タイにおける母語・継承語としての日本語教育研究会

Japanese Mother Tongue and Heritage Language Education and Research Association of Thailand (JMHERAT)

2014年度第2回勉強会(於:明治大学アセアンセンター) 2014-08-10

みつめよう子どもの姿、考えよう子どもの現実

  −複言語、複文化を生きる子の思い− 雅子(仮名)さんの経験を聞く 

昨年から 3名の複言語・複文化を生きる子どもたちの思いをブログに掲載してきました。その中から先週まで報告してきた雅子さんにおいでいただき、直接お話を聞きました。参加者は国際結婚家族の保護者の方を中心に20名。途中、参加者の質問に答えていただきながら親と子どもの思いの交差する勉強会になりました。参加者の方々が、それぞれに刺激を受けて考えや思いを巡らせていた様子、熱心に質問や意見を出されていたことが印象に残ります。お話の内容は先週まで3回に亘って紹介してきた内容と重なりますのでこの報告では参加者の感想を中心に報告します。

まだこれまでの雅子さんの記事をお読みになっていない方は是非ご覧ください。
*6月29日に行った第1回勉強会は継続勉強会を行うことになりました。継続勉強会開催日程が決まりましたら、それに合わせて第1回勉強会報告をいたします。


雅子(仮名)さんのプロフィール

現在45歳。結婚して7歳と5歳の2児の母親である。

言語環境:夫婦の間の会話は日本語、母親とは日本語、父親とはタイ語。兄妹の間はタイ語。家族が揃ったときは日本語。
幼稚園からタイの学校で学び、タイの国立大学の日本語学科を卒業後、日本に留学し修士号取得。その後、アメリカに1年語学留学した。帰国後、タイにある大手日本企業に勤務した。職場では英語が中心だった。


お話の概要

【前半】日本人と見られてしまう負担
母親は雅子さんに「あなたはタイ人」と言い、タイ人として育てようとした。しかし、周囲からは「日本人」と見られ、「当然」日本語も日本の文化・習慣も知っている者として扱われてしまうのは大きな負担だった。名前の珍しさで目立ってしまうのも負担だった。母親は「あなたはタイ人」と言いながら日本語で受け答えを要求し、子どもごころに「私は何人?」とどっちつかずの気持ちがあった。今思えば母は努力して日本語を使わせようとしていたのだと思うが、次第に難しいことは日本語で言えないので、母親とは簡単なことしか話さなくなった。日本語は大学に進学し、努力して身に付けた。当時、社会は日本語ブームで日本に留学もしたかった。日本語も上手になりたかった。だが当時修士課程に日本人は少なく、日本人の友人はあまりできなかった。むしろアメリカ留学時に日本人の友だちができ、自分の日本語力はそのころ頂点だったと思う。
そのころアメリカのホストファミリーにダブルはいいことだと言われ、初めて自分に肯定的になった。タイに戻り会社に入ってからはダブルであることはアドバンテージだと思うようになった。今は「ハーフだった事は無駄じゃない」と思う。社会に出てからはプラスなことが多かった。仕事の自信はある。しかし、今も自分の日本語に自信がない。日本のことを聞かれて知らないと言えない。タイ語も完璧ではない。周りの人に優秀であると見られていても自分では中途半端だと思う。100%になりたい。


【後半】自信を巡る話
〈皆さんに言いたいことは何でしょう〉
自信を持たせてほしい。自信を持たせるにはまず、十分日本語を話せること。基本的な日本の習慣を知っていること。
それから精神的に強くしてほしい。周りに何を言われても負けないように。

〈日本語は雅子さんにとって何だったのでしょう〉
義務です。タイ語の場合は義務ではないんです。でも日本語は義務です。パーフェクトにすることが義務です。

タイ語は?〉
タイ語も中途半端。パーフェクトではないけど、日本語のように義務ではないです。

〈自信が生まれたことはなかったのですか〉
アメリカで日本人の友だちができた時。ああ、仲間に入ることができたと思った。そうですね。それは自信。

〈どうすれば自信が持てるようになりますか〉
私のように「義務」になるより、日本語が楽しいからと思う方がいい。友達ができてとかその方が人生としてはいい。


感想

雅子さんにとって日本語は義務
日本語は義務と何回も繰り返されたことが心に強く残りました。「パーフェクトであることが義務」という言葉は非常に重いですが、では雅子さんの思うパーフェクトとはどういうことなのでしょう。雅子さんは「日本人のように」と答えましたが、日本人の日本語も様々で、しかも、この人の日本語はパーフェクトだ、などと思う人に会ったことはありません。ではどうしてパーフェクトに拘るのか。関連する運営委員の感想を紹介します。

何故100%に拘るのか?

彼女がどのように言語処理をしているのか?とても興味を持ちました。というのはとても複雑な質問にすっときちんと答えていらしたので何語で考えているのだろうと思いました。尋ねたら、日本語で考えて日本語で答えていますと答えていました。それだけの能力がありながら、「タイ語も日本語も100%じゃない」とおっしゃることが一番心に残りました。何故そう思うのか?それは周囲の方の見方が大きく彼女の意識をコントロールしているからなのかと思いました。
雅子さんの日本語能力の耳から入る第一印象、は本来の彼女の日本語能力と一致しないのではないでしょうか。ちょっと癖があります。しかし、彼女が地方出身者と言われれば訛りがある人かな?という印象になるのではないかと感じます。
ここからは推測ですが、話す相手が雅子さんを過小評価してしまう傾向があり、その心が彼女に伝わってしまうから、日本語が100%じゃないと思っていらっしゃるのではないかと思いました。
どこかのセミナーで、サードカルチャーで育つ子は状況の変化、相手の反応や態度に敏感であると耳にしたことがあります。
このように、周囲の方のちょっとした反応が大きく彼女の意識に影響し、日本語を100%にしなければという意識を育てているのではないかと考えました。

自信を持たせてほしい−最初のメッセージ
雅子さんが今一番伝えたいことは「子どもに自信を持たせることと精神的な強さを育てること」。
これも印象に残りました。自身もタイと日本の国際結婚の子どもである運営委員の感想です。

ダブルの子が自信を持って生きられるために

雅子さんがお子さんに強さを身につけさせたいとお話しされていたことが印象的です。
精神的な強さと共に、スキル(日本語や日本の文化)を身につけさせたいとお話ししていました。ご苦労されながらも日本語を獲得したことが自信につながったご経験があったのだろうと推測します。
その中で、日本語についてまた日本文化について、関心を持たせたり興味を湧き立たせるようなことが大切とお話をしておられました。
強いられるのではなく、能動的にかかわろうとしてほしいからこそ、今(雅子さんの)お子さんが「ルーク ジープン(日本人の子)」と言われても大きく否定しないで日本への関心を奪いたくないとお話しておられたのでしょう。
「父母の国籍にとらわれることなく、個の能力を認めてほしい」
「能力や知識について色眼鏡ごしに自分を見られることが辛い」
「期待に応える義務を感じている」

という思いは、私も共通して感じていることでした。
雅子さんの「日本のことについて聞かれて答えられなかったらハーフとして失格」という思いに、自分もそうだと共感しました。

複言語・複文化の子どもの気持ちは複雑ですが、なかなか周囲に理解されず、孤独に自分の思いと向き合っている事実があります。

自信になるのは―最後のメッセージ
雅子さんは自信をつけるためには日本語を十分話せるようにすること、日本の基本的な文化も教えることと言いました。それが自信を持つ鍵だと考えています。しかし、そのあと話を続けているうちに、以前、日本語に自信が持てたことがあったと思い出しました。

司会:前に日本語に自信が持てたことがあって、それは日本人の友だちができた時だと言ってましたね。
雅子:そうです。自分が思うように話せた時。
司会:日本語が上手になったと思ったから自信?それとも友だちができたから自信?
雅子:うーん仲間に入れてもらえたことが自信になったと思う。
司会:今子どもさんに自信を持たせたいと言っていましたね。
雅子:わたしみたいに「義務」だと思ってうまくなりたいという考えより、日本語が好き、日本語が楽しいから学びたいと思う方が、友だちができて、とか、通じてとか、の方が人生としては、いいじゃないですか。

何が自信になるか。ことばそのものと向き合うとどこまで行っても終わりがありません。果てしのない100%を目指してしまう。そうではなく、これができた、これができたという体験の積み重ねが自信を生むのではないでしょうか。特に、分かり合えた体験、人と関わりあえた経験、それが自信になる最も重要な体験なのでしょう。これが雅子さんから最後に受け取ったメッセージです。(JMHERAT)

参加者の感想

参加者は保護者の方が多く、これまで雅子さんが自分の気持ちをことばにしてこなかったことに衝撃を受けながら、熱心に質問をしていました。終了後いただいたコメントです。

  • 大変参考になりました。今まで誰にも話せなかったということにショックを受けました。自分の子どもたちが感じていること、これから感じるのかもしれないことを聞かせていただきました。日本人、○○人(父親の国籍)と言わずに来ました。海外へ行くときどのパスポートを使うかで、今回は日本のパスポートだね、と言ってきましたが本人達にとっては自分は何人なのかと考えているのだろうかと思うと辛く感じました。避けてきた問題ですが改めて考えたいと思います。(保護者)
  • 「中途半端」何度も雅子さんが口にするのが心に残りました。どうやったら自信が持てるのか子どもに持たせられるか考えさせられました。(保護者)
  • 娘、息子との時間を持ちたいと思いました。そして日本の文化・言語を教えたいと思っていた自分でしたがタイに住んでいるとそれも限界があり、常々タイ語を勉強してこなかった反省をしてきましたが、より(自分の)子どもたちの思い、感情に近づく努力をしタイの文化を知って近づきたいと思いました。(保護者)
  • 子の思いとして雅子さんのお話を聞けてよかったです。保護者として子どもをどう育てていけばいいか勉強になりました。自分の子どもたちも周りからどう言われているか、自分のことをどう思っているのか気になるので聞いてみようと思います。周りからのプレッシャー(期待)、見方によって個が形成されてしまうことが本人にとってどれだけ辛いかがわかりました。
  • 今関わっている子どもたちと雅子さんの経験を重ね合わせていろいろ考えました。今、私の知り合いの子どもたちは「自分が不完全だ」などと悩んでいませんが、今後子どもたちが大人になっていく過程で自分は子どもの周りにいる人間として何ができるのだろうか…と考えました。今自分を「日本人だ」と思っている子どもはどのようになっていくのでしょうか。子どもたちと関わりながら色々考えていきたいと思います。(教師)
  • 国際化の進展は想像以上に現実が加速度的に進行している中で新たな現実の中で生長、成長される若い人にとって自我の確立は非常に切実な問題で、単に個人的な問題ではなく、社会的な緊急重要な課題であるかと思います。本日大変貴重な「言葉の肉体化、自我形成」の過程を個人的な意見も混えた話をお聞きし、非常に有益で今後更に必要であろうと確信し、今後ますますご研究がすすめられんことを強く願っています。(保護者)

子どもさんと話す時間を持ちたいという方がたくさんいらっしゃいました。また、子ども同士で集まって話し合う機会を持ちたいと雅子さんに声をかけている方もいらっしゃいました。複言語・複文化の子どもたちの思いを直接聞く初めての機会になりました。雅子さんに深く感謝いたします。