身につけてきたこと、得た物を考えながら次のステップの可能性を見ていく

  • 石井:つまり失敗とか成功ってどの段階で決めるのか、人の人生ここまででおしまい、って言っちゃうのは、親でも絶対ありえないと思うんですね。その人は自分の今まで経験したこと、身につけてきたこと、環境として得た物っていうのを考えながら、次のステップの可能性を見ていく。これは、学生たちを見ても、自分の子どもを見ても、ここでおしまいということも、成功・失敗なんてことも全然ないと、本当に実感しています。子どもを見ている時に周りの子と比べてしまって、同じところで線引きすると、優劣が出てきますけれど、その後どういう展開になるかは千差万別で、親であっても、この子の人生失敗なんてことは絶対言えないです。そこは自信を持っていいんじゃないか。親が楽しい。この子と一緒にいて楽しいと思う。そういう家庭であれば、もう子どもは「いい」ですよねと思います。

苦労すること、試練を受けることと、不幸とは違う

  • 鈴木:私の今日の話を聞かれて少し暗い気持ちになったということであれば、すごく責任を感じています。確かに私も心配続きでしたし、息子も苦労し、高校の時などは何度も涙を流しました。でも決して彼は、不幸な人生を送ってきたわけではないんですね。苦労すること、試練を受けることと、不幸とは違うと思います。彼は常に幸せな人生を送ってきたと私は感じますし、それは私と夫が夫婦仲がとても良くて、それで常に息子を一緒にサポートしてきた。自分には帰るところがあるんだ、何をやってもどんな失敗をしても受け入れてくれる親がいるんだ、っていう安心感があったから、彼は試練も耐えられたと思うんですね。

一番大切な人から褒めてもらうことが自信に繋がる

  • 鈴木:今彼はとても自信を持って生きています。もちろん100%じゃないです、3つの言語が。それでも3つの言語を自由に使って、人生を謳歌してるんですね。自信というのはやっぱり一番身近な、一番愛している人から認めてもらうことで、自信ってつくと思うんです。ですから、うちの息子は出来が悪かったですけれども、私は常に、「君は選ばれた人なんだよ」「君は世界で一番の子なんだよ」「ママは大好きだよ」と言い続けたんですね。もちろん叱ることもしました。でもちょっとでもできたら褒めたんです。「すごいね」と。それを積み重ねて、彼は自信を持てるようになったと思うんです。ですから一番大切な人から褒めてもらうということが自信に繋がるんだと思います。
  • 深澤:中には家庭に恵まれない子がいます。そういう人にとっては、先生が一番身近な嬉しい存在になるのかと思います。そこに、教育の場の可能性もあろうかと思います。

縦・横・斜めの関係に支えられる自己肯定感

  • 池上:自信というところですよね。「自己肯定感」というのがキーワードじゃないかと少し前にお話しした(当ブログ3回目の報告、「3つ目の意義−子どもの自信につながる実践:プロセスに込められている自己肯定感」)んですが、そうやって自己肯定感が作られていくということだと思うんですね。じゃあ私がどうかと言うと、ダブルの子どもを持っているわけでもなく、子どももいないんですけれども、私は2年半ほど前の手術で後遺症が残っていて足が不自由なんですね。あるとき言語化できたのが、「私は不便だけど、不幸じゃないな」って思ったんです。そういうふうに言語化したときに、なんで不幸じゃないんだろうと思って。やっぱりめっちゃ不便なんです。痛いし、動けないし。タイに来た時は深澤さん(本研究会代表)と一緒に、いろんなところに行ったりしてたんですけど、今はできない。だけど、それは不便ですけれども、不幸ではないというのは、誰かが助けてくれたり、誰かが一緒にこれをやらないかと言ってくれたり、今回ここに呼んでくださったり、お話を皆さんとしたりということができるので。つまり、「誰か」がいないと、不幸じゃないと思えなかったと思います。そういう誰かになる、これは縦の関係、斜めの関係、横の関係どこの関係でもいいから、そういう誰かになることによって、子どもは自信を持って自己肯定感を持てるんだと思います。

私たちも自己肯定感を持って

  • 池上:だから親御さんが自己肯定感を持ってなかったら、どうなるんだろうと思います。もちろん「持てる」ということは、私がスローガンのように言うことではないですけれども、今現在悩んでいる事を、どうやったらもう少し、不便でも、不幸でもない、「私はこれでいける大丈夫」「これがいいんだ」と思えるようになれるのかというところにキーがあると思います。もちろん子どもに自己肯定感を持たせることも大切ですけれども、私たちも周りの者として、どうやったら自己肯定感を持てるのか。子どもには自己肯定感を持って接していこう、というふうに考えて、そうやって行きませんか。それが多分、今日のテーマである「自信を持って」ということじゃないかなと思います。

昨年から始まった実践セミナーは96名の参加者を迎え、無事終了いたしました。当ブログでも終了報告を始め、第1部、第2部、そして、今回の全体質疑応答と報告しました。第1部は複言語・複文化活動を通じた言語能力観の捉え直し、第2部は、体験とことばを重視した言語活動実践報告、そして全体質疑応答では、参加者の質問を軸に、講師、発表者の方々からコメントいただき、複言語・複文化状況を生きていること、言語能力観の捉え直し、そして、子どもたちの自信、自己肯定感、それを支えるわたしたちの自己肯定感について、ともにより深く考える機会となったのではないかと思われます。今後も、さらに複言語・複文化の流れは大きくなることと思われますが、わたしたちはいつも、子どもたちとも大人とも、縦、横、斜めの関係で支え合っていきたいと思っています。

JMHERAT運営委員

*1:*バイリンガル教室の活動の軸にした絵本「ねこのピート」のこと

第14回セミナー「言語活動実践報告―体験とことば―」第2部 講師からのコメント

みつめよう子どもの姿、考えよう子どもの現実

 子どもを育てる、ことばを育てる
 ―複数言語環境で育つ子どもが自信を持って生きるための言語実践―

2018年3月18日に終了した第14回セミナーの3回目の報告をします。前回の報告から随分時間がたってしまいましたが、今回は、第2部の実践報告に対する講師お二人のコメントをお送りします。

2部言語活動実践報告―体験と言葉実践報告 
●インター校高等部の実践「映像から学ぶ日本語」大倉尚己(NIST International School)
●親が創る日本語教室の実践「対話を起こし、体験を繋げる幼児部の活動報告」
  ケウホワサイ美穂子・高見志津・青木有里香・番場亮・鵜野晋(バイリンガルの子どものための日本語教室)

池上先生と石井先生からのコメント

《池上先生》
先ほどいただいた質問(自信について※)はこの会のテーマでもありますし、日本語教育を私は専門にしていますが、日本語教育の大きなテーマでもあります。まず、実践報告の意義というのを考えながらお話できたらいいなと思います。
※前回報告の最後に書いた保護者からの質問。

実践を語る意義
このセクションでは2つの実践報告がありました。ここでは、実践を報告するということの意義について考えてみたいと思います。2つの実践はとても面白かったです。思わずもっとメモを取ればよかったと後悔しながら一生懸命見てしまったんですが。特徴も対象も方法も違う実践が2つ並んだと思います。私たちはその実践を見る時には、どんな状況でどんな対象にどんな内容をどんな方法で行ったのか、というのを見ていくんですが、そしてさらにその結果はどうだったのかということも考えると思います。その結果はどうだったのかというのは、例えばNISTの大倉先生の資料にはクライテリア(評価基準)も載っていました。評価をするということももちろん必要になってくると思いますが、もうひとつ大きいのは、実践そのものが実践者である私たちと、それから一緒に実践を行った子ども達、その双方にどういう影響を及ぼしたのかというのを見ていく必要があると思います。それが実践の目的や意義ということにつながっていきます。

大倉先生の実践−どう理解させるかではなく、一緒に解釈し一緒に再構築し表現につなげる実践
NISTの大倉先生の実践は私には絶対作れない凄い映像だなと思って楽しく見ました。大事なことはスキーマを子どもたちが共有しているのかということをまず確認しながら、もし、していないとしたら支援者はどうするかということを考えていく「読み」を中心にすえた実践なのかと思います。ただしやっぱり文学作品を扱うということにどういう重き、意味を持たせるかということがとても大事になっていて、それはテキストというものを解釈するということをどうやって(子どもたちが)一緒にやっていけるかということを考える、そういう実践だというふうに私は意味付けました。つまり日本語で書いた文章というものをどうやって理解させるかとか、どうやって読み解くかリコードするかという話ではないんですね。テキストというものが持っている意味世界をどうやって子ども達が解釈をして、それをどうやって再構築して表現につなげていけるかということをなさっていたと思います。

バイリンガル教室の実践―複言語・複文化理念の実践
一方でバイリンガル教室の可愛らしい実践は本当にその場にいたかったですね。映像をもっと見せてほしいと思いながら見たんですけれども。明確な教室目標がありまして、そこでは親が作る教室、そこにある資源というものを非常に十分に活かして活動のデザインを行っているということが伝わってきたと思います。今日のテーマでもありますが、複言語環境で育つ子ども達が、(バイリンガル教室という名前がついていますけれども、)複言語・複文化の子どもたちがどうやって育っていくのかということを複言語・複文化の理念によって行なっている、そういう実践だと思います。NISTの実践はテキストをどう読み解くかではなく、読んでどう解釈するかというコアな内容だったと思いますが、バイリンガル教室の方では、小さな子ども達ですから絵本を媒材に持ってきて、(NISTで中心になった)読むという活動で言えば、読み聞かせという活動を持ってくるという構成がされていました。
さらにそこでは工作、ダンスや歌という子ども達の体を使った実体験を積ませていって、絵本の意味世界に、そこに何が展開されているかというのを伝えていく。説明にもありましたけれども、一言一句よりも、そこで何が言われているのか、世界として展開されているのかをやり取りを重視しながら意味として子ども達がとらえられるようにやっているということがありました。
そういうふうに考えていくと、対象も違いますし出てきているプロダクツというものも全く違う実践ですが、随分共通して言える意義というのがあるのではないかという風に思いました。

2つの実践に共通する3つの意義
・1つ目の意義―ことばと体験をつなぐ活動
私なりに3つ考えてみたんですけれども、1つはことばと体験をつなぐ活動をやっています。2つの実践は。言葉を体験をベースに考えたり発展させたりすること、それを表現として表す、そういう活動になっているということです。その中で言葉が深まっていくということもありますし、私は日本語教師なので言葉の教師ですからつい、発信、表現と言うと、ターゲットになっている言葉、日本語であれば日本語で、出さなければいけないとか日本語で書かなければいけないというふうに考えてしまいがちですが、表現というのはどんなものであっても構わない。その表現を作っていくプロセスに言葉のやり取りが深く深く埋め込まれているはずだと実践を見て思いました。2つの実践はそういう実践になっている。それが1つ目の意義です。

・2つ目の意義−子ども達が持つ資源を総動員させた表現活動
2つ目の意義ですが、そういうところに子ども達生徒たちを導くために、子ども学習者の持っているリソース資源、日本語だけではなくて例えばITリテラシーであったり音楽のセンスであったり、ああいった意味解釈ができるだけの、そこまでに色々なものを見てきたり感じてきたり体験したりしてきた経験というものも子供達の資源。そういったものを総動員させて表現させているというところです。子ども達幼児の場合はそれが工作の時の手作業であったり歌やダンスであったりという表現方法になっているんじゃないかと思いました。

・3つ目の意義−子どもの自信につながる実践:プロセスに込められている自己肯定感
3つ目については、プロダクツというものを作品を創作するというプロセスにおいていったいぜんたい、込められているものは何なのか、それを私たちがじっくり考えると、どういう風なことを行っていけば子供が自信を持てるか。私はキーワードは自己肯定感だと思います、自己肯定感を持って言語活動や、もっと言うと言語生活、言語世界の中で自分として生きる、活動していけるかというところに繋がっていくという風に思っています。それをこちらの方で豊かな言葉のやり取りがあるということを見てあげて、それを引き出していくというのを支援として構築できればいいのではないか。

支援する側の意図を超えたものが出てくる実践の意味
まさに2つの実践は、全く違う実践というように見えるかもしれませんが、実践というのはそれをそのまま行うことに意義があるのではなく、いったんその実践の意味は何だろうと私たちが考えて、その意味について今度は自分の目の前の子どもにどうやって具体的な展開に持っていけるのかを考えることになると思いますので、そのプロセスに込められているものは何かということを考えていくことがそこにつながる、そういう実践であったと思います。ここは実は質問したかったところでもあるんですが、映像作品を生徒たちが作ってきた時に先生の想定を超えるものだったんじゃないかなどうでしょうか。(大倉:「はい」)そうですよね、教師、支援をする側の意図や想定を超えるものが出てくる。「ねこのピート」の方もそうじゃないかと思います。あと宿題の自由スペースに書いてくることも、多分私たちの宿題のイメージとか、教室と家庭をつなぐと言った時に家庭でどんなことが言葉のやり取りが行われているんだろうと思った時の想定の域を軽々超える物を子ども達が紡ぎ出しているということがわかりましたし、そういうことができる実践を組んで行ければ価値があるかなと思います。

実践を語る意味・聞く意味
実践報告をまずするということ、その意味は自分の実践を振り返って、今私は私の視点で意味づけをしましたけれども、なさった実践者が意味づけをして、今度はそれを報告するわけですから、実践を共有していない者に私たちに届くようにどうやったら表現ができるのかということを考える。そして私たち聞く側は、それはうちの子どもは歳が違うからできないとか、うちの学校はその設備がないからできないとか、クラスサイズが違うから無理だねとか、もちろん個別具体はそうなんですがそうではなくて、その実践の意義というものをとらえ、その意義をどうやったら現実にできるのかということを見ることによって、自分の実践を開いていく、そして実践を行っていくことで、実践報告を行ったり聞いたりするということの意味づけを一緒に行っていければいいのではないかと思いました。こういうことを考えることができる実践報告をバンコクに来てまた聞くことができて私は本当に幸せだなぁと思っています。ありがとうございました。



《石井先生》
解釈のプロセスがある素晴らしさー2つの実践に共通するもの
両方ともすごく魅力的な活動で、最初に思ったのは私高校の授業でああいう授業を受けられたらどんなによかったかなと。私実は高校の時に現国の先生と大喧嘩をしたことがあって、文学作品を読んだ時にこういう解釈だと言われたんですね。で私はそうは読まないんだけどということをでもこういう風にも考えられるんじゃないかって言ったら、多分先生としてはこう読ませなきゃいけないというゴールがあったみたいで、そこで大喧嘩をしました。まさにある素材をどう解釈しているのかということを互いに吟味ができるそのプロセスがあるということの素晴らしさを強く感じました。おそらくそのことはバイリンガル教室の実践とも非常に重なるものだと、やっている事柄とか扱う素材のレベルは違っても本質的に非常に近いことをやってらっしゃるなと思って考えていました。

ことばをとりこむプロセス
ひとつは言葉というものを自分の中に取り込んでいくプロセスというものは非常に抽象的なことで、例えば親が子どもを見ていてもこの子が分かったかどうかというのは本当はよくわからない。実際に誰かが言ったことがその子にわかったかというようなことというのは頭の中身開けて見るわけにもいかないですし、わかったような顔をしていてもどう分かったのかというのがわからない。2つの実践、実際に映像化するあるいは絵本を読んでそれから湧いた自分の書きたいことを書いていくとか、そういう、受け止めたことを自分がそれをもとにしてプロダクトとして出すという循環にその人が受け止めた言葉あるいは物語とかそういったもののどこをまず取り出したのか。そしてそれについてどういう解釈をしたのかというのが具体的な形で出ていくので、他の人がそのことにコメントできるんですね。「わかりましたか」「はい、わかりました」というやりとりほど無意味なやり取りはない。でも意外と教育の場であるいは親子間でも、「わかった?」というような確認ということをするわけですけれども、でもそのわかったということに中にもどうわかったのか、おそらく同じものを見て考えた人達はそれぞれに「わかった」と思うけれどもそこにはいろんな違いがある。それが具体の形になった瞬間に今度は初めの素材についてもそうですしその解釈についてもお互いが吟味できるというその素材が提供される。それが特に今回の絵で表すとか自分で好きなものを書いてくるというようなそういう作業の中では、言葉のいわゆる日本語力の優劣というものを越えて、自分なりに受け止めたことを表現するとそこで他の人たちが本気で相対するという素材が別の手段で言葉だけじゃなくて出てくるそこがすごく大きい。

100%の力ってなんだろう
それからさっき質問のところで(子どもさんの)日本語が100パーセントじゃないし何も100%じゃないしという言葉があったんですけれど。100%の力っていうのはどんな力なのでしょう。誰もが少しずつ違う力を持っているわけですね。日本語ネイティブでも。例えばここで育ってらっしゃる複数の言語に囲まれている人達は日本語で経験したことは、日本社会でどっぷり日本語につかって日本文化の中でいろんな経験をした人とは比べると量的に少ないかもしれない、知らないこともあるかもしれないけれども、逆に別の言語で日本では経験できないようなこととかを持っているわけですよね。そのことが映像とかそういった別のメディアを使って表現するという段階で、例えば日本語で読んで、日本語を中心に獲得したことで表現するということが基本にはなるかもしれませんが、間違いなくそのことだけではなくて別の言語で別の作品を読んだり映画とかそういったものに触れたり、別の言語で持ってきた財産をそれを解釈する時に使ってるはずなんですね。

解釈のプロセスで育つことば−背景の多様さは解釈の多様さ
こういう描写はこういう意味になるという風になってしまいそうな部分が、その子たちのバックグラウンドが多様であるからこそ、日本人がそれを読んだ時にこんな風になってくるって統一的になっちゃいそうなところを、非常にいろんな角度からいろんな切り口で提示される。そういったものが生まれてくる魅力があるという風に思いました。同じようにバイリンガル教室の方も子ども達が何を捉えたかということが周りの人達によくわかって、そこに新たな刺激が反応として現れる、そういうことこそがまさに言葉を理解していくということ。

解釈されることでことばになる
言葉が切り取られ、自分の実体験と違うところで提示されて覚えなさいと言われた言葉と違って、一生懸命自分が表現したことを自分の言葉では言えなかったけれども絵としてかいたことを、これはこうなんだねという風に言ってくれると、そういう言葉で自分のこの気持ち自分のかいた絵が解釈されるということで実感になる。多分両方とも同じことが起こっているんだと思います。

池上先生と石井先生から2つの実践のコメントをいただきました。実践のコメントの中で、本セミナーのテーマでもある自信を持つことについても触れられていましたが、子どもの資源を生かし、やり取りや映像化の表現のプロセスを共有し、解釈していくこと。そういう関わり方をしていく教師、仲間、大人がいるということが子どもの自信を育てる実践(教育実践、子育て実践)なのではないかと思いました。この回は実践を語る意義についてもお話がありました。実践するだけでなく、実践を語り、意味づけ、共有することが次の実践を生むことを改めて考えました。

タイにおける母語・継承語としての日本語教育研究会(JMHERAT)
運営委員

2018年度運営委員

代表           深澤伸子

運営委員         青木有里香   勇諒美
             荻原優     桑原弓枝
             宍戸大作    嶋田俊之
             谷口輝明    田野茜
             常見千絵    中村砂緒里
             藤井瑞葉    松井育美
             松岡里奈    村崎愛

第14回セミナー「言語活動実践報告―体験とことば―」第2部報告

みつめよう子どもの姿、考えよう子どもの現実

 子どもを育てる、ことばを育てる
 ―複数言語環境で育つ子どもが自信を持って生きるための言語実践―

2018年3月18日に終了した第14回セミナーの2回目の報告をします。今回は、第2部の「言語活動実践報告―体験とことば―」の発表概要、質疑応答を掲載します。

●インター校高校部の実践

「映像から学ぶ日本語」 大倉尚巳(NIST International School)
◆発表概要
 自己表現としての言語力に必要な要素の一つとして、言葉を具象化させる想像力が挙げられます。この発表では、文学の授業で、想像力を表現する土台としての「映像」を追求し、生徒の探究心を育むとともに、語彙力や読解力へと繋がる可能性を検討しました。
 文学の授業では、明示的なメッセージの読み解きだけではなく、暗示的なメッセージの解釈こそが重要ですが、解釈というのはその生徒が経験してきたことや感性・感覚で違います。この解釈を育てることに力を入れないと、文学としての役割ではないし、自分の教師としての役割でもないと思っています。
 まず、授業ではカフカの「変身」を読み、小説に書かれているヒントをピックアップしながら、登場人物や家を絵で表現してもらいました。想像で描くのではなく作品の中からエビデンスを拾って描くことにより、生徒達の頭の中で物語が広がっていきます。ただ、絵では動作を表現することができません。そこで、次に映像化することにしました。映像化のためには小説を解釈することが必要であり、解釈するためのプロセスを繰り返すことによって作品の理解を深めることができました。
◆当日配布資料はコチラ

◆学生作成映像説明

「変身」を映像化した作品。シューレアリズムの作品を表現するために登場人物にシルバニアファミリーを使ったり、人間の薄情さを表すために静止画像をぎこちなく動かしたり、登場人物間の優劣を表すためにローアングルで撮影したり、主要なテーマである人間の負の側面をほのめかすために、照明で登場人物の表情に影をつけたり、グレーゴルの主観を表すために音楽を途中で曇った音にするなど、ひとつひとつに意味があり、意図があって作られた映像です。


「変身」というテーマの完全なオリジナル作品。原作では存在意義がテーマとして扱われていますが、生徒たちにとっての存在意義は、原作と違います。見た目が変わってしまったために友達の輪に入っていけない自分が存在している意義とはなにか、ということが彼女達にとってのリアルです。最後のシーンでは二人の配置の高さが異なっています。これは、Aはまだ自分の存在価値をSの存在価値より上だと思っていることを表しています。この終わりの場面は何も解決しておらず、不幸でも幸福でもない「変身」と同様に微妙なやりきれない気持ちを表しています。このように、作品の世界観をそのままオリジナル作品で表しています。

● 親が創る日本語教室の実践

 「対話を起こし、体験を繋げる幼児部の活動報告」
 ケウホワサイ美穂子・高見志津・青木有里香・番場亮・鵜野晋(バイリンガルの子どものための日本語教室)
◆発表概要
 この教室では、子供たちが自分に自信を持って他者との関係を築いていける能力を目指し、子どもの「興味」、「関心」のあることを「体験」と「関係性」の中で育てることを活動方針としています。子どもたちの言語能力や環境の異なりなど、様々な差異そのものを資源と考え、子どもにとって意味のある体験とは何かを考えながら、テーマ型学習を実践しています。
 幼児部の活動は①読み聞かせ②工作③ダンス・歌の3つの活動で構成しています。しかし、これまでこの3つの活動に関連はなく、バラバラでした。そこで今年は絵本「ねこのピート」を軸に、3つの活動を全て関連付けました。家での宿題も「ねこのピート」を基に手作りしました。この本は「読み手」「聞き手」に分かれず、子供たちとやり取りし、本の中の歌を一緒に歌いながら話を進めていく体験型の絵本です。活動は、ねこのピートの世界を【絵本で聞く→工作で体験→歌やダンスで楽しむ→家に帰って宿題で再度自分のピートを表現→次回の活動の時にそれらを繋げる→それを繰り返す】の流れで行いました。本との関連性をもたせ(文脈化)、やり取りを重視し、一貫性をもたせることができました。この教室では親が教師役を務めますが、全ての活動が繋がり、家と教室が繋がることで、教師自身が活動を楽しみ、アイデアもどんどん出てきました。
◆当日配布資料はコチラ

◆幼児部自作の課題シート
「ボタン」いろいろなボタンを描いてみたよ
「よっつ」よっつあるよ。てんとう虫は4匹。黒い点がよっつ!

第2部 質疑応答

質問1:バイリンガル教室はなぜ補習校登録をしなかったのでしょうか。

  • 回答(深澤):補習校登録をすると日本から先生が来るなどの支援がありますが、それはいらない。日本に帰ることを前提とした補習校と自分たちの教室は明らかに違う場なんだ、自分たちはここで生きていく子どもたちの教室を作っていくんだ。そういう意思の表明でした。(深澤はバイリンガル教室のアドバイザー。補習校登録をしないと決めた時の状況を知っているため、親に代わり返答)

質問2:子どもの進路に迷っています。映像を作った学生の日本語の能力はすごく高いですが、どのくらいの時期にNISTに編入したのでしょうか。また、学校以外でも日本語の勉強をしているのでしょうか。

  • 回答(大倉):シルバニアのグループはそれぞれ入学時期がバラバラでした。エレメンタリーの時に入った子、去年入ってきた子。中学校ぐらいから入ってきた子がなどです。NISTに入る前の日本語使用経験もばらばらです。NIST学校外で日本語の勉強は基本的にしていないようですが、家庭教師などでサポートしてもらう生徒はいます。エレメンタリーの頃はそういうのはよくあるんですが、中学高校になるにつれてほとんどNISTの授業だけでやっていけるようになっています。

質問3:10歳と7歳の娘はイタリア生まれイタリア育ちです。イタリアではイタリア語で遊びイタリア語で喧嘩していました。半年前バンコクに移動しましたが、イタリア語をほぼ全て忘れて今は英語で遊んでいます。心配なことは、幼児期からどの文化でも100%ではない。日本人の両親で家で日本語でも日本語は100%にならない。どれも100%ではない。文化やアイデンティティですがどこにも帰属できない。今後どうやって彼女たちの自信を育てていけばいいのでしょうか。学校で静かにしているのも言葉の問題ではなく自信がないのではと思います。どういうことをしたら自信を持って生きていけるのでしょうか。帰属意識が持てない中でどこに拠り所を求めたらいいですか。アドバイスが欲しいです。

  • 回答(深澤):この質問は、セミナー全体のテーマです。後半はそれについて話し合っていきたいと思います。

次回は第1部と第2部のまとめの報告を掲載いたします。
(JMHERAT運営委員)

第14回セミナー「複言語・複文化活動報告 ―言語能力観の捉え直し―」第1部報告

みつめよう子どもの姿、考えよう子どもの現実

 子どもを育てる、ことばを育てる
 ―複数言語環境で育つ子どもが自信を持って生きるための言語実践―

2018年3月18日に開催した第14回セミナーの内容をこれから数回にわたってご報告いたします。今回は第1部の「複言語・複文化活動報告―言語能力観の捉え直し―」の発表概要と質疑応答、およびコメンテーターからのコメントを掲載します。
当研究会では複言語・複文化を生きる子どもたちに焦点を当て、子どもたちや子どもたちを取り巻く大人たちが参加する複言語・複文化ワークショップをこれまで4回開催しました。これをもとに、第1部では、運営委員によるワークショップの成果の報告、ワークショップに参加した教師による大学でのワークショップの実践報告、そして、ワークショップに参加した保護者による複数言語環境で育った子どもの事例報告を行いました。
以下、各発表の質疑応答から掲載します。発表概要及び発表に使用したスライドをご覧になりたい場合は、各発表名の下にある「発表概要」「発表PPT」をクリックしてください。

●複言語・複文化ワークショップ報告1
「これまでのワークショップとその狙い」 深澤伸子(研究会運営委員)
「発表概要」「発表PPT」

●大学での複言語・複文化ワークショップ実践報告
日本語教師の思い込みに気付くワーク ―言語マップ・言語ポートレート活動―」 久保亜樹(ランシット大学・研究会運営委員)
「発表概要」「発表PPT」

●複数言語環境で育った子どもの事例報告
「関わるためのことば、関わりによって生まれた成長 ―息子と私と夫の 21 年」 鈴木孝子(トレイルインター校)
「発表概要」「発表PPT」

●複言語・複文化ワークショップ報告2
「子どもたちの事例 ―複言語・複文化からトランスランゲージングへ―」 松岡里奈(研究会運営委員)
「発表概要」「発表PPT」

第1部 質疑応答 

―言語マップについて
質問1:言語マップは、実際の本人の現実世界を正確には表せていないと思うのですが。

  • 回答(深澤):言語マップは、その人にとって大切な世界が表されます。ペットの犬との世界が大切な学生は、犬との会話というのを書く学生もいますし、親との言語体験がこのマップでは書ききれない場合もあると思います。
  • 回答(石井):マップの左側は、コミュニケーションの相手を指します。だから、道を歩いている時に聞こえてくるものというよりは、伝えてコミュニケーションをして自分の意図を交換したり気持ちを表したりしたい対象のことを指しているんだと思うんですね。つまり、現実世界ではなんとなく耳に入ってくるという言葉もあると思いますが、それを表しているのではなく、お母さんととかペットとのやり取りをしたい時の言葉は何かということを表しているマップなのかなと思います。

質問2:学校の授業での英語を書いている人もそうでない人もいますが、それで良いのでしょうか。

  • 回答(深澤):このマップには自分にとっての大切度が表れてきます。心理的な部分を、マップを作成した後に、これをツールとして対話してもらえたらいいと思います。
  • 回答(石井):例えば、日本の状況では、日本の学校に入った外国ルーツの子ども達が、 学校で朝から晩まで日本語しか聞いていないと思っても、物理的にはいっぱい流れている音を「聞く」か「聞かない」かというのは、その子自身がそれを「聞こう」という構えをしない限りは耳に入ってこないんです。ですから、何年間か教室に毎日通っているのに日本語力が全然伸びないということはいくらでもありえます。周りの大人が全て日本語だったと思っていても、「ずっと日本語で考えていたかな?」などと子どもとやり取りを少しするだけでも、言語マップの結果が変わってくる気がしますし、そのやり取りも子どもにとっての経験になると思います。このワークを使った対話を通じて気付きなどのいろいろな効果が出てくる可能性があると思います。

―大学での複言語・複文化ワークショップ実践報告について
質問1:言語ポートレート活動で参加者が例に影響を受けないようにするには、どうすれば良いでしょうか。

  • 回答(久保):最初は例を見せずに描いてみて、途中でペンが進まないようであれば少し例を見せるか、教師が偏りのない例を作って見せても良いと思います。私の実践で学生の言語ポートレートが同じようになってしまった原因にはおそらく「いろいろな言語が混じっているから」「どの言語とも関わりがないから」描けないということもあると思います。描けない理由を文字で書いてもらうと個人の考えが見えてくるのではないかと思います。

質問2:言語マップと言語ポートレートを作成してもらった後、学生に何か具体的な対応をしましたか。

  • 回答(久保):ワークショップ後に言語マップや言語ポートレートを見て、疑問に思ったことは学生に個人的に聞きました。個別に話をするというのがメインで、他のところには活かせていません。ただ、ワークショップで得たことを授業にも取り入れてみることもできるでしょうし、この先何か問題が起こった時にこのように学生のことを知っていれば、うまく対処できることもあると思います。

―高校時代に言語環境が変化し苦労した大学生の事例について
質問: 苦労をした学生の話を聞きましたが、それを聞いて自分で子どもを育てる自信が少しなくなりました。ほかに成功した事例はあるのでしょうか。

  • 回答(松岡):日本人学校を中学校まで、そしてタイの現地校(タイ語と英語のバイリンガルスクール)に入ったその学生は、私は彼が大学に入って日本語学科に進んだところで出会ったんですが、今はとても元気です。今はとても幸せに生きているように見えます。友達も多いですし、友達関係で悩むことがあっても、今は彼の夢は、日本語とタイ語の通訳になることで、今は英語がもっとできるようになればという思いを抱いて、これからの人生計画を練っているところなんです。
  • 回答(深澤):つまり、人は変化するんですね。事例のKくんなんですけれども、私たちは継続して見てきました。最初は高校に入ってタイ語ができなくて大変だった、もう思い出したくもない、と言っていました。そして、大学は「楽をしたい」から日本語学科に入ったと言っていました。それを聞いて、「楽をしたいなんてなんてことか!」と思いましたけれども、彼の背景を知って、なるほどかと思いました。それで大学に入ってから、支援者に出会ったり、日本語というのを1つの武器にして、自分が支援する側になれた。私たちは変化してきた彼を見て、一昨年この研究会で、大勢の大人の前で発表してもらったんですね。この言語マップを書いてもらって。その時に最初に私が最初にインタビューした時とは全然違う語りが出てきました。最初は、「将来はどこで働くかわからない。タイで働くのに自信がないから、日本で働きたい」と言っていたんですけれども、それから5ヶ月後に大人の前で話をしてもらった時には、「働くところはどこでもいい。」という風に変わってきました。それはやっぱり、色々な人との関わりや、自分がやったことへの評価が、重要になるんだと思います。

―複言語環境で育った子どもの事例報告について
質問:インターナショナルスクールに通っている日本人の両親を持つ子どもに学習言語を習得させるのに、家庭での英語のサポートは必要ですか。

  • 回答(鈴木):これは年齢にもよると思うんですけれども、小さいうちは算数であれ英語であれ宿題であれ、親がしっかり、学校が何をやらせようとしているのかを考えて見てあげるのがいいと思います。ですから、手伝って完璧に宿題をさせるのではなく、何をしているのかということに関心を持つことが大切だと思います。私自身の場合はできる限り手伝いました。提出をさせる時に「ここからここまでは親が手伝いました。これはこう間違えたけれども、親がこう教えました。」という風に全部コメントを入れました。そうじゃないと完璧な宿題を出して、先生がこの子はここまでできていると思ったらとんでもないことになるので、そのくらいでいいと思うんですね。英語を習得させるために日本人の親がしてあげられることは限られているので、英語のサポートというよりも内容のサポートですね。言語のサポートはもう学校に任せるといいと思います。
  • 回答(深澤):学習言語能力の習得は何年もかかるんです。焦らないで、家ではむしろお母さんお父さんの母語で十分な体験をさせてあげるのがいいと思います。
  • 回答(鈴木):英語の本はたくさん読まされるんですが、子どもが読む本は自分も読んで、内容を聞いたり、一緒に読んだり、話し合ったり、報告させたりしました。

〇舘岡先生からの感想
※舘岡先生は本研究会の第1回目のワークショップから講師として参加してくださっています。

【1】お互いがリソースであるという気づき
第1回目のワークショップのときは言語マップ活動だったのですが、参加している皆さんがこういう風に相手によって言語を変えていくんだということがはっきりとわかって、とてもインパクトがありました。また、今でも印象に残ってるのは、家族にとって共通語が必要かということが議論になった時があるんですね。うちはモノリンガルなので考えたこともなかったんですが、共通語がないということがあるんですね。その議論の中で、参加している人たちがお互いのリソースになっている、つまり、そういう場を作ることによってこそ、学べることがいっぱいあるんだということを大変体験的に感じました。

【2】語り合うためのツールだという気づき
「複言語・複文化」というのは、私たちも本で読んで学んでいるし、自分自身はモノリンガルだけれども、そういうことは理解はしているつもりだったんですけど、本当にごちゃごちゃなんだなということがよくわかりました。私の中ではマップを書いたら3色ある、とかそういうイメージだったんですけれども、ある学生さんが喉の所に、黒でぐちゃぐちゃって書いていましたね。この黒でぐちゃぐちゃというのは、自分が何語を話しているかということを、切り分けて整理していないということだったんですね。ですので、さっきのご質問にもあったように、友達には全部日本語かとか、誰々さんには何語とか1色にできるかというと、そうではなくて、かなり混沌としているんですよね。だから、可視化できる材料として、マップはとてもいいと思います。そして、石井先生が先ほどおっしゃったように、マップはツールなので、「マップを完成させる」ことに意味があるんではなくて、書くプロセスで気付いたり、書きながら、「あ、1色にできないんじゃない?!」などを、語り合うためのツールなんだなということを感じました。

【3】そもそも人が言葉を学習する目的への気づき
私が普段している、日本に来た留学生に日本語を教えるというのは、教室の中で教科書もあります。「て形」とか「行く」とか「帰る」とか、そういう単語を教えて、活用を教えて、そういうのが日本語教育だと思っている人もたくさんいると思うんです。それは、先生ばかりではなくて、学生もそう思っているみたいなんですね。ですけれども、そもそも人はどうして言葉を学ぶのか、という現象的なことをすごく学ばせてもらいました。というのは、この言語マップのプロセスでもわかるように、「相手に伝えたい」から、その言葉が増えていくんですね。例えば、タイで生活している子どもさんで、お父さんもお母さんも日本人で、日本語でお家で話をしていて、学校にもまだ行っていない、幼稚園にも入っていないという子どもは、日本語ばかりの世界かというと、そうではないんですね。その子がタイ語を話すのはなぜだろうと思ったら、お手伝いさんとかベビーシッターさんがいて、言葉を使う必要があるわけですね。だから、言葉を学ぶっていうのは、「伝えたい」、それから「分かり合いたい」ということ。それが、言葉の学習の原初的なことで、これは当たり前のことですが、この活動を通して改めて気付かせてもらいました。どうしても、学校に入ると学校的な習い方で、規則があって、教科書があって、それを頭の中に詰め込むのが、言葉の学習になってしまいがちなんですけれども、なぜ言葉を学ぶのかっていうのを、日本語教師である自分も、もう一度考えてみたほうがいいと思いました。

【4】研究会を続けていくことの意義
研究会というのは、教えてくれる人がいないんですね。先生のように見える深澤先生も、深澤先生が知っている経験には限りがあるし、結局は親同士、または当事者同士が繋がって、自分達同士で教えあって、学びあっていくっていうことしかないんだと思います。そして、それが最高の学びの場なんだなというふうに思います。是非こういう活動に、色々な立場の人が参加してほしいと思います。そして、日本語教師である私にとっても、とても学びがあり、言葉の学びについての考え方もずいぶん変わってきているので、誰かから学ぶということじゃないんだなということに気づかされました。言語マップも第1回以来、どんどん進化しているんですね。それは、この研究会の人達が、当事者の子どもや学生たちへのサポートの仕方を、真剣に考え続けているからだと思うんですね。是非このような場を続けていただきたいと思います。

〇石井先生からの感想
※石井先生はご主人が韓国人で、成人されたお子さんが2人いらっしゃいます。昨年のセミナーで親としての経験を伺いました。詳しくはこちらをご覧ください(http://d.hatena.ne.jp/jmherat/20170715/p1)。

【1】パターン化するのではなく、状況を見て判断すること
昨年タイで多くの方のご協力を得て、長時間のインタビューをさせていただいいて、色々伺った話を振り返ってみると、本当に多様性が大きいと思いました。モノリンガルだって当然、多様性があるわけですが、私たちモノリンガルで育った人間は、バイリンガルとかトライリンガルとか多言語の人たちをパターン化してこうなるはずと思っているようなところがありますが、現実はそれぞれの家庭によって本当に千差万別な状況ですよね。だから、パターン化して「こうすれば、こうなりますよ」ということではなく、本当に多様で、どんどん変わっているということを自覚しました。その中で、親御さんが、この状況を必死でとらえようとして、まず始めからルートを決めて、最初はたぶん子育てをこうしていこうというイメージがあったのかもしれませんが、子育てを始めてから、実際によく聞く話とは違う現実というのを、自分がどういう風に受け止めて行ったらいいかということを、ずっと試行錯誤していくという、そういうプロセスだったという語りがありました。そこを、私はものすごく大きいことだと思っています。本などを読んでいると出てくるような、いくつかの類型みたいなものは、もちろん何かの役には立つんですが、実際に子どもを育てていくというのはそのパターンに乗せていくという話ではなく、そういう知識はあっていいんですが、むしろ目の前にいる子が、今どういう状況になっているのかということに、ちゃんと視線を向けることが大切ですよね。それぞれの方が、私から見ると、本当にダイナミックな選択を様々なタイミングでやってらっしゃいます。その時にその子が今どういう状況であるかを把握し、自分がどういう将来像を描いているかということだけではなくて、現在の自分の家庭がどういう選択肢を持っているか、どういうサポートができるか、それから自分の家庭だけではなくて親戚といったことも含めて、子どもたちがどういう風に動いていけるのかということを非常によく見通すことが大切だと思います。それは必ずしもそのまま予想通りにはいかないんですが、自分が自覚して決断したことというのは、それがうまくいかなかった時に戻る場所を持っているんですね。なんかどこかで聞いてきた、こういうことがいいとかいうことをただ信じて、それをやってしまった時に、うまくいかなかったらどこに戻ってやり直したらいいかわからないわけですね。
インタビューに答えてくださった方たちは、いろんなことをやってきて成功したり失敗したりって個々の事例についてはいろいろ思いがありました。その方たちのプロセスや葛藤してきたことについての語りを聞いていた時に、やっぱり夫婦でそのことを相談したり、他の人に相談したりというそのプロセスの中で自分はなぜそれを選んだのか、何を期待していたのかということをとても深く振り返っていらっしゃる方たちだという印象を受けたんですね。そのことが丸ごとうまくいくわけではなく、いろんな選択のやり直しをしています。その時にそれまでにうまくいったことやうまくいかなかったことをなぜそうかと問うといったように、自分をたどり直すことができて、もう一度決断のし直しをしている、そのことがとても大きい意味があるという風に思います。

【2】子どもの成長に終わりはないということ
まだほとんどの方たちは子育ての進行形のところにあって、それはたぶんそれぞれの人生が終わるまでどうなるか分からないというくらいの話だと思います。悩んでいたとしても、結果が見えてしまったという話ではなくて、子どもが成人になったとしてもまだそこからいくらでも言語選択や言語習得もありうるということがとても大事な部分だと思います。

【3】複言語だけでなく、複文化の視点も持つこと
私自身は、いわゆるモデル的なバイリンガル子女を作ったということがもし成功だとすると大ハズレな家庭で、子どもの韓国語は大して伸びなかったんですが、結構驚いたことは小学校ぐらいの時、私の知り合いと一緒にご飯食べようという時に「カレーのおいしいお店がある」という話になり、友人が息子に「そんな辛いの食べられないんじゃない?」と言ったんですね。すると、息子は「え、韓国人だから辛い物大丈夫」と言ったんです。他にも、ある人が「ハーフ」だということが分かると、その人に「え、同じ!私も!」というようなことをパッと言うんです。私は意外と、家に外国人がいるということを普段忘れていて、「うちにもいたんだ!」というぐらいの認識なんですが、言語的にはモノリンガル環境にいる子どもたちは自分のアイデンティティを言語力とは無関係に、自分が繋がってる何かがあるということを非常に強く感じていたんです。もちろんことばというのは心の動きをより豊かにする上でものすごく大きい要素だと思いますから大事にするに越したことはないんですが、向こうの親戚との付き合いが非常にスムーズで、言葉わからなくてもなんとか居心地が悪くないという関係が保てていることは大切だと感じました。ですから、複言語・複文化の「文化」の方を忘れずに、人とのつながりとか自分のバックにある様々な社会的な環境とか要因とかそういったものも常に意識しておくことが子どもを育んでいく立場としてはやっぱり重要なんだということを、インタビューでお話を伺い、自分のことを振り返りながら考えました。

次回は第2部の報告を掲載いたします。
(JMHERAT運営委員)