タイにおける母語・継承語としての日本語教育研究会

Japanese Mother Tongue and Heritage Language Education and Research Association of Thailand (JMHERAT)

第14回セミナー「複言語・複文化活動報告 ―言語能力観の捉え直し―」第1部報告

みつめよう子どもの姿、考えよう子どもの現実

 子どもを育てる、ことばを育てる
 ―複数言語環境で育つ子どもが自信を持って生きるための言語実践―

2018年3月18日に開催した第14回セミナーの内容をこれから数回にわたってご報告いたします。今回は第1部の「複言語・複文化活動報告―言語能力観の捉え直し―」の発表概要と質疑応答、およびコメンテーターからのコメントを掲載します。
当研究会では複言語・複文化を生きる子どもたちに焦点を当て、子どもたちや子どもたちを取り巻く大人たちが参加する複言語・複文化ワークショップをこれまで4回開催しました。これをもとに、第1部では、運営委員によるワークショップの成果の報告、ワークショップに参加した教師による大学でのワークショップの実践報告、そして、ワークショップに参加した保護者による複数言語環境で育った子どもの事例報告を行いました。
以下、各発表の質疑応答から掲載します。発表概要及び発表に使用したスライドをご覧になりたい場合は、各発表名の下にある「発表概要」「発表PPT」をクリックしてください。

●複言語・複文化ワークショップ報告1
「これまでのワークショップとその狙い」 深澤伸子(研究会運営委員)
「発表概要」「発表PPT」

●大学での複言語・複文化ワークショップ実践報告
日本語教師の思い込みに気付くワーク ―言語マップ・言語ポートレート活動―」 久保亜樹(ランシット大学・研究会運営委員)
「発表概要」「発表PPT」

●複数言語環境で育った子どもの事例報告
「関わるためのことば、関わりによって生まれた成長 ―息子と私と夫の 21 年」 鈴木孝子(トレイルインター校)
「発表概要」「発表PPT」

●複言語・複文化ワークショップ報告2
「子どもたちの事例 ―複言語・複文化からトランスランゲージングへ―」 松岡里奈(研究会運営委員)
「発表概要」「発表PPT」

第1部 質疑応答 

―言語マップについて
質問1:言語マップは、実際の本人の現実世界を正確には表せていないと思うのですが。

  • 回答(深澤):言語マップは、その人にとって大切な世界が表されます。ペットの犬との世界が大切な学生は、犬との会話というのを書く学生もいますし、親との言語体験がこのマップでは書ききれない場合もあると思います。
  • 回答(石井):マップの左側は、コミュニケーションの相手を指します。だから、道を歩いている時に聞こえてくるものというよりは、伝えてコミュニケーションをして自分の意図を交換したり気持ちを表したりしたい対象のことを指しているんだと思うんですね。つまり、現実世界ではなんとなく耳に入ってくるという言葉もあると思いますが、それを表しているのではなく、お母さんととかペットとのやり取りをしたい時の言葉は何かということを表しているマップなのかなと思います。

質問2:学校の授業での英語を書いている人もそうでない人もいますが、それで良いのでしょうか。

  • 回答(深澤):このマップには自分にとっての大切度が表れてきます。心理的な部分を、マップを作成した後に、これをツールとして対話してもらえたらいいと思います。
  • 回答(石井):例えば、日本の状況では、日本の学校に入った外国ルーツの子ども達が、 学校で朝から晩まで日本語しか聞いていないと思っても、物理的にはいっぱい流れている音を「聞く」か「聞かない」かというのは、その子自身がそれを「聞こう」という構えをしない限りは耳に入ってこないんです。ですから、何年間か教室に毎日通っているのに日本語力が全然伸びないということはいくらでもありえます。周りの大人が全て日本語だったと思っていても、「ずっと日本語で考えていたかな?」などと子どもとやり取りを少しするだけでも、言語マップの結果が変わってくる気がしますし、そのやり取りも子どもにとっての経験になると思います。このワークを使った対話を通じて気付きなどのいろいろな効果が出てくる可能性があると思います。

―大学での複言語・複文化ワークショップ実践報告について
質問1:言語ポートレート活動で参加者が例に影響を受けないようにするには、どうすれば良いでしょうか。

  • 回答(久保):最初は例を見せずに描いてみて、途中でペンが進まないようであれば少し例を見せるか、教師が偏りのない例を作って見せても良いと思います。私の実践で学生の言語ポートレートが同じようになってしまった原因にはおそらく「いろいろな言語が混じっているから」「どの言語とも関わりがないから」描けないということもあると思います。描けない理由を文字で書いてもらうと個人の考えが見えてくるのではないかと思います。

質問2:言語マップと言語ポートレートを作成してもらった後、学生に何か具体的な対応をしましたか。

  • 回答(久保):ワークショップ後に言語マップや言語ポートレートを見て、疑問に思ったことは学生に個人的に聞きました。個別に話をするというのがメインで、他のところには活かせていません。ただ、ワークショップで得たことを授業にも取り入れてみることもできるでしょうし、この先何か問題が起こった時にこのように学生のことを知っていれば、うまく対処できることもあると思います。

―高校時代に言語環境が変化し苦労した大学生の事例について
質問: 苦労をした学生の話を聞きましたが、それを聞いて自分で子どもを育てる自信が少しなくなりました。ほかに成功した事例はあるのでしょうか。

  • 回答(松岡):日本人学校を中学校まで、そしてタイの現地校(タイ語と英語のバイリンガルスクール)に入ったその学生は、私は彼が大学に入って日本語学科に進んだところで出会ったんですが、今はとても元気です。今はとても幸せに生きているように見えます。友達も多いですし、友達関係で悩むことがあっても、今は彼の夢は、日本語とタイ語の通訳になることで、今は英語がもっとできるようになればという思いを抱いて、これからの人生計画を練っているところなんです。
  • 回答(深澤):つまり、人は変化するんですね。事例のKくんなんですけれども、私たちは継続して見てきました。最初は高校に入ってタイ語ができなくて大変だった、もう思い出したくもない、と言っていました。そして、大学は「楽をしたい」から日本語学科に入ったと言っていました。それを聞いて、「楽をしたいなんてなんてことか!」と思いましたけれども、彼の背景を知って、なるほどかと思いました。それで大学に入ってから、支援者に出会ったり、日本語というのを1つの武器にして、自分が支援する側になれた。私たちは変化してきた彼を見て、一昨年この研究会で、大勢の大人の前で発表してもらったんですね。この言語マップを書いてもらって。その時に最初に私が最初にインタビューした時とは全然違う語りが出てきました。最初は、「将来はどこで働くかわからない。タイで働くのに自信がないから、日本で働きたい」と言っていたんですけれども、それから5ヶ月後に大人の前で話をしてもらった時には、「働くところはどこでもいい。」という風に変わってきました。それはやっぱり、色々な人との関わりや、自分がやったことへの評価が、重要になるんだと思います。

―複言語環境で育った子どもの事例報告について
質問:インターナショナルスクールに通っている日本人の両親を持つ子どもに学習言語を習得させるのに、家庭での英語のサポートは必要ですか。

  • 回答(鈴木):これは年齢にもよると思うんですけれども、小さいうちは算数であれ英語であれ宿題であれ、親がしっかり、学校が何をやらせようとしているのかを考えて見てあげるのがいいと思います。ですから、手伝って完璧に宿題をさせるのではなく、何をしているのかということに関心を持つことが大切だと思います。私自身の場合はできる限り手伝いました。提出をさせる時に「ここからここまでは親が手伝いました。これはこう間違えたけれども、親がこう教えました。」という風に全部コメントを入れました。そうじゃないと完璧な宿題を出して、先生がこの子はここまでできていると思ったらとんでもないことになるので、そのくらいでいいと思うんですね。英語を習得させるために日本人の親がしてあげられることは限られているので、英語のサポートというよりも内容のサポートですね。言語のサポートはもう学校に任せるといいと思います。
  • 回答(深澤):学習言語能力の習得は何年もかかるんです。焦らないで、家ではむしろお母さんお父さんの母語で十分な体験をさせてあげるのがいいと思います。
  • 回答(鈴木):英語の本はたくさん読まされるんですが、子どもが読む本は自分も読んで、内容を聞いたり、一緒に読んだり、話し合ったり、報告させたりしました。

〇舘岡先生からの感想
※舘岡先生は本研究会の第1回目のワークショップから講師として参加してくださっています。

【1】お互いがリソースであるという気づき
第1回目のワークショップのときは言語マップ活動だったのですが、参加している皆さんがこういう風に相手によって言語を変えていくんだということがはっきりとわかって、とてもインパクトがありました。また、今でも印象に残ってるのは、家族にとって共通語が必要かということが議論になった時があるんですね。うちはモノリンガルなので考えたこともなかったんですが、共通語がないということがあるんですね。その議論の中で、参加している人たちがお互いのリソースになっている、つまり、そういう場を作ることによってこそ、学べることがいっぱいあるんだということを大変体験的に感じました。

【2】語り合うためのツールだという気づき
「複言語・複文化」というのは、私たちも本で読んで学んでいるし、自分自身はモノリンガルだけれども、そういうことは理解はしているつもりだったんですけど、本当にごちゃごちゃなんだなということがよくわかりました。私の中ではマップを書いたら3色ある、とかそういうイメージだったんですけれども、ある学生さんが喉の所に、黒でぐちゃぐちゃって書いていましたね。この黒でぐちゃぐちゃというのは、自分が何語を話しているかということを、切り分けて整理していないということだったんですね。ですので、さっきのご質問にもあったように、友達には全部日本語かとか、誰々さんには何語とか1色にできるかというと、そうではなくて、かなり混沌としているんですよね。だから、可視化できる材料として、マップはとてもいいと思います。そして、石井先生が先ほどおっしゃったように、マップはツールなので、「マップを完成させる」ことに意味があるんではなくて、書くプロセスで気付いたり、書きながら、「あ、1色にできないんじゃない?!」などを、語り合うためのツールなんだなということを感じました。

【3】そもそも人が言葉を学習する目的への気づき
私が普段している、日本に来た留学生に日本語を教えるというのは、教室の中で教科書もあります。「て形」とか「行く」とか「帰る」とか、そういう単語を教えて、活用を教えて、そういうのが日本語教育だと思っている人もたくさんいると思うんです。それは、先生ばかりではなくて、学生もそう思っているみたいなんですね。ですけれども、そもそも人はどうして言葉を学ぶのか、という現象的なことをすごく学ばせてもらいました。というのは、この言語マップのプロセスでもわかるように、「相手に伝えたい」から、その言葉が増えていくんですね。例えば、タイで生活している子どもさんで、お父さんもお母さんも日本人で、日本語でお家で話をしていて、学校にもまだ行っていない、幼稚園にも入っていないという子どもは、日本語ばかりの世界かというと、そうではないんですね。その子がタイ語を話すのはなぜだろうと思ったら、お手伝いさんとかベビーシッターさんがいて、言葉を使う必要があるわけですね。だから、言葉を学ぶっていうのは、「伝えたい」、それから「分かり合いたい」ということ。それが、言葉の学習の原初的なことで、これは当たり前のことですが、この活動を通して改めて気付かせてもらいました。どうしても、学校に入ると学校的な習い方で、規則があって、教科書があって、それを頭の中に詰め込むのが、言葉の学習になってしまいがちなんですけれども、なぜ言葉を学ぶのかっていうのを、日本語教師である自分も、もう一度考えてみたほうがいいと思いました。

【4】研究会を続けていくことの意義
研究会というのは、教えてくれる人がいないんですね。先生のように見える深澤先生も、深澤先生が知っている経験には限りがあるし、結局は親同士、または当事者同士が繋がって、自分達同士で教えあって、学びあっていくっていうことしかないんだと思います。そして、それが最高の学びの場なんだなというふうに思います。是非こういう活動に、色々な立場の人が参加してほしいと思います。そして、日本語教師である私にとっても、とても学びがあり、言葉の学びについての考え方もずいぶん変わってきているので、誰かから学ぶということじゃないんだなということに気づかされました。言語マップも第1回以来、どんどん進化しているんですね。それは、この研究会の人達が、当事者の子どもや学生たちへのサポートの仕方を、真剣に考え続けているからだと思うんですね。是非このような場を続けていただきたいと思います。

〇石井先生からの感想
※石井先生はご主人が韓国人で、成人されたお子さんが2人いらっしゃいます。昨年のセミナーで親としての経験を伺いました。詳しくはこちらをご覧ください(http://d.hatena.ne.jp/jmherat/20170715/p1)。

【1】パターン化するのではなく、状況を見て判断すること
昨年タイで多くの方のご協力を得て、長時間のインタビューをさせていただいいて、色々伺った話を振り返ってみると、本当に多様性が大きいと思いました。モノリンガルだって当然、多様性があるわけですが、私たちモノリンガルで育った人間は、バイリンガルとかトライリンガルとか多言語の人たちをパターン化してこうなるはずと思っているようなところがありますが、現実はそれぞれの家庭によって本当に千差万別な状況ですよね。だから、パターン化して「こうすれば、こうなりますよ」ということではなく、本当に多様で、どんどん変わっているということを自覚しました。その中で、親御さんが、この状況を必死でとらえようとして、まず始めからルートを決めて、最初はたぶん子育てをこうしていこうというイメージがあったのかもしれませんが、子育てを始めてから、実際によく聞く話とは違う現実というのを、自分がどういう風に受け止めて行ったらいいかということを、ずっと試行錯誤していくという、そういうプロセスだったという語りがありました。そこを、私はものすごく大きいことだと思っています。本などを読んでいると出てくるような、いくつかの類型みたいなものは、もちろん何かの役には立つんですが、実際に子どもを育てていくというのはそのパターンに乗せていくという話ではなく、そういう知識はあっていいんですが、むしろ目の前にいる子が、今どういう状況になっているのかということに、ちゃんと視線を向けることが大切ですよね。それぞれの方が、私から見ると、本当にダイナミックな選択を様々なタイミングでやってらっしゃいます。その時にその子が今どういう状況であるかを把握し、自分がどういう将来像を描いているかということだけではなくて、現在の自分の家庭がどういう選択肢を持っているか、どういうサポートができるか、それから自分の家庭だけではなくて親戚といったことも含めて、子どもたちがどういう風に動いていけるのかということを非常によく見通すことが大切だと思います。それは必ずしもそのまま予想通りにはいかないんですが、自分が自覚して決断したことというのは、それがうまくいかなかった時に戻る場所を持っているんですね。なんかどこかで聞いてきた、こういうことがいいとかいうことをただ信じて、それをやってしまった時に、うまくいかなかったらどこに戻ってやり直したらいいかわからないわけですね。
インタビューに答えてくださった方たちは、いろんなことをやってきて成功したり失敗したりって個々の事例についてはいろいろ思いがありました。その方たちのプロセスや葛藤してきたことについての語りを聞いていた時に、やっぱり夫婦でそのことを相談したり、他の人に相談したりというそのプロセスの中で自分はなぜそれを選んだのか、何を期待していたのかということをとても深く振り返っていらっしゃる方たちだという印象を受けたんですね。そのことが丸ごとうまくいくわけではなく、いろんな選択のやり直しをしています。その時にそれまでにうまくいったことやうまくいかなかったことをなぜそうかと問うといったように、自分をたどり直すことができて、もう一度決断のし直しをしている、そのことがとても大きい意味があるという風に思います。

【2】子どもの成長に終わりはないということ
まだほとんどの方たちは子育ての進行形のところにあって、それはたぶんそれぞれの人生が終わるまでどうなるか分からないというくらいの話だと思います。悩んでいたとしても、結果が見えてしまったという話ではなくて、子どもが成人になったとしてもまだそこからいくらでも言語選択や言語習得もありうるということがとても大事な部分だと思います。

【3】複言語だけでなく、複文化の視点も持つこと
私自身は、いわゆるモデル的なバイリンガル子女を作ったということがもし成功だとすると大ハズレな家庭で、子どもの韓国語は大して伸びなかったんですが、結構驚いたことは小学校ぐらいの時、私の知り合いと一緒にご飯食べようという時に「カレーのおいしいお店がある」という話になり、友人が息子に「そんな辛いの食べられないんじゃない?」と言ったんですね。すると、息子は「え、韓国人だから辛い物大丈夫」と言ったんです。他にも、ある人が「ハーフ」だということが分かると、その人に「え、同じ!私も!」というようなことをパッと言うんです。私は意外と、家に外国人がいるということを普段忘れていて、「うちにもいたんだ!」というぐらいの認識なんですが、言語的にはモノリンガル環境にいる子どもたちは自分のアイデンティティを言語力とは無関係に、自分が繋がってる何かがあるということを非常に強く感じていたんです。もちろんことばというのは心の動きをより豊かにする上でものすごく大きい要素だと思いますから大事にするに越したことはないんですが、向こうの親戚との付き合いが非常にスムーズで、言葉わからなくてもなんとか居心地が悪くないという関係が保てていることは大切だと感じました。ですから、複言語・複文化の「文化」の方を忘れずに、人とのつながりとか自分のバックにある様々な社会的な環境とか要因とかそういったものも常に意識しておくことが子どもを育んでいく立場としてはやっぱり重要なんだということを、インタビューでお話を伺い、自分のことを振り返りながら考えました。

次回は第2部の報告を掲載いたします。
(JMHERAT運営委員)