タイにおける母語・継承語としての日本語教育研究会

Japanese Mother Tongue and Heritage Language Education and Research Association of Thailand (JMHERAT)

2018年8月ワークショップご報告第2回

第2回報告では、8月26日のワークショップ全体の様子と参加者たちの描いた言語マップと関係性マップを紹介します。

■ワークショップ・当日の活動の流れ

12:00〜開始
12:05〜複言語・複文化とは(舘岡洋子)
12:18〜言語マップ作成・グループ内共有
13:20〜言語マップ全体共有(気づき1)
13:45〜関係性マップ作成・グループ内共有(気づき2)
14:50〜ポスター作成(言語マップ・関係性マップ・大変/幸せポストイット
15:10〜全ポスター全体共有(気づき3)
15:35〜全体まとめ・複言語・複文化能力について(舘岡洋子)
16:30終了

■言語マップと関係性マップ
今回のWSでは、「言語マップ」と「関係性マップ」の2つのワークを行いました。これら2つのマップについて語り共有することで、自分の複数性を実感し、複数の言語と文化で生きる人間が持っている能力、複数性をリソースとして目指す能力について考えました。

◇「言語マップ」
言語マップは自分の言語経験を描くものです。自分の言語使用経験を可視化し、複言語・複文化を生きる互いの経験を共有することを目的にJMHERATで開発しました。縦が言語使用場面、横が経験の時間軸です。言語は色別に
 タイ語(青)
 日本語(ピンク)
 英語(黄緑)
 その他の言語(黄色)

・言語マップ活動の流れ
  1 自分マップ作成+「大変/幸せ」シール貼り
  2 ひとりひとりマップ・大変/幸せシールの解説
  3 「大変/幸せ」をポストイットに書き出す
  4 マップを壁に貼り出して全体共有

◇「関係性マップ」
現在の言語と人とのかかわりを描くものです。現在の人との関係性の視点で言語・文化体験を見直すことができます。言語と人を色で示します。
 タイ語(青)
 日本語(ピンク)
 英語(黄緑)
 その他の言語(黄色)
・人とのかかわりは線の太さと種類で表します。種類は実線と点線があり、実線はかかわりが強い相手、点線はかかわりが弱い相手を示します。
・マップには大きい円が3重にひいてあります。内側から「毎日」「時々」「たまに」と会う頻度を示しています。

・関係性マップ活動の流れ
  1 自分マップ作成
  2「大変/幸せ」をポストイットに書き出す
  3 ひとりひとりマップの解説

◇「言語マップ」と「関係性マップ」の詳しい説明はこちらをクリック(説明

◇ポスター作成と全体共有
グループ内での共有が終わったあとは、グループごとに2つのマップと「大変・幸せ」ポストイットを張り出し、ポストイットをカテゴリー化し名付けを行いました。これは、似ている悩みや大変さを持つ/持った人たちと、複言語・複文化環境で育ったからこその大変さの発見をしたり、悩んでいるのは自分だけではないという発見をしたりするなど、その悩みや大変さを共有するために行いました。そして会場全体を前半と後半にわけ、全体共有を行いました。その際、「もっと話を聞いてみたい」と思うマップに投票をしてもらい得票数の多かった3名に登壇発表をしてもらいました。


■参加者のマップ紹介
参加者が描いたマップをいくつか紹介します。この方々にはワークショップ終了後フォローアップインタビューをし、ご本人に了承を得て掲載しています。

1.大人になってから移動したGさんのマップ
Gさん(20代 男性) 父親:日本人 母親:日本人
父は元プロ野球選手。アスリート一家に育った。5歳の時にアメリカにメジャーリーグを見に行って衝撃を受けメジャーリーガーになることを決意。将来のためにと親に頼んで英語を習い始めた。小学校3年から単身夏休みに渡米し野球教室に通うことを繰り返す。小・中と世界大会で渡米することもあり、様々な国の人と交流した。5歳から野球一筋だったが、高校3年の夏、選手としての限界を感じ将来の目標を転換することを決意。指導者の道を目指すことにした。最初は高校球の指導者を目指したが、次第に成長過程にある子どもたちに自分の持っているものを伝えたいと考えるようになった。アメリカで色々な国のコーチ達に励まされたことも思い出し、次は自分が海外でと考えタイの幼稚園に就職を決めた。タイに来て現在2年たち、タイ語も少しずつ話せるようになってきて仕事もプライベートも充実している。

両親、弟とは強い関係。お互いライバルである。自分は父親に負けたくない、弟は兄に負けたくないと思っているだろう。離れているが常に意識していて、濃く緊張感のある関係。親戚の中では母方の祖父が特別な存在。子どもを子ども扱いしない一人の人間として扱ってくれる。今、幼稚園教諭をしていてこの祖父の教育観を受け継いでいると感じる。

【マップを描いた感想】
言語マップを描いて言語や文化体験をいろいろ思い出した。(関係性マップを描いて)言語的には日本語と英語とタイ語をバランスよく話しているなと感じた。言語能力が向上することで、友人の輪が広がったように感じる。家族とは離れているもののタイで自分のことをサポートしてくれている人がいるおかげで、特に不安も無く生活できていることがわかり、改めて回りの方々への感謝の気持ちが強くなった。自分が言語を勉強する最大の理由が、友人や知人の輪を広げるためということにも気づいた。今後は、英語とタイ語をもっと勉強して、さらに意思の疎通が図れるようにしていきたい。


2.親が描いた子どものマップ(母親Sさんが描いた娘Mさんのマップ)
Mさん(11歳女子、インター校)
父親:日本人 母親:日本人
日本で生まれ2歳になる前にタイに来た。色んな人がいるのが当然と思ってほしいと思い幼稚園からインターに入れた。母親は英語圏の人とは英語で話すので、アパートの人などと母親が英語を使うのはずっと聞いている。情報の欄はテレビは見ないので関わる人のこと。日本語本の読み聞かせは毎日していた。娘にとって大変だったのは妹が生まれた時だったと思う。親と話すのは日本語だが、最近はあらゆることが英語になってきた。学校だけでなく、家に帰ってきても妹とも英語で話し、親に話しかけるのも英語になってきた。日本語で言ってと言うと「もういい」とやめるようになったが、英語でいいというと話すので、日本語にだけフォーカスしてはいけない、「子ども」(自身)にフォーカスしなければいけないと感じ、言葉でなく子どもの話を聞くようにした。

日本人の友人とは日本語。学校ではどの国の子どもとも英語。英語でも日本語でも大人によく話しかける子どもだった。たくさんの人を描いたが10年間で周りは動いていくので友人は色々なところに拡散している。個人的に行き来するような仲良しはいなかったし、親が連れていかなければ子ども同士の行き来は起こらず、タイでは親と関係ないところで交友関係が作りにくい。学校が小さく1クラスしかなかったため関係性が固定され、自分にとって楽しい関係を作れる友人に会えず一人で本を読んで過ごしていたようだ。今年8月本人の希望で大きな学校に移動。自分から言い出したところに意欲を感じ後押しをした。これを描いた時は学校を変わってまだ1週間しかたっていなかったので古い学校での関係性を描いた。いろいろな関係があるがここに娘の楽しさの基盤はあるのか疑問があった。

今の学校には電車通学ができるので待ち合わせて一緒に通う友人ができ、友達のことをよく話す。今の子どもの関係性を描くとこのようになる。変化した日常の生活の関係性だけ描いた。今は学校の世界が線で結ぶというより娘と面で重なっているような親密な関係で様々な人との関係があり、楽しさの基盤が学校にあると感じる。本来の自分の興味を共有できる関係ができ、またたくさんの人に出会える環境で自分の新しい興味や可能性をいろいろ見つけたようだ。学校が重要な空間になったことを痛感する。独り立ちの第一歩。年齢もあるが環境の変化が大きいと感じる。母親の自分が日本語使用にとらわれず娘の話に耳を傾けられるようになったたことで彼女の自主性が出て、環境の変化に相乗効果が出たと思う。

※転校しても言語マップでは言語使用の変化はない。しかし、学校での関係性は大きく変わった。言語の種類は変わらないが、誰と何のためにことばを使うか、使用の中身も意味も大きく変わり、変わったことが関係性マップを見るとよくわかる。

【マップを描いた感想(親の視点からの感想)】
自分はこう思っているが娘はどうなんだろう、自分と娘を同一視していたのではないかと思う。また、私の中の日本人のイメージと彼女のイメージはかけ離れていて、日本人だからこうあってほしいというのは私の人生を中心にしたイメージ。でもそれとはまったく違うイメージが娘には広がっていて、娘は私の理解を超えた世界を生きていくことになる。すでにそうなのだろうなと実感している。これまでは、娘の日本語使用が減ってきていることに不安を感じ、なんとかして日本語を使い続けさせなければ、どうすればいいのか、と思っていたが使用言語にとらわれず、娘の話に耳を傾けたいと思う。


3.子どもの時から3か国を移動したTさんのマップ
Tさん(26歳 男性)父:日本人 母:タイ人
日本で生まれ5歳でタイへ。小1の時に再び日本へ移動。日本では親子3人でいる時は日本語だった。小5の2学期に再びタイへ。一気に言語環境が変わっても嫌なことはなかったがタイ語の読み書きができなくて苦労した。先生がマンツーマンで小1レベルからタイ語の読み書きを教えてくれ約4か月で小6の教科書に達した。クラス3人の小規模校だったのですぐに溶け込めた。日本人の先生もおり日本語を使いたいときはその先生と話した。中3でアメリカに行った時が本当に苦しかった。ブルックリンの黒人地域でアジア人一人だけで浮いていた。半年後ダラスへ引っ越したが、ダラスではまず語学学校で半年英語を勉強してから学校へ入った。英語ができるようになって友達ができるようになった。幸せマークが付いているのは、高2の頃。その頃には学校の内外で色々な友人ができ、高校を卒業するころには本当に溶け込んだと感じた。大学の頃には英語と自分の考えとのずれはあまり感じなくなった。卒業してビザの関係でアメリカではなくタイで就職。タイ帰国は不本意だったが、今の仕事は3つの言葉と文化を知っている自分を生かせる仕事で満足。現在は日本の会社にいるので日本語が伸びたと感じる。日本語や日本の事を取り戻してきた。日本にもタイにも愛着がある。
 
友達がいない。タイに帰ってから友達はできていない。今の友人はアメリカでできた友達だが離れて関係性がだんだん薄くなっている。タイの友人も中高生の時の友人。その都度いい人に恵まれているが、移動によって友達がつながっていないことをマップを描いて感じた。一人の人と3言語つかっているのは日本に留学経験のあるタイ人でアメリカに留学している時に知り合った人。3言語は意識して変えるのでなくまざっている。タイ人親戚とは英語とタイ語、親とはほとんど日本語を使っている。
ビジネス日本語ではなくて普通のはなしができる同年代の日本人の友人がいたらいいなと思う。(□で囲ってある)。小さいころからの知り合い、幼馴染がいないので、時々疲れたときなど、生まれときから移動せずに自分のことをずっと知ってくれている人がいる世界もいいなと思うことがある。

【マップを描いた感想】
マップ作成をして人の前で自分のことを話すというワークショップは初めてだった。関係性マップを描き友人(親友)が少ないと気付いたことにより、言語マップに戻り過去と現在の繋がり(影響)を振り返ることができた。自分が移動した時々で環境がまったく変わり区切られていると思った。このように自分の過去を振り返ってみて、これまでの経験も大変だったけど、これらの経験のおかげで今の自分があり、今までの経験も悪くなかったと思っている。


■ほしい関係性
Tさんは「同年代の日本人の友人がいたらいい」と書き込んでいましたが、今回のワークショップではこんな人がいたらいいと思う人も関係性マップに描き込んでもらい、黒線で囲ってもらいました。自分と同じ背景の友人がほしかったという人が多くみられましたが、高校生のAさんはこんな人を描き込みました。

・違いを理解してくれる人と出会いたい
Aさんの例(通信校、高校生15歳)
父:日本 母:タイ 中学まで日本人学校
真ん中に私がいて、日常的の周りにはお母さん、妹、お父さんがいて、時々会うのがお姉ちゃん、親戚、親友…たまにっていうのが、日本のお父さん側の親戚です。学校ではタイの悪口を言う人がいて、先生でも私に態度が違う先生がいて、口でグローバルとか言いながらそうじゃない、ほかの国の悪口を言う。そういうのが嫌。そういう人がたくさんいて、会うのが嫌だということもあって高校は通信にしました。年齢とか関係なく、色んな所で過ごしていて、色んな文化を知っている人。言葉も知っている人がいたらいい。通信でも1年に一度日本で学生が会います。面倒な気もするけど、いい人なら会いたい。会っておきたい。

Aさんは人と会うのが面倒で高校は通信にしたと言いますが、実は「傷つくのが嫌」なのだと言います。日本語の発音が違うと言われて自分の声を録音して、人の話し方も観察して研究してみたこともあります。国や民族の違いをいろいろ知っていて違うのがあたりまえだと考える人に出会いたいと思っています。

■舘岡先生のお話のまとめ
毎回思うことですが、この場自体が貴重なリソースフルな場だということです。自分自身はモノリンガルの世界に住んでいますが、いつもの自分の生活からは想像もできないような世界に住んでいらっしゃる方々がこの場に集まっていて、刺激的な話を聞かせていただいています。今回は言語マップで個人のヒストリーを時間軸で可視化し、関係性マップで現在の関係性の広がりを可視化しました。これらのマップを通じて自らを改めて振り返り、頭の中を可視化することができ、自分のことをリソースフルだと感じることができたかと思います。「混ざっている状態で育つと、100%ではないから自信が持てない。」とおっしゃる方もいらっしゃいますが、部分的能力の価値を認めてよいと思います。それぞれの言語同士が相互に作用しあって存在しています。100%でなくてもそれぞれの言語が少しでもできること、それ自体がプラスだと言えます。また、今回の特徴として、今回は大変だったときだけでなく、幸せを感じた時にもシールを貼ってもらいましたが、大変シールの後に幸せシールが貼られているのが印象的でした。大変な事を乗り越えた時に幸せが来る(大変さが幸せに転換もする)ということでしょうか。

■ワークショップという活動
WSでは皆さんに知っていただくべき「答え」があるわけではありません。ですからすっきりした気持ちで帰る、というより疑問をたくさん抱えて帰る人の方が多いかもしれません。目指すのは共に作業し対話することで、考え、揺さぶられ、一人では気づかなかった何かに気づくこと。それが、研究会の人間も含めて関わった全ての人に起こることを願っています。これからも一緒に考えていけたらと思います。(JMHERAT)