タイにおける母語・継承語としての日本語教育研究会

Japanese Mother Tongue and Heritage Language Education and Research Association of Thailand (JMHERAT)

第1回ダブルの大学生会「日本人なのに」「日本人だから」

タイトルの言葉、「日本人なのに」「日本人だから」は2016年4月2日に行われた第1回ダブルの大学生会で、最も印象に残った語りです。これらの語りを始めダブルの大学生たちが自分たちについてどのように語ったのか、この日の全体の模様をお伝えします。参加したダブルの大学生はタイの大学で日本語を専攻・副専攻する学生です。
※国際結婚児をダブルと呼んでお伝えします。

参加学生大学専攻移動両親
A(男)S大学
4年
主専攻タイ生まれタイ育ち(移動経験なし)母:日本
父:タイ
B(女)H大学
卒業
主専攻タイ(6歳まで)→日本(11歳まで)→タイ母:タイ
父:日本
C(男)R大学
4年
主専攻日本(6歳まで)→タイ母:タイ
父:日本
D(女)C大学
4年
主専攻日本(8歳まで)→タイ母:タイ
父:日本
E(女)R大学
4年
主専攻日本(10歳まで)→タイ母:タイ
父:日本
F(女)R大学
2年
主専攻アフリカ(2歳まで)→日本(6歳まで)→タイ(18歳まで)→日本(20歳まで)→タイ母:日本
父:タイ
G(男)C大学
4年
副専攻日本(2歳まで)→アメリカ(4歳まで)→日本(6歳まで)→タイ母:日本
父:タイ
H(男)S大学
2年
主専攻日本(7歳まで)→タイ(8歳まで)→日本(10歳まで)
→タイ
母:タイ
父:日本
I(男)R大学
2年
主専攻タイ(2歳まで)→日本(8歳まで)→タイ母:タイ
父:日本
                         (2016年4月2日現在)

今回のWSでは学生たちが「自分を語り、語り合う」場にすることが大きなテーマでした。
そこで彼らの言語使用体を目に見える形にし、お互いの経験をことばにしてもらいました。

日本語(ピンク)
タイ語(青)
英語(黄緑)

〈Iさん〉

① 自分のマップを説明することでこれまでの自分史を語り、次に
② 「大変だったこと」をテーマにお互いの大変さの経験を語りました。

Dさん〉                        〈Bさん〉










                             〈Hさん〉
 
矢印がついているところが大変だとおもったところです。今回の参加者9人中8人が日本とタイの移動を経験していて、移動したときに「大変だった」の印があります。そこでまず移動によってどんな大変さが起きたと言っているのか、報告します。









■移動で起こった「大変さ」
最も多くでてきたのが、ことばの大変さでした。
(1)言葉

・親の都合で日本から急にC県に来た時に、環境ががらっと変わってしまった。言葉の面で苦労した。(Hさん)
・小学校低学年の時に、日本人父の定年を期に家族でタイに移住し、ことばがわからなかったので、クラスでビリの成績で、とてもつらかった。(Bさん)

日本でも家庭内でタイ語を使っていた人たちですが、それでもタイの学校に入って苦労します。
学習に必要な言語能力は生活で使う言語能力と少し違います。
学校で必要な言語能力は新しい環境に入って数年必要だと言われています。その数年間はどんな子どもでも苦労します。この子たちのも例外ではありません。(((注参照)))大切なのはその大変さをわかってあげるかどうかです。
ところでIさんはタイへ移動した時より、高校(())から学習言語が変化した方が大変だったといいます。

・中学までは日本人学校へ通っていて、高校からタイの現地校に入ったので、タイ語での授業になかなかついていけなかった。(Iさん)(高校からのタイ語習得例

これも言語環境の変化のよることばの問題です。タイに住んでいて日常会話に苦労していなくても学習言語が変わるとやはり学習のための言語能力習得に数年かかりますから、当人にとって大変なことです。しかし会話に苦労していなければ学習にも問題はないはず、と思うのがモノリンガルで育った一般の人の考えでしょう。

・日本語学科に入ったことで、周りからとても頼りにされ、日本語を教えてあげたりもするようになった。でも、自分が授業中タイ語が分からなくて困っていた時に、友だちに助けてほしいと頼んだら、助けてくれず、見捨てられた気がした。(Iさん)

周囲はIさんが、学習ためのタイ語に苦労していることが理解できません。「学習言語能力」と「生活言語能能力」の違いを教師でも知らず、しゃべれていれば大丈夫なはずと見なされて支援が受けられない場合があります。「学習言語能力」はただその環境にいれば身につくというものではありません。何らかの支援が必要なのです。Iさんはその支援を自分から求めたのに得られず、周囲の無理解は「見捨てられた」辛かった経験として記憶されています。


(2)学校文化

ことばだけではありません。「タイ人の友達との勉強の仕方が違う。」(Eさん)と、学校が変わったことで学校文化の違いにとまどいます。Eさんの感じた違いが具体的にどんなことだったかは、わかりませんが、「宿題を写しあうことがあたりまえなのがいやだった」「授業中質問したら怒られらた」「けんかしたときの謝り方が違う」などと「ことば」だけでなく、「学校文化」や子ども同士の関係の取り方にも戸惑います。それだけではありません。こどもの世界そのものの変化が大きく彼らにふりかかります。


(3) 自分の世界の喪失
・それまで好きだった漫画やゲームやテレビ番組が突然見られなくなった。(Hさん)

Hさんが、最も印象に残っているエピソードとしあげたものです。子どもにとって、漫画やゲームやテレビ番組など、それまで大好きだったものから突然引き離されてしまい、その楽しかった世界すべてが一気に失われてしまうことは、大人が想像する以上に大きい衝撃だったでしょう。こどもにとって当然あった「今」の世界の喪失は「着れると思っていたS中学の制服が着られないとわかってがっかりした。」(Dさん)というように、漠然とそうなるだろうと思っていた自分の「将来」の喪失にもなるのです。

これまで、移動によって引き起こされた大変さについての語りをみてきました。
しかし、移動の経験のない人も含め全ての参加者が口にした大変さがありました。これはWSに参加した大人たちに最も印象に残った語りでもありました。

■「日本人」という押し付け
「日本人だから」「日本人なのに」
・いい点数をとれば「日本人だから」と言われ、できなければ「日本人なのに」と言われる。(Eさん)
・「日本人なのになんでできないの?」「日本人だからできるのが当たり前でしょう?」と言われるけど、私たちにだって得意なものと苦手なものはある。(Eさん)
・日本人だから日本語ができて当然と思われるけどそれは違うし、日本人だから日本のことを知っていると言われるけどそれも違う。(Hさん)

「日本人だから」「日本人なのに」と周囲に言われ続けた経験は移動と関係なく全員にあった「大変さ」の経験です。
今回参加したダブルの大学生たちは、学校で日本語を学んでいる人達です。ですから「日本語」の学習や成績を巡って周囲から様々な言われ方をしています。しかし「日本人」なら自然に日本語ができるわけでもないし、日本のことをなんでも知っているわけではありません。また「話す聞く」ができても「読み書き」が苦手なのはダブルの学生たちに共通してある能力の不均一性ですが、それも理解されません。それでもゼロから苦労しているタイの学生たちには「話す聞く」がどのようなレベルであれできる日本語使用者は疎ましかったり羨ましかったりすることでしょう。しかし自然習得してきた日本語だけに「自分が自然と身につけてきた日本語と、学校で勉強する日本語が違う。」(Eさん)とゼロ学習者にはない苦労もあります。またAさんは家庭内で習得した自分の日本語に不安もあり「大学に入って意識的に学びたかった」と言います。
今回の学生は日本語を自然習得する機会のあった人たちです。その人たちがそもそも、何故大学で日本語を勉強しようと考えたのでしょう。先ほど高校でタイ語の学習に苦労したIくんは「大学では少し楽をしたかった。」が動機だったそうです。高校での大変さは「将来の見通しがなくなった」ほどで「大学で自信を持てて今は元気」といいます。彼にとっては日本語は自信を取り戻すためのものでした。またDさんはWS後のインタビューで「日本語で言えるはずだったことばが言えなくなる自分への違和感を解消したかった。」と日本語学習の理由を言っています。このように、彼ら一人一人の日本語学習の動機もそれぞれ違うのです。それぞれに決して一括りされたくない様々な思いや経験があるのに押し付けられる枠づけ。その理不尽さが移動の有無に関係なく彼らが感じた「大変さ」の経験でした。

今回「大変だったこと」を軸に語ってもらいました。話題は大きく
移動による言語と文化の環境の変化
周囲の「日本人」という決めつけの理不尽さ
この二つでした。今後はさらにこれらの経験の詳細を細やかに聞き取って行きたいとおもいます。

さて、今回のWSでは学生たちが「自分を語り、語り合う」場にすることが運営側の大きなテーマでした。彼ら自身がこの場をどう感じたか、最後に彼らの感想を聞きました。

・問題は自分だけじゃないと思った。同じようなことを考えている人もいるんだと実感した。また来たい。(Aさん他)
・ダブルの仲間に会えることはめったにないので、意見や思いを話し合えることでとても勉強になりましたし、貴重な経験になりました。(Cさん他)

同じ背景の人が近くにいたとしても、ダブルだからこその問題について話せるわけではありません。ですから、話すことができる場と状況をいかにつくるか大きな課題でした。今回は、マップ作成という作業とマップという経験の視覚化で一気に対話が起こりました。このような場を企画する重要性を痛感しました。
また参加学生たちはWSの最後に、これからも会う機会を作っていきたいと連絡先を交換し、ダブルの学生の会ができました。ダブルの学生同士が集い、自分たちの話をする。ただそれだけでも大きな出会い、大切なものが見える「場」になるはずです。学生たちが自分たちの「場」をつくっていくことを願っています。
今回のこのWSは運営委員を中心に非公開で行いました。9月には当事者の声を聴く公開勉強会を予定しています。是非大勢の方々に学生たちの声を直接聞いていただきたいと思います。

IMHERAT 運営委員