タイにおける母語・継承語としての日本語教育研究会

Japanese Mother Tongue and Heritage Language Education and Research Association of Thailand (JMHERAT)

第14回セミナー 全体質疑応答とまとめの報告

みつめよう子どもの姿、考えよう子どもの現実

 子どもを育てる、ことばを育てる
 ―複数言語環境で育つ子どもが自信を持って生きるための言語実践―
 

2018年3月18日に終了した第14回セミナーの4回目の報告をします。
今回は、最後のまとめとして行った全体質疑応答を掲載します。

全体質疑応答報告の前に
第2部の質疑応答場面で「子どもがどうすれば自信が持てるか」という質問があり、その後の休憩中も発表者の間で話し合われました。バイリンガル教室からは「親が子どものことばを否定しない態度が、子どもの自信、肯定感につながると感じた」、また、NISTの大倉さんからは「個人が自分を表現し発信することが重要だが、クラスメートや教師という周囲がどう評価するかが大事。個人の表現を受け入れ、評価する環境として学校の環境を創っていくことが大切」というコメントがありました。
では第3部、全体質疑応答の報告をします。

《全体質疑応答》

ー質問1:複言語・文化をバックグラウンドに持つ人(特に学生・大学生)は、どういった場面でアイデンティティを求められるのか?

誰もがいろんなアイデンティティを持っている

  • 石井:アイデンティティというのは、一人一個持っているというものでは全然ない。一人の人間はいろんなアイデンティティを持っていて、ある場面で、自分とここはとっても似てるな、共感できるなという側面を持つ。その共感が持てたところで、私はこういうアイデンティティを持っているんだなというのを認識するもので、モノリンガルだろうとなんだろうと、アイデンティティが一個しかないなんてことは絶対にないです。例えば私も、時々職場の人たちと色々話ししながらすごくずれている自分を感じて、「みんながそれが日本人だよね」と言うと、「じゃあ私は日本人じゃないんだ」と思ったりすることもあれば、男性とか女性とかその感覚の差で何か違いを感じて、「自分はこういう人間だな」と思ったりします。また、出身の地域で共有した経験があるということで共感できたり、そうじゃない人もいるでしょうし、様々な側面でアイデンティティというものは現れ、意識されるものです。だから、モノリンガルか、たくさんのバックグラウンドがあるかということは関係なく、アイデンティティに関してはどの人も同じような状況だと考えています。
  • 深澤:子どもたちの例で言うと、周りから「日本人なのに」というように、民族アイデンティティとことばのことで言われ続けるから、そこにこだわってしまう。こだわらされてしまう。でも本当は、「サッカーが好きな私」が一番アイデンティティの束の中で強いかもしれないし、いろんな要素があります。

外から付与されるアイデンティティをどうするか

  • 池上:外から付与されるアイデンティティというのがあります。本当はアイデンティティを自分から主体的に選び取ることができれば、そこに迷いとか痛みがあったとしても、「何人だ」「何々語がどのぐらいできる、なんとかさん」とかではなく、そうであったとしても、自分が主体的に選び取ったものであれば、その子はそこに足を置けると思います。そうではない場合、つまり自分は日本人としてのアイデンティティにあまり重きを置いていないのに、他人から「だって両親日本人でしょ」と言われた時に、本人は「違うんじゃないか。」と思ったりする。外から付与されるものを、どうやって再構成したり、選び直したりして、自分のアイデンティティを選べるかが多分目安なんです。そこに、ことばというのが関わってきますので、複言語環境であれば、関わる要因が多くなって、大変な思いをすることはあるかもしれません。しかし、それは石井さんが言ったように、私たちモノリンガルであっても、年を経たり、私も足が悪くなった時になかなか受け入れられない時期があって、今現在わたし自身も再構築中です。こういうことはあるんです。「だから大丈夫」というのは無責任な言い方かもしれませんが、そうやって「アイデンティティの再構成や選び直しは、みんながやっていることなんだ」と、見守ることや手伝うことが、大事なんじゃないかなと思います。

ー質問2:成長過程にある子どもと大人とで新しい言語との接触で起こる反応は違わないか?

大人も子どもも常に変化の過程にある

  • 池上:成長過程にある子どもと、大人の言語との接触で起こる反応については、もちろん成長過程にありますから、違います。でも、今日の話の中でもたくさんあったように、どうやって発達過程にあることをこちらが認めて一緒に進んで行くかということです。大人も一応発達をしている途中です。生涯学習ですから、迷うことやアイデンティティの再構築が起きます。ですから、言語接触の面での言語習得という意味では違いはありますけれども、人としての成長というところでは、大人も子どもも共通点も多いんじゃないかと思います。

ー質問3:思春期の子が言語マップや言語ポートレートで自分をさらけ出すとことに抵抗はないか?

  • 池上:思春期の子どもたちのナイーブさというのは、何語をどのように使っていても同じですよね。その時に言語マップや言語ポートレートで自分をさらけ出すことに抵抗がないわけではないと思うんですが、意外と、活動だから言えることもあったり、親には出さないけれども仲間には出すとか、仲間にも親にも出さないけれども、斜めの関係の中では出すこともあります。

大切な斜めの関係

  • 池上:関係性は、縦:親や先生、横:友達、そこだけでは完結しなくて「斜め」というのも非常に大事で、この「斜め」というのは、親ではない大人であったり、いつも同じコミュニティーにいる友達ではない友達、であったりします。そこの中で出せることっていうのもあると思いますし、さらに、それは親と話している言葉ではない言葉、友だちと話している言葉ではない言葉が出てくる。そういう意味では今も言ったように、縦横+斜めの関係性を準備していく、作っていくことが大事だと思います。バイリンガル教室は、この斜めの関係性を上手に作っているんだなと思いました。言語マップや言語ポートレートに関しては、認識の問題ですから、事実を追求するものではないので、子どもたちが自分の言語にどういう認識を持っているのかということを表している。だからもっと言うと、抵抗感を持つことはあっても、自分の認識を出さないということもある。だからこちらは、マップを子どもたちが出してきたものとして、受け止めて、やり取りをするということが、非常に大事じゃないかと思います。今申し上げたように、複言語・複文化の環境にあるからこそ、子どもたちも非常にこの関係と格闘しながら生きていて、大変なことはたくさんあるのだろうと思います。

ー質問4:複言語・複文化の環境で、論理的な思考の能力を伸ばすのは難しいのでは?

  • 池上:そのように考えると、一つの言語に接する時間をもっともっと増やすべきという悩みが出てくるかと思うんですけれども、もちろんそういうことで一つの言語での思考力を伸ばすということも一つの方法ですけれども、「複言語・複文化の子どもだから目指すべきこと」があると思います。

ー質問5: ネイティブって何ですか?

複言語・複文化で育つ子どもに何を目指させるのか

  • 池上:今日の前半からのセッションで、私たちは「100%」を必ず子どもに目指させるのか、私たちも目指すのか、ということを考えさせられました。「ネイティブスピーカー並み」と言った時のネイティブって、誰がネイティブなんでしょうか。モノリンガルでも、しゃべるのが上手な人もいれば、言っていることがわけのわからない人もいますよね。じゃあ、誰をネイティブの規範として置いて、それを目指すことが正しいと言えるのか。そこを考えなければいけないのではないでしょうか。

ことばを育て、思考力を育てるために必要なこと

  • 池上:子どもたちにどんなことばかけをすると子どもたちの語彙力が伸びるか、という研究があります。「何々しなさい」「何々しちゃダメ」「こうだよね」という、断定的で、縦の関係性だけの声かけをしてやるグループよりも、「どうしてかな?」「どう思う?」「一緒に考えてみようか」「なんでなんだろう」という、ことばかけをされるグループの子どものほうが、語彙のテストをすると伸びてくるということがあるんです。後者の声掛けでは、子どもたちと大人が一緒に考えていって、最後には「じゃあどう思うの」と、主体性を子どもに渡してしまうんです。つまり思考力が伸びるということは、そのことばかけに対応して、子どもがものを考えることになります。ですので、複言語の環境の場合は、子どもが今どの言語に直面しているのかということを、親が色々考えながら状況を見定めて、「どの言語で」ではなく、「どういう言葉かけをしていくか」と考えて、思考力の伸びの芽を作ってあげるかを考える。そうすれば、複言語でもそんなには怖くはないんじゃないかなと思うんです。

ことばが育つのは共同作業が成り立った時

  • 石井:色々なご質問を聞いていて、ことばが育つ、ことばを学ぶ、ということを個人作業という風に思ってらっしゃる方が多いのかなと、ちょっと心配になったんですけれど、ことばが伸びるというのは間違いなく共同作業が成り立った時なんですね。誰かと関わって、そこで自分が何かを感じたとか考えたっていう時に、それをいろんな手段で表出します。そのことが相手を確認したい、相手も共同作業だと、自分の考えていることと同じかな、とか、違うのかな、ということを確認したくなる。だから、そこでことばが必要になるわけですよね。今日紹介のあった「ねこのピート」*1とか、高校の授業もやっぱり具体的なものを作っていく作業があるから、自分たちの目標が同じかとか、相手が感じていることとか思っていることは、それでいいかということを確認するという、まさに言語活動がそこで発生するわけですよね。

ー質問6:テレビはどのように見せるのが効果的か?

  • 池上:そうすると、テレビはどのように見せるのが効果的かという質問にはどう答えますか。まあ、見せっぱなしではなくてということになると思いますが。
  • 石井:さっきも、「ねこのピート」を読んでおしまいじゃなくて、それをどう自分が感じたか、それで何を連想したかを、絵でもなんでも描いてきたら、「何でこの絵かいたの?」と一言聞くだけで、それは自分がかいたものだから相手に伝えたいと、一生懸命何か伝えようとしますよね。で、うまく伝わってこなければ、「こういうこと?」「こういうこと?」と、そこで助けるというのが自然にできますよね。そのやり取りの中で自分の感じていることに適切なことばが降ってきたら、「あーそうそう、それそれ。」という風に自分の中で取り込むことができる。それはもうただの「言葉」ではなく、自分のこの気持ちに合致した、「自分の思いそのものを表すもの」と、ストンと落ちる。そういう経験を子どもとどれだけやれるかということが、映像や、動作、ダンス、なんでもいいんですけれど、そういう別の媒介もふんだんに使って、特に年齢の低いうちはやってあげるっていうことが、まさにことばの育て方になると思います。
  • 池上:テレビとかビデオとかを見せてはいけないということではなくて、見せっぱなしだとただの刺激にしかならない。その刺激に、私たち周りの者がどうやってやり取りとして関わっていけるかということが大事だと思います。

ー質問7:ダブルの子どもを育てる自信がなくなってしまいましたが…。

ダブルだから子育てが大変ということはない

  • 石井:ダブルだから子育てが大変ということは、全然ないんじゃないかと思います。私も国際結婚で、ダブルの子どもを育ててきましたが、韓国の従妹たちと仲良くじゃれて遊んでいてもまるで言語化のない状況で育ってきた息子が、高校を目前にした時に自分が家族の中で韓国語がわからないということに気がついたようで、突然、「僕は韓国語が勉強できる高校に行きたい」と言い出して、都内にある韓国語コースがある学校に入りました。子どもというか、人というのは成長していくので、どこでどういうきっかけで切り替わるかわかりません。やっぱり、韓国語世界が、韓国語社会が、自分の近くにあったから他の言語じゃなくて韓国語をやりたいと言ってきたわけですね。学校ですから、文字の読み書きからきちっとやってくれるので、私はあっという間に抜かれました。特にずっと聞いているので発音がすごくいい。私が知らない韓国語が出てきたとき、私が一生懸命夫に、「なんとかってどういう意味?」って聞いても、「え?え?」と何回も聞き返されて、発音がわからないと言われるんですが、息子が言うと、すぐに聞き取ってもらえる。例えばそういう風に、(能力の)一発逆転なんていくらでもあります。娘は娘で、そんなに高い能力は持ってなかったんですが、仕事でできた方がいいなって思ったらしく、25くらいの時に韓国語を勉強をし直そうかなと言い出しました。

子どもたちは身につけてきたこと、得た物を考えながら次のステップの可能性を見ていく

  • 石井:つまり失敗とか成功ってどの段階で決めるのか、人の人生ここまででおしまい、って言っちゃうのは、親でも絶対ありえないと思うんですね。その人は自分の今まで経験したこと、身につけてきたこと、環境として得た物っていうのを考えながら、次のステップの可能性を見ていく。これは、学生たちを見ても、自分の子どもを見ても、ここでおしまいということも、成功・失敗なんてことも全然ないと、本当に実感しています。子どもを見ている時に周りの子と比べてしまって、同じところで線引きすると、優劣が出てきますけれど、その後どういう展開になるかは千差万別で、親であっても、この子の人生失敗なんてことは絶対言えないです。そこは自信を持っていいんじゃないか。親が楽しい。この子と一緒にいて楽しいと思う。そういう家庭であれば、もう子どもは「いい」ですよねと思います。

苦労すること、試練を受けることと、不幸とは違う

  • 鈴木:私の今日の話を聞かれて少し暗い気持ちになったということであれば、すごく責任を感じています。確かに私も心配続きでしたし、息子も苦労し、高校の時などは何度も涙を流しました。でも決して彼は、不幸な人生を送ってきたわけではないんですね。苦労すること、試練を受けることと、不幸とは違うと思います。彼は常に幸せな人生を送ってきたと私は感じますし、それは私と夫が夫婦仲がとても良くて、それで常に息子を一緒にサポートしてきた。自分には帰るところがあるんだ、何をやってもどんな失敗をしても受け入れてくれる親がいるんだ、っていう安心感があったから、彼は試練も耐えられたと思うんですね。

一番大切な人から褒めてもらうことが自信に繋がる

  • 鈴木:今彼はとても自信を持って生きています。もちろん100%じゃないです、3つの言語が。それでも3つの言語を自由に使って、人生を謳歌してるんですね。自信というのはやっぱり一番身近な、一番愛している人から認めてもらうことで、自信ってつくと思うんです。ですから、うちの息子は出来が悪かったですけれども、私は常に、「君は選ばれた人なんだよ」「君は世界で一番の子なんだよ」「ママは大好きだよ」と言い続けたんですね。もちろん叱ることもしました。でもちょっとでもできたら褒めたんです。「すごいね」と。それを積み重ねて、彼は自信を持てるようになったと思うんです。ですから一番大切な人から褒めてもらうということが自信に繋がるんだと思います。
  • 深澤:中には家庭に恵まれない子がいます。そういう人にとっては、先生が一番身近な嬉しい存在になるのかと思います。そこに、教育の場の可能性もあろうかと思います。

縦・横・斜めの関係に支えられる自己肯定感

  • 池上:自信というところですよね。「自己肯定感」というのがキーワードじゃないかと少し前にお話しした(当ブログ3回目の報告、「3つ目の意義−子どもの自信につながる実践:プロセスに込められている自己肯定感」)んですが、そうやって自己肯定感が作られていくということだと思うんですね。じゃあ私がどうかと言うと、ダブルの子どもを持っているわけでもなく、子どももいないんですけれども、私は2年半ほど前の手術で後遺症が残っていて足が不自由なんですね。あるとき言語化できたのが、「私は不便だけど、不幸じゃないな」って思ったんです。そういうふうに言語化したときに、なんで不幸じゃないんだろうと思って。やっぱりめっちゃ不便なんです。痛いし、動けないし。タイに来た時は深澤さん(本研究会代表)と一緒に、いろんなところに行ったりしてたんですけど、今はできない。だけど、それは不便ですけれども、不幸ではないというのは、誰かが助けてくれたり、誰かが一緒にこれをやらないかと言ってくれたり、今回ここに呼んでくださったり、お話を皆さんとしたりということができるので。つまり、「誰か」がいないと、不幸じゃないと思えなかったと思います。そういう誰かになる、これは縦の関係、斜めの関係、横の関係どこの関係でもいいから、そういう誰かになることによって、子どもは自信を持って自己肯定感を持てるんだと思います。

私たちも自己肯定感を持って

  • 池上:だから親御さんが自己肯定感を持ってなかったら、どうなるんだろうと思います。もちろん「持てる」ということは、私がスローガンのように言うことではないですけれども、今現在悩んでいる事を、どうやったらもう少し、不便でも、不幸でもない、「私はこれでいける大丈夫」「これがいいんだ」と思えるようになれるのかというところにキーがあると思います。もちろん子どもに自己肯定感を持たせることも大切ですけれども、私たちも周りの者として、どうやったら自己肯定感を持てるのか。子どもには自己肯定感を持って接していこう、というふうに考えて、そうやって行きませんか。それが多分、今日のテーマである「自信を持って」ということじゃないかなと思います。

昨年から始まった実践セミナーは96名の参加者を迎え、無事終了いたしました。当ブログでも終了報告を始め、第1部、第2部、そして、今回の全体質疑応答と報告しました。第1部は複言語・複文化活動を通じた言語能力観の捉え直し、第2部は、体験とことばを重視した言語活動実践報告、そして全体質疑応答では、参加者の質問を軸に、講師、発表者の方々からコメントいただき、複言語・複文化状況を生きていること、言語能力観の捉え直し、そして、子どもたちの自信、自己肯定感、それを支えるわたしたちの自己肯定感について、ともにより深く考える機会となったのではないかと思われます。今後も、さらに複言語・複文化の流れは大きくなることと思われますが、わたしたちはいつも、子どもたちとも大人とも、縦、横、斜めの関係で支え合っていきたいと思っています。

JMHERAT運営委員

*1:*バイリンガル教室の活動の軸にした絵本「ねこのピート」のこと