タイにおける母語・継承語としての日本語教育研究会

Japanese Mother Tongue and Heritage Language Education and Research Association of Thailand (JMHERAT)

第6回 複言語・複文化​ワークショップ開催のお知らせ

見つめよう子どもの姿、考えよう子どもの現実

 ―親と子どもの話を聞こう 複言語・複文化を生きる7人の語り―

2019年8月25日(日)にワークショップを開催いたします。

2011年に始まった複言語・複文化ワークショップの第6弾です。
今回は言語マップのワークを行い、複言語・複文化を生きる語り手の話をききます。
言語マップでこれまでの人生の言語体験を整理し、語ることで、自分の複数性を実感し、そこから複数で生きる人間が持っている能力、そして複数性をリソースとして目指す能力について考えます。
7人の語り手の詳細は、こちらになります。
今年も、複数の言語と文化で育った学生と、親と教師が一緒に活動するワークショップを企画しています。
それぞれ経験の違う人からきっと多くのことが学ばれるはずです。
関心のある方は、どなたでも奮ってご参加ください。

参加申し込みはこちらの申し込みフォームからお願いいたします。
みなさまのご参加、お待ちしております。

日時 日時:8月25日(日)12:00〜16:30(11:30 受付開始)
会場 泰日経済技術振興協会日本語学校
通称 ソーソートー(スクンビット、ソイ29)
講師 舘岡洋子氏(早稲田大学大学院)
参加費 200バーツ(学生:50バーツ)
定員 35名(8月17日(土)締切)※定員になり次第締め切ります
主催 タイにおける母語・継承語としての日本語教育研究会(JMHERAT)
協賛 トレイルインターナショナル校
協力 タイ国日本語教育研究会
問合せ JMHERAT[@]gmail.com ※送信には[ ]を外して下さい。

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複言語のこどもの土台は?混ざり言語と親のサポート

第15回セミナー「複数の言語・文化で育つ子どものリテラシーを考える」報告(3)

子どもを育てる、ことばを育てる

―複数の言語・文化で育つ子どものリテラシーを考える―

  

2019年3月17日(日)に終了した第15回セミナーの3回目の報告をします。今回は、午後の部の「事例報告」の発表概要、そして発表者・コメンテーターへの質疑応答とコメンテーターからのコメントを掲載します。

 

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〈午後の部〉 

1.発表

タイ語幼稚園に通う娘のことばの成長」藤井瑞葉(保護者)

「日本社会で生き抜くためのリテラシー育んだ青年の事例」松岡里奈(泰日工業大学)

2.質疑応答(発表者へ・コメンテーターへ)

3.コメンテーターより

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1.発表

・事例報告1

タイ語幼稚園に通う娘のことばの成長」 藤井瑞葉(保護者)

◆発表概要

f:id:jmherat:20190317142702j:plain夫の駐在のため生後7ヶ月でタイに来た娘は、4歳になり複数のことばに囲まれて育っています。日本人夫婦ですが、夫婦共に10年前後の海外経験があるので、タイでの子育ても何とかなると思っていました。しかし、駐在年数や次の赴任先がわからない状態で幼稚園を選ぶ段階になって「娘のことばをどうするか」という迷いが生まれました。「海外にいる間にいろいろな言語を」「読み書きは早いうちに」と考える親も多くいますが、私は悩んだ末、シュタイナー教育を取り入れている体験型のタイ語幼稚園を選びました。

 発表では、私が幼稚園を探すときに悩み考えたこと、入園からの1年半で起こった娘の変化、幼稚園で起こっていたこと、そして家で起こったことを紹介し、娘のことばの成長を支えていたものは何だったのか、幼児期に必要なことは何なのかについて検討しました。

 入園後1年半の娘の変化では、日本語もタイ語も、思っていた以上に広がり、それぞれのことばで「読み書き」への興味もでてきていました。また、言語世界に対する認識があり、言語間を行き来する力もつけ、ことばを自分の中に入れ、周りの人と触れ合い、関係性を築いていくことができるようになっていました。

 これら娘のことばの成長を支えていたものは、幼稚園で先生と娘の間に「愛着関係」が生まれていたこと、幼稚園が娘にとって安心できる場所であったこと、幼稚園での体験が主体的でやりとりがたくさんあったため、娘にとって親や周りの人と共有したい体験になっていたこと、そして、幼稚園と家庭を繋ぐものがあったため、親子で幼稚園での体験について対話する時間を多くとったことでした。つまり、幼児の子どもにとってことばの成長を支えるものは、「大切にされていると思える場所」で、どれほどの「ことばにして伝えたくなるほどの体験」をしているかどうか、そして、体験や気持ちの共有など「ことばにして伝えたくなる相手の存在と対話」ではないでしょうか。

 今回のセミナーのテーマである「リテラシー」を娘の事例と照らし合わせて考えると、就学前の幼児にとってリテラシーを伸ばすために必要なことは、この段階で文字が読めたり書けたりすることではなく、「はなしことば」の世界を充実させてあげることであり、それは、何語であれ「ことばにして伝えたくなるほどの体験」と「ことばにして伝えたくなる相手の存在と対話」があるかどうかだと思っています。

◆当日配布資料はコチラ 

 

 事例報告2

日本社会で生き抜くためのリテラシー育んだ青年の事例」松岡里奈(泰日工業大学)

※発表者の都合により、残念ながら今回の発表はキャンセルとなりました。セミナー当日はこの青年のことを書いた論文、松岡里奈(2016)「日本にルーツを持つタイの若者の自己形成過程に関する一研究 : 他者との関係性が与える影響に注目して」http://hdl.handle.net/11094/59673 が紹介されました。是非お読みください。

 

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2.午後の部 質疑応答(発表者へ・コメンテーターへ) 

質問1:藤井さんの子どもさんは、保育園の先生や子ども達と接触する中で、日本語に対する変な感じというものはなかったでしょうか。私は夫がタイ人で、娘がタイのローカル保育園に通っています。日本人1人だけなので日本語を話しても誰も分からないという状況で、日本語を話すのが嫌にならないか心配です。

藤井:娘の場合は、日本語に対して嫌になるという感じはなかったです。しかし、我が家の場合は、住んでいる場所が英語環境だったので、そこでは孤立していました。英語が話せず1人で孤立している娘を見て、友達を作れるように英語を習わせたほうがよいのかと悩みました。しかし、タイ語幼稚園に通っている娘にもう1つことばを学ばすことは負担になると考え、英語を習うことはしませんでした。ただ、娘にとって住んでいる場所が「〇〇ができない辛い場」になるのではなく、「△△ができる場」になるよう働きかけをしました。例えば、娘が「ハロー」や「サンキュー」などを言ったら、その娘の頑張りをすかさず拾い大袈裟に褒めて、自信をつけてあげられるようしました。つまり、できないことに目を向けるのではなく、どのようなことでも「できた」ことに目を向け、褒めてあげることで自信がつき、それがことばを話すことにも繋がるのではないでしょうか。

 

質問2:駐在が何年になるか分からないということで、小学校選びにも悩まれるかもしれないですが、今の時点ではどの小学校を考えていますか。

藤井:まさしく今悩んでいます。今後、まだ何年になるか本当に分からなくて。小学校に関しては、今は日本語が土台になってきているので、日本人学校に通おうかと思っています。

 

【子どもの「土台」ってなんだろう?】

質問3:日本語の能力が土台になっているという話がありました。(しかし話を聞いていると)何語が土台というよりは、「これをやるときはこれ」みたいな印象があったんですが、土台ということが実感できるような状況なんでしょうか。

藤井:我が家は夫も日本人ですし、私も日本人ですし、家では日本語しか話さないような家庭環境です。タイ語の幼稚園に行っていてもそこには日本人の友だちもいっぱいいます。日本人の友だちとやりとりをしている中で、娘にとって一番話がしやすい言葉、また、自分の感情を伝えられる言葉は日本語だと思っています。もちろん、タイ語や英語も広がってきていますが、自分の思いを表現するような言葉にはまだなっていないかなというように感じているので、日本語を土台というように使わせていただきました。

 

複言語の子どもの土台は〇〇語、〇〇語と切り離せず、統合的なもの

斎藤:多分、バイリンガルの子どもの捉え方を皆さんも考えられていると思うのですが、今日は朝からずっと複言語という言葉が使われています。気持ちをどの言語で表すのが得意かというのは子どもによって違うかもしれないですし、相手によって違うかもしれない。機能バイリンガルというバイリンガルの捉え方があります。その場合、例えば、家庭内でのおしゃべりは日本語。友だちと学校で理科の授業に参加する時にはタイ語。公園で近所の子どもたちと遊ぶ時には英語なんていうことが、もしかしたらあるかもしれません。タイの現地校に通わせているご家庭のお子さんでもあって、複言語という考え方であれば、それが統合した形で言語の力になっていると考えるのがいいと思います。何が土台になっているのかというところは、きっとさまざまな研究者によっても考え方の違いがあります。認知的な側面が大事だと主張する人は考えるための言語なのかと言うでしょうし、いやいや、もっと小さい子どもたちの教育に関心がある人は、さっき愛着という言葉が出てきましたが、親子の間で、あるいは兄弟や親しい人との間で愛着を感じられ、それを表現するときに使う言葉が土台なんだという主張もあると思います。何か1つの言語が土台だというような発想は今日の議論からすると少し危険かもしれません。ただ、何かしらの言語できちんと自分の気持ちを伝えられるということは、非常に大事だとは思います。

 

学校選択は今現在の状態からどうやって接続させていくかが重要

池上:藤井さんの発表と、今までの質疑を絡めて考えると、「小学校はどういうふうに?」と質問があったのは、多分、このあと勉強を積み上げていく年代に入った時に、どの言葉でそのようなことを選択するのかという質問だったと思います。特に、藤井さんの発表の中ではプレリテラシー(実際に文字を読んだり書いたりする前の段階で、文字を読んだり書いたりすることの良さや意味などを、文字を読んだり書いたりする活動のまねや遊びの中で体得していく段階)のところを日本語でしている。もちろん、その子にとってみれば、日本語で書いているかタイ語で書いているかというのは、お父さんは日本語人だからぐじゃぐじじゃって書いたお父さんへのお手紙は、「これなあに?」って聞いたら、「日本語で「おもちゃ買って」って書いてあるんだよ」みたいなもの。でも、相手がタイ語人だったら、タイ語でぐじゃぐじゃって。そういうことなんです。つまり、正書法にのっとっているか、文法と合っているかではなくて、その子にとっての書き言葉。「タイ人の〇〇ちゃんに書いたんだね。なんて書いてあるの?」って言うと、「お母さん、読めないの?これ、タイ語で△△って書いてあるんだよ」「そうなんだ」というやりとり。これはプレリテラシーの段階であって、日本語のひらがなが書ける・書けない、タイ語のタイ文字が書ける・書けないとかではない。こうやって書くことによって文字が表記できる。文字が表記できたことによって、ここにメッセージが残せる。その残したメッセージを人に渡すことによって、相手に意味が渡せる。そういうことを知っていて、使っているということなんです。そういう体験と知識があってこそ、正規の読み書きを習う段階、学校教育の文脈に入った時に、こういうことなんだなって内容にスッと入っていけるということがあろうかと思います。ですので、学校に入る前の段階で、そういったことを知ることや、そういったことで一緒に言葉遊びをすることが大事だと言われていることなんですね。藤井さんの発表の中のプレリテラシーの萌芽(ほうが)に関しては、おうちの中でそれがやられていて、萌芽が見えたということでした。今回は土台という言葉がから話が始まりましたけれども、藤井さんの子どもさんの場合、プレリテラシーを日本語という言語で今つけつつあるので、そこを接続させたいということで、小学校を選ぶというふうに見ていらっしゃるのだと思います。それが、そうしたら今できているタイ語を同じぐらい伸ばせるのか、今分かっている英語を同じぐらい伸ばしてトリリンガルになっていくのかという問題ではなく、今現在の状態からどうやって接続させていくかという形で選択されているんだなということです。

 

【「ルー大柴語」のように混ざっていてもいいの?】

質問4:私の場合、娘も夫もタイ語を話しているので、つい「早くアップナーム(タイ語:シャワーを浴びなさいの意)しなさい」みたいな「ルー大柴語」を話してしまっています。複数言語を混ぜて話していても大丈夫なのでしょう。

 

まざっていてもその人の言語。否定してはいけない。意味あるやり取りの中で仕分けていける。

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池上:そういう状況というのはありますし、ルー大柴さんが有名になっちゃったのでルー語といいますけど、それを、例えば、私は名前が摩希子なので、まきちゃん語って自分で言えば、それは自分の言葉をそう認識していることになります。ですから、そんなに危機感を持つ必要はないんじゃないかなと思います。ただ、やっぱりそうは申し上げても、このまま混ざったまま、ぐじゃぐじゃになったらどうしようというのはそれぞれ共通の心配事であるかと思います。やはりいつどこで誰と何を話すときにはこれというのを、段々自分で分けて捉えて出せるようになっていくんだということ。それには、どのようなやりとりを具体的にしていくかを考えてサポートできればいいんじゃないかなと思うんです。「混ぜちゃだめだよ」「そういう言葉を入れたら変だよ」というのは、実はその子にとってみれば否定されたことになって、その子の段階によっては「どこがなぜいけないのか分からない」ということにもなりかねませんむしろ今そういう状態なんだなという把握と、次には誰といつどこで何のときにどういうふうに仕分けていってあげようかなということを考えながら、今の発表につなげて考えていければ、意味のあるやり取りを作っていく段階で段々分かっていき、上手に分けていけるようになると思うんです。

 

混ざっていてもかまわない。しかし、社会参画の形によって、〇〇語ということが必要になる。

斎藤:内輪のコミュニケーションはルー大柴語でも何でも、相手ときちんとコミュニケーションができて意思の疎通ができて、何のために話しているかというのが伝わって、相手に求めている行動をしてもらえたら、それで大丈夫だと思うんです。ルー大柴語をしゃべる人がみんないたら、ルー大柴語がメインストリーム。それでいいかもしれない。けれども、例えば、将来的にある領域で研究をしていきたいと考えて、その研究をしていく上で研究の場所として日本を選んだとします。日本語で研究をするとなれば、やはり日本語で研究論文を読んだり研究したことを書いて表現するという力が求められます。なので、子どもたちが将来に向けて、どんな形で社会に出て行くのかということを、もし決める時期が来たり、あるいは決める上で、予備的に力を付けてあげたいなということが親御さんと子どもとの間でいい具合に同意ができているか。ある言語について、読み書きについて、一定程度の知識とスキルを高められるような教育を意図的にしていく必要があると思うんですね。そのときに、石野先生が話されたような活動を家庭でしろとは申し上げにくいんですけれども、あそこにたくさんヒントがあると思います。少しながら例として、私の恩師の息子さんはキノコが好きで、小学校に入る前からキノコ事典を見ていたそうです。おしゃべりは割とつたないけれど、キノコ事典に出てくるキノコの名前とキノコの系列などはいくらでも話せる。そこの興味からキノコの専門の言葉を知り、それを人に伝えるために「このキノコとこの菌は何とか科で共通しているんだよ」といった言葉を一緒に獲得していったりするということもあるんです。

なので、その辺りはそのあと自分が社会にどういう専門と言いますか、社会に参画する人間としてどうイメージするかというところと組み合わせながら、何か読んだり書いたりできる言語というのも1つはあったほうがいいかなと思っています。ただ、「これじゃないとだめよ」と言った途端に嫌になると思いますので、気をつけないといけないなと思います。

 

【子どもの学校言語ができない親はどうやってサポートすればいいのだろう?】

質問5:私は国際結婚をしていて、子どもはタイの現地校に通っています。父親として学校の用事や宿題にうまく対応できないことがあり、結構悩み事です。子どもの学校言語ができない親は、子どもの学校生活や学習をどうサポートしたらいいですか?

 

藤井:子どもが「タイ語で先生と話ができない。先生に言いたいことが全部言えなくて嫌だ」と言ったことがありました。私の分かる範囲で娘が先生に伝えようとしていたことを一緒になって考えて、機会があったらその先生に会ったときに一緒に話をしました。私もタイ語ができないので、あまりできなかったんですけど、一緒に娘に寄り添って問題を解決しようとしました

 

嶋田:宿題を持って帰ってきた場合、英語はまあまあ分かるんですが、タイ語は私もよく分かりません。でも、子どもは「こんなの書いたよ」ととても自慢げに見せるんですね。私はとりあえず「上手だね」「きれいだね」「いいね」「何って書いてあるの?」と。子どもは、それで満足しているようです。そういうのくらいしかできていないです。逆に言うと、嫁さんが、一応日本語はできますが、息子の宿題を見る時にサポートできないって言うんですけど、とりあえず声をかけてあげてと言っています。特に、内容をどうこうというよりも、来たものに対して自分の言葉でそのまま関わっているかなと思います。それがいいかどうかは分かりません。ただ、無視はしない、関わっているかなと思います。*嶋田さんも国際結婚のお父様で、3人の子育てをされています。

 

親が苦手な言語を学ぶ過程を共有し、解決の方法を見せる

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斎藤:(学校と外国人の親の例としては)タイの国として、外国人のお子さんの教育についてどういう教育政策を持つのかということも、今後検討していってもらう動きは必要かなという点です。今どうなっているか存じ上げませんし、そのことについて話し出したら永遠に終わらなくなると思うので、まず、日本のお子さんに限らず、いろんな国から来ていらっしゃるお子さんの教育について、国としての政策をタイ政府にもう少し求めてみてもいいのかなというのが1つです。さっき移住というお話もありましたけど、さまざまな国からタイに来て住んで、タイの社会を形成していると思うので。それ以外では、お父さん自身がタイ語を学ぶ姿を子どもに見せるのはとても大事かもしれないです。学びなさいという意味ではないです。子どもがタイ語で苦労して勉強しているときに、分からない単語があったら一緒に辞書を引きます。日本語の意味が出てきたら、お父さんはその意味が分かります。そうしたら、日本語で子どもとコミュニケーションをしている中で、タイ語では説明できなくても日本語で説明して、一緒に問題を解いてみようかとか。全部しなくてもいいと思うんです。宿題できた100個のうちの2個でもいいと思うんです。そういうふうにして親御さんも努力しながら、僕がタイ語で分からないところを一生懸命手伝ってくれているという姿とかで、子どもたちが頑張ろうと思うのが1点だと思います。それから、辞書を引いたりとかの解決の仕方について、大人として一定程度のスキルがあると思うので、それを一緒にさせてあげれば、「なかなかお父さんからサポートをもらえないけれども、そうだ、お父さんはこうやってこの問題を解決していたから、私も変えてみよう」とか思うかもしれません。OECDの「自律的に」という言葉があったと思うんですが、ある程度自律的に学ぶためには、スキルやストラテジーという知識も必要です。全てをカバーできなくても、内容コンテンツじゃなくて、困った時にどう解決するかということを一緒に見せてあげるというのもいいのかなと思います国内の外国人の親御さんたちもみんなそれで苦労しています。例えば、国内の先生方で一生懸命努力している方は、算数の新しいかけ算の九九の勉強をしたときに、日本語の読み方のほかに、お父さんかお母さんに自分の国のことばでかけ算の読み方を書いてきてもらいなさいと声をかけたそうです。そうすると、親とのコミュニケーションができると同時に、お父さんお母さんも子どもの教育に関われる。それによって、全てが解決するわけじゃないんですが、親御さんも一緒に自分の学びの苦労を理解してサポートしてくれているという状況を、家庭内でうまく作り出せるような仕掛けを作っている人もいます。全部何もかもとはできないと思います。

 

深澤:あまり一人で全部抱え込まずに、自分の支援を受ける力もまた磨いていかれたらと思います。

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3.コメンテーターから発表者へのコメント

ことばの成長を支えるために大切な3つの観点

池上:今の皆さんとのやり取りの中でいくつも大事な点がでてきていましたし、一緒に考えたいこともたくさん出されたかと思います。もし、何かコメントをするとしたら、親として思うこととして一番最後に3点

 ⑴「自分が大事にされている、大切にされていると思える場所」

 ⑵「タイ語であり、何語であれ、伝えたくなるほどの体験」

 ⑶「共有や振り返りなど、伝えたくなる相手の存在と対話」

と、大事なことを藤井さんが出してくださいました。これは多分、小さな子どもや日本語を勉強し始めた子どもに限らず、いろいろ悩んでいる最中の成長している途中の子どもたち、それから、もしかしたら大人にとっても、コミュニケーションをしようかなと思い、仕掛けていって、実際にコミュニケーションをするための大切なものではないかなと思って聞きました。それをどのように具体的に把握して、まわりが支えていくかは、やはりその子どもの発達段階や年齢、今置かれている状況、どういうライフを生きていこうとしているのか、どんな形で社会に参画していこうとするかによって、変わってくるんじゃないかなと思いました。

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午後は保護者の発表でした。この発表から、複言語で育つ子どものことばの土台とはどのようなものなのか。混ざった言語使用をどう考えればいいか。複言語で育つ子ども現状を考える貴重なやりとりがおこなわれました。親と子の使用言語が一致しない場合の親のサポートはどのようにすれはいいのかという問題も切実なものです。モノリンガルで育った親や教師が、子どもの複言語状況を複言語能力観で捉え、その力を成長させるためには、このようなやり取りを繰り返しおこなうことが重要だと改めて感じました。

 次回は、「リテラシー」を巡る全体質疑応答のまとめを掲載いたします。

 

タイにおける母語・継承語としての日本語教育研究会(JMHERAT)運営委員

どうしたらリテラシーを育てられるのか?

第15回セミナー「複数の言語・文化で育つ子どものリテラシーを考える」報告(2)

子どもを育てる、ことばを育てる

―複数の言語・文化で育つ子どものリテラシーを考える―

  

2019年3月19日に終了した第15回セミナーの第2回報告です。社会的存在としての人生を構築し、活動していくための力「リテラシー」はどう育成すればいいのでしょうか。今回はリテラシ―育成を目指した実践及び調査の紹介、そして各発表への質疑応答とコメンテーターからのコメントを掲載します。

 

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〈午前の部〉 

1.発表

「自己表現としての書く活動 ― 高学年を中心に ― 」石野有希(小学校教諭)

「国際結婚家庭の児童生徒への支援の可能性」嶋田俊之(小学校教諭)

2.コメンテーターとの質疑応答

3.コメンテーターより

 

1.発表

「自己表現としての書く活動 ― 高学年を中心に ― 」石野有希(小学校教諭)

 ◆発表報告概要

(1)「作文を書く」f:id:jmherat:20190317105539j:plain

「作文を書く」と聞くと顔をしかめる子どもがいる。小学校の学習で「作文」を書く場面は多いが、淡々と事実を述べ、ありきたりな感想を述べる文章がしばしば見られる。子どもたちにとって作文は、型にはめればマスを埋められる一種の作業のようだ。そこに自己表現はあるのだろうかと疑問を感じていた。国語、日本語の得手不得手に関わらず、どんな子どもにとっても「書いてみたい」と思える課題、「使ってみたい」と思える表現方法の提示を日々模索している。以下、子どもたちの「作文を書く」喜びや楽しみを見出すために、実践した内容である。

 

(2) 子どもたちの「書いてみたい」を高めるために

まず、子どもたちに「書いてみたい」と思わせ、意欲を高めるためにできることを考えた。

①シートの工夫

作文用紙を目の前にすると苦手意識を感じることがある。そのため、作文用紙にこだわらず、便箋を用いて相手意識をもって書かせたり、記者になりきって事実を伝える新聞作成を行ったり、強調したいフレーズを際立たせてポスター形式を取り入れたりした。また、ワークシートを用いて、構成に事象をあてはめたり、自らの感じた五感を書き入れたりし、自分の考えを整理させたうえで作文を書くための手掛かりとさせることもあった。

 

②題材設定の工夫

「もしも魔法が使えたら」など、子どもたちの心をくすぐるテーマを設定すると、目を輝かせて思考を巡らせる。夢中になってマスが足りないほど書く子どももおり、他の子の作文に対しても興味を持ち互いに交流を始める。事実のみを羅列しないように、「最も印象に残ったこと」などに焦点を絞って書かせることがある。また書き終わった作文に対して、「どうして」「どんなときに」などと繰り返し対話することで、具体を引き出し、付け加えて書き加えさせる。子ども自身が語りながら自分の考えを整理し、書いた文章を読み直しながら推敲する姿が見られた。

 

③交流活動

発表会をして聞きあったり、作文を読み合ったりする場を設けた。作文について話をすることで、書き手は今後より伝わるための工夫を見出したり、伝わることの喜びを感じたりしていた。また、聞き手は同じ体験をしていても思考に違いがある面白みを感じたり、友達の新しい一面を見つけたり、その子の良さを再確認したりすることができていた。交流は、友達同士とだけではなく、教師や家族といった大人とも行うことがある。

 

(3) 子どもたちの「使ってみたい」を促すために

さらに、より表現を広げていくためにできることを考えた。

①作品例を示す

同年代の作文例を多く示す。はじめの部分のみ示していくと、続きを知りたくなるものがある。魅力的な書き出しになるよう工夫する姿が見られた。また、全文を読みその良さを話し合う。言葉を吟味してテンポの良さが生まれていることや五感を盛り込んで追体験できるなど次々と気が付いていた。自分たちで見つけた良さは、自分の作文にも生かそうとする。

 

②言葉を指定する

必ず入れるようキーワードを指定することもある。また、NGワードをより入れることもある。例えば「いろいろ」「さまざま」を書かないように指定したり、子どもたちの書いた作文の中に繰り返し登場する語句を「1回まで使う」と限定させたりすることで、自分の言葉を紡ぎだそうと努力する姿が見られ、具体的な姿が見えてくることによって作文に個性が生まれていく。

 

③物語文から表現を学ぶ

物語文で情景描写を学習すると、すぐに取り入れる子どもがいる。また、優れた表現だと感じるところに印をつけさせ書き出していくと、擬音語や擬態語、複合語という言葉の豊かさに気付いたり、比喩や反復、倒置など技法の多様さに気付いたりする。気が付くと自分でも、取り入れてみたくなる。子どもたちが積極的に新しい工夫をするとき、それを紹介することで、他の子も使ってみようとし、広がっていく様子が見られた。

 

④語彙を増やす工夫

擬音語、擬態語や複合語などを学ぶと、子どもたちはどんどん集めたくなる。「言葉調べ」に取り掛かると、自主的に「言葉集め」を行っていく。自分で調べたものは、使ってみたいと思うようで、実際に作文の途中でノートを見返し、使用している姿が見られた。

 

(4) 最後に

誰にでも書ける表現ではなく、その時その場にいた人だからこそわかることがある。一人一人が見て感じた世界を、抱いたその時の思考を、「書く」という自己表現を通し、深め、楽しみ、周囲に発信していける子どもを育てたい。同じ場所にいても、一人一人捉えたことは異なっている。だからこそ、おもしろい。自分の見たもの感じたことに、一番近い表現を選んで文に表わしていくことで、自分を見つめることができる。それを読み合うことで、お互いを理解し、尊重し合うことができる。そんな楽しみを「書く」ことに見出していってほしいと、願っている。

 

質問:学生(児童)の作文へのフィードバックで気をつけているポイントはなんでしょうか。

石野:私からのということもありますし、子どもたち同士のコメントでもそうなんですけれど、否定しないということが一番かなと思います。温かい気持ちでその子が思っていることを肯定してあげたり読み取ってあげたりということが学級作りとか仲間作りにもつながりますので、そこは意識しようと思っております。

 

  • 小学校の調査報告 −子どものリテラシーと家庭の関わり−

「国際結婚家庭の児童生徒への支援の可能性」嶋田俊之(小学校教諭)

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嶋田俊之(小学校教諭)さんが発表してくださった小学校の調査報告の発表概要、また嶋田さんとの質疑応答は事情により掲載していません。運営委員(勇)の感想とセミナー参加者の感想(一部)をもって発表のご報告とさせていただきます。

 

◆感想(第二回報告ブログ担当運営委員:勇)

嶋田さんの発表は、嶋田さん自身が小学校児童とその保護者の方々に日々ふれあいながら、個人的に感じた疑問を出発点に実践した調査を基にしたものでした。その疑問とは、「家の中を学校の学習言語環境と同じにすることが、子どもの学力を伸ばすために必ず必要なのか」ということです。嶋田さんの発表に関して特筆すべき点は二つあります。一つ目は、抱いた疑問をもとに嶋田さんが調査をしてみたという事実。そして二つ目は、その調査から嶋田さんが見つけた「大事なこと」を今回私たちの研究会セミナーで共有し、参加者のいろいろな立場や考え方を持つ方々と一緒に考える機会を提供してくださった、という点です。その「大事なこと」というのは、(1)「学校の学習言語が苦手な保護者を、孤立させず子どもの学習活動に参加してもらう」(2)「学習言語にこだわらず、自分の得意な言語で、気持ちをこめて子どもと関わる」(3)「言語が何かということより、子どもと一緒に過ごす時間を十分にとることが大切」ということです。下に掲載した斎藤先生と池上先生のコメントとも重複しますが、嶋田さんが起こしてくださったこのアクションこそが重要だったと感じています。問題があれば実際に何が問題か調べ確かめる。そこから支援すべきことを明らかにしていく。それこそが子どもたちの現実に添う支援を考えるために私達教師に必要なことだと感じました。

 

【参加者からの感想】

・嶋田先生の発表がとても印象的でした。今回、自分自身が子育て中(ハーフ)のため、今一番悩んでいることでしたので。データ、アンケートに基づいた分析と発表であったので、説得力もあり、とても良かったです。こんなデータ、アンケート、今までみたことがなくしかも現役の先生からのお話で大変勉強になりました。(保護者)

 

・タイ人夫(日本語ができる)、母日本人、タイ現地校に通う2人の子を育てています。最近子どもが中学生になり、家族団らん時の使用言語がタイ語になることが多く少々焦りを感じていました。このセミナー参加で感じたこと。子どもが伝えたい、言いたいと感じることを共有したいと思う時、”この言葉で”と強要せず、心地よく伝えられる言葉で自由に語ってもらうことが大切なのだと悟りました。(教師)

 

・嶋田先生の報告が面白かったです。国際結婚家庭の子ども達をめぐる言語環境とその影響を数字で拝見する中で、校外での交流、特に仲の良い友達を作れる場を子どもに作ってあげることが大切と反省しました。(保護者)

 

・子どもの言語を伸ばすには、親の能力に関係なく、子どもに関心を持ち、子どもの環境と学校の学習活動にもきちんと関わり、学校や先生たちに任せきりにせず、支援するのが良いということを知った。もう少し子どもと向き合った方がいいと思ったし、自分も出来る限りタイ語に力をいれ子どもに頑張っている姿を見せるべきだと反省した。(教師・保護者)

 

・実際に現場で使われている内容をきけてとても参考になった。ダブルの子を育てる親としてとても興味深い内容でした。家庭で使う言語と学校で使う言語が違うといわゆる「課題が見られる児童」になるのではと心配していましたが、言語が問題ではなく、人との関わりが大切だと伺えて安心しました。(保護者)

 

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  1. コメンテーターへの質疑応答

前回報告した「セミナーを始めるにあたって」でコメンテーターが発表した内容についての質問です。

→お二人の発表は第15回セミナーの報告に掲載

「タイの状況:これまでタイで関わってきた経験から」池上先生

「社会参加を支える「読む力・書く力」―リテラシーの捉え直し―」齋藤先生

 

質問1:OEDCが発表したリテラシーの定義「社会的に異質な集団で交流をする」「自律的に活動する」「道具を相互作用的に用いる」は日本には合わないのではないでしょうか?

 f:id:jmherat:20190317123041j:plain齋藤:そういう側面はあるのかもしれないですが、そのままでは、これから多様な社会になっていく中で日本が成り立っていくのかと考えたときに、そうではないだろうと、
文部科学省もこのOECDを参考にしながら、新しい指導要領などでも「対話的」で「主体的」で「深い学び」というようなことを打ち出しています。それが1点目です。もう現実的な問題として外国人の子どもたちが国内でもたくさんいます。今、その子どもたちへの教育が学校現場でも課題として認識されつつあります。今日はこちらでリテラシー一般のお話をしましたが、私は通常は国内の学校教育において子どもたちへの日本語指導であったり、子どもたちが教科学習に参加するための言語の力であったり、学ぶための学習スキルといったものをどのように培っていくかということについて研究を進めていますが、課題は山積しています。そのような中で周りの子どもたちが彼らの存在を、今日のセミナーで言えば、複言語・複文化を持つ子どもとして、そのことを尊重しながら一緒に学んでいこうという価値観というものがまだ形成できていないというところが、国内の学校教育の中では今一番大きい問題になっています。子どもはそれでもそれを変えていける力を子ども同士の関わりの中で高めていったりできるんですが、教育する側のほうこそがなかなか変わりにくいという側面があって、そのようなところに今取り組んでおります。もう一ついえば、異質な他者というときに、必ずしも民族的、言語的な異質性だけではないんですね。今、日本社会でもダイバーシティという言葉が一般化していますけれども、簡単に分かりやすい側面、領域で言えば、特別支援を受けているお子さんや性的なマイノリティのお子さんなどもいます。

 

池上:私は障がい者ですから異質な者にはあたるわけです。そこまで広げれば、特に日本の特質であるとか、認識的な良い点と言われている点は、コンピテンシーが目指すものがあるわけではないということなんですね。目指すところというのは、お互いがお互いを認め合って、それこそ穏やかに暮らすための力というのは何だろうかということを考えることによって分かるものなんです。

 

深澤:ありがとうございます。初めにお見せしましたように、私たちの学生は同質のように見てきましたが、実はいろいろ違いがあった。同じように日本人は同じようだと見えているだけで、その人たちが抱えているものはそれぞれきっと違うだろうと思います。そこを出発点にしたいと思っています。

 

質問2:言語とアイデンティティに関する研究はありますか?

池上:はい、そういった研究は大変盛んになされています。今日のお話から言うと、最初に深澤さんのほうからご紹介があった言語ポートレートがありましたね。人の形の中にいろいろなものが混ざっていて、つまり、一人の人間の中に英語があってタイ語があって日本語があってというように、数えられる形で言語があるわけではなく、混ざった状態、複言語という状態があるのだという考え方があるのですが、アイデンティティもそういったもので考えることができる。つまり、アイデンティティというのは、タイ語が上手だからタイ人だとか、日本語が上手だから日本人だとかいうふうに、すごく固定的で一元的なものではないし、例えば、タイ人とか日本人というアイデンティティというのも、とても固定的なものであって、それはある意味、民族的なアイデンティティという言い方では数えられるかもしれませんし、見ることができるかもしれませんが、そこを目指すということではありません。つまり、今ご質問された方もおっしゃったように、自分が自分である、その自分が何者であるかということをアイデンティティとするのであれば、それは混ざり合っているものであり、今目の前にいる人に出したい自分であると考えると、すごく動くものです。アイデンティティが確立するというと、ゴールがあったり結論があったりするように思いますが、実はそうではなくて、私たちはずっとその自分であることを確立しながら生きていると思った時に、やはり言葉というものをその能力と言ってもいいと思うんですが、言葉の有り様がポートレートにあったように、複雑に入り交じって刻々と変わっていくものであれば、それに従って私は何者であるというアイデンティティも変わっていくというふうに思います。揺れていることが良くないとか、ちょっと複層的になっていることが良くないということではなくて、それはものすごく単一的なものがあるべきで、しっかり何々人であるということがいいという価値観に基づいた考えになりますし、それは言語ポートレートの話に戻ると、ここで言語状況の中で暮らす子どもたちにはあまり合わないというように私は思うんです。そうではなくて、そういう状況を組み込んだ自分を何であるかというふうに言う。それが必要であって、言語の力とアイデンティティの関係性というのは、そこを語れることがそのアイデンティティに必要な言語の力というふうに言っていいのではないかなと思います。そして、言語ポートレートで現れていることの中にもアイデンティティが含まれていて、それを私たちがどのように見て、どのように認めるかということが、その子の言語の力を認めて伸ばすことにもつながっていくというふうに考えられます。

 

齋藤:心理学のほうでももちろんなさっていますけれども、この領域だと日本では異文化間教育とか異文化間心理学というような領域が多くしています。その中では、文化間を移動しているような青年や子どもたちのアイデンティティということが大きな主題になっています。アイデンティティですけれども、文化間を移動すると、どうしても何とか人のアイデンティティ、何とか人のアイデンティティというふうに捉えたくなってしまうんですが、例えば私でしたら、今ここに座らせていただいていますけど、なぜここに座っているかと言えば、私はこの領域の専門家だというふうに深澤さんが私を見たということです。私はその見立てを受けたアイデンティティをどこかで意識しています。また、私が今暮らしている中では、大学の教員として学生に指導している教員としてのアイデンティティがありますし、学校の先生方とコミュニケーションを取りながら子どもの日本語教育について一緒に悩んだり考えたりしている半分実践者のつもりでいるというアイデンティティも持っているんです。そう考えると、お子さんが、例えば、家族の中で長男であるアイデンティティとか、あるいは妹がいる僕というアイデンティティもあるでしょうし、母親との関係で、例えば、タイのお母さんと暮らしているときに日本語で何か用事が必要なときに僕が助けてあげるとなったときには、そこに今度はお母さんを言語面でサポートする僕というような、様々な側面のアイデンティティが複合的に合わせられた段階のアイデンティティ、合わせられた状態が自分のアイデンティティだったりします。そうしたときに、言語の持つ意味が非常に大きいんですけれども、この言語ができないと何とか人としてのアイデンティティはないねというような紋切り型の捉え方をすると、子どもたちは苦しくなります。その辺りを、異文化間教育のほうでは多元的アイデンティティという言葉を使います。いろいろな言語やいろいろな民族、文化が交じった状態だけれども、それが私である。そういうような捉え方ができるとよろしいのかなというふうに思います。

 

深澤:いろいろな学生たちにインタビューしてきましたけれども、ある時学生に発表してもらったときに、一番親御さんたちに言いたいことは何か。何々人として育てないで欲しい。あなたは何人だという言い方をしないで欲しい。私は私なのだ。それもまた変わっていくんですね、複合的に。しかし、自分たちが、私たちは日本人だ、何人だと民族アイデンティティで自分たちを整理しながら生きてきたものですから、複合的、しかも、そのアイデンティティが変わっていくということは、なかなか私たちが納得しがたい。だからこそ、一緒にそういう複合的なものを先生たちの話を聞きながらも捉えていけたらなと、その過程を子どもが一緒に生きてくれたらなと思います。

 

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3.池上先生と齋藤先生から発表へのコメント

《池上先生》 

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池上:まず、石野先生のご発表への感想とコメントになりますが、発表ありがとうございました。とてもアイデアが満載でしたね。これからまねしたくなるような、こんなふうにすれば子どもたちは単に埋める作業ではなくて、自分の中にあるものを文章として書き表してくれるんだなということがたくさん分かる実践の報告であったなというふうに思いました。

 

参加者と共有したいことは・・・まず意欲の喚起を大切に

池上:一つ分かったこととして皆さんと共有したいこととしては、まず意欲が大事なんだなということです。方向が先にあるのではなくて、まず書きたいなとか、これを書いてもいいんだなとか、そういう書こうかなと思える意欲をまず喚起して、それに乗せて、どういう方法だったらそれを文字に表せるかということを考えていく。ご発表もその順番だったと思うんですけれども、意欲の喚起から方法につなげていくということがとても大事なんだろうなと思いました。

 

意欲喚起の方法・・・ワークシートへの工夫

池上:意欲の中に、形式をいろいろ工夫して、ワークシートの工夫もたくさん見られたんですけれども、一つ大事なことは読み手を想定するようなワークシートを作っていらっしゃる。つまり、書くというときには、書いたものを誰かに読んでもらいたいじゃないですか。読み手がないものを書くというのはほぼない。落書きだって誰かが見ることを想定して書きますし、日記も実は自分が相手だったりしますよね。そういう意味で、そこに言語を書くことなんていうのは、これもコミュニケーションの一つなんですね。受け手という読み手に対するコミュニケーション行動ですから、それは子どもたちにとっても同じことで、読み手が想定できるようなワークシートの工夫というものが見られたと思います。

 

書き言葉としての機能の意識化とプレライティング

池上:それがいろいろここまでの実践、石野先生だけではなくて、学校教育の中でも積み上げられている形式だったり新聞の形式だったりもしますし、それをもう少し小さいサイズにしてお隣の人に見てもらうでもいいですし、石野先生に読んでもらうでもいいですし、今日お休みした何とかさんに読んでもらおうでもいい。それがリテラシーのほうでもお話しました、今ここの場所と今という時間を越える書き言葉の機能だと思うんです。それをどうやって子どもたちに意識化させてあげるかということが意欲にもつながっていくし、書くことという意味を子どもたちが理解して、書き言葉の機能というものを理解していくことにつながるのではないかと思います。そういったものを書いていくことによってそのもの自体が、プレライティングという言い方をするんですが、書く前の活動としてとても機能する。もちろん書いてはいるんですが、例えば、シナリオの活動とかは話し言葉をずっと書いていって、それだけでもなかなか面白いし、読むのも楽しいと思うんですが、あれはまだ構造のある談話、例えば、はじめ、中、終わりというのは小学校でよく言う作文の構造なんですけれども、そういったものを意識して、もっとそれを接続詞とか接続表現を入れてきちんとした展開の文章にしてまとめあげるという活動に結びつけるためには、あれはプレライティングというライティングの前の活動でも文字を使っている。それを、今度は話し言葉のやり取りを、もう少し話し言葉ではなくてジャンルを変えるという言い方をするとどうかと思うんですが、叙述の文として書くとどうなるかみたいなものを続けていけると、子どもたちが今書けることよりも一つ上の段階を目指すために書かなければいけないことを指導するというような活動につながっていくのではないかなと思いました。もちろん、実際の学校現場では指導時間も限られていますし、なかなか一つのテーマでずっと活動を続けていく、同じ活動として続けていくことは難しいかもしれませんけれども、そこはプレライティングのプレのものを、今シナリオで例を説明しましたけれども、話し合いだけでおさめて書く言葉に結びつけていくとか、もっとサイズの小さいワークシートに書いたものを文章に展開させていくとか、そういうふうに考えれば、今現在書ける力にプラスアルファの書く目標立てをして書かせてみる。それについてやりとりをして、また一つ上の段階の中身、構成につなげていくというような書く活動に進んでいけるのではないかなというふうに思いました。

 

今持っていることばの力を伸ばすために

池上:今回のご発表では、いろんな言語を持っている子どもたちのリテラシーのお話でしたが、もちろんいろんな言語を持っている子も混ざっていれば日本語が十分に使える子どもさんの例も多かったと思うんですけれども、子どもたちの発達段階もありますから、どちらの子どもさんにとってみても、今持っている力の一つ上のものを書くというのは、今持っている言葉の力を伸ばすという意味では必要だと思います。日本語の力自体がまだ十分ではない子どもさんの場合には、そこにもう少し丁寧な手助けを入れていくとか、ワークシートをもっと簡単にするとか、口頭での手助けをたくさん入れて文章につなげていくとか、そうするとできるのではないかと思いましたし、多分やっていらっしゃるのではないかなというふうに思って伺いました。そういう実践があるからこそ、今日のご発表のようなものが皆さんの前でご紹介できる形として残っていて、提示ができたのではないかというふうに思いました。つまり、嫌いにならないことが一番大事なんですよね。どの子どもにとっても。書くことが嫌いになってしまったら、面倒くさいとか、書いても直されるなとか、書けって言われても何書くの?とか、出来事作文を書いてと言ったときに、どうして?先生も一緒にいたじゃない?という話もありましたよね。誰が読むのですかという、それが質問だったと思うんです。そのときは、この授業ではみんな一緒に昨日やった運動会の作文を書こう。何をしたか。大玉転がしの次は玉入れだったこともみんな知っているじゃないか。なぜ書かなければいけないという根源的な問いを小学生が持っていた。つまりは、書くことにちゃんとこういう意味と意義があって、だから、書くことが良くて、だから、書いてみよう。嫌いにならないということが最も大事なんじゃないかなというふうに思って、そういったことにつながる実践報告になったようにお見受けをしました。

 

《齋藤先生》

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実態を何らかの形で可視化して表示していくってとっても大事なこと

齋藤:石野さんの実践について池上さんからお話がありましたので、嶋田さんのご報告についてですが、少し具体的な内容からは離れるかもしれないんですけれども、私は日本でちょっと教育教材に関わることがあります。そのときに求められるのはエビデンスです。「エビデンス」ってちょっとかぎかっこをつけるようなことがあるんですけれども、何かを変えていくというときに実態を何らかの形で可視化して表示していくってとっても大事なことで、それに挑まれていて、やはり私たちは実践をしていく中で、つまりエビデンスに該当するようなものというのを少しずつ周りに働きかけて、そして変えていくということを一人一人が意識していくことが大事だなということを改めて思いました。研究者がやってきて、調査してくれればいいのにと言っても、なかなかそんなふうにはならないですので、皆さん方が、もしかしたらお子さんのことについてつづったものが説得力を持つ場合もありますし、先生として日々生徒さんと接していて、残している記録が説得性を持つエビデンスになることもありますし、あるいは、ここで皆さんが集まっていらっしゃるので、皆さんの力を結集して何か数量的に表せるものを見せていくということも今後、この会で可能なんじゃないかなということも期待して、お話を聞かせていただきました。

 エビデンス(根拠、証拠)

 

池上:ぜひつながっていってください。今、嶋田先生のご発表には、量も大事だけれども、量より質その質を担保するものというのは関係性というふうにまとめられるのではないかなと思いました。関係性というとすごく広くなるんですけれども、多分このあとまたお話もできると思いますので。リテラシーを作っていくにもそれが大事だ、そこを目指して行くんだなということを会の初めからお話していますので、そこに注目して次のご発表を聞いたり質疑応答ができたらいいかなと思います。

 

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社会的存在としての人生を構築し、活動していくための力「リテラシー」を育てるためには、何より伝えたい相手がいること、表現したいことがあることが大切でした。そして、自分を表現し理解することが楽しいと思えたとき、そこから育っていくのだと感じました。それは日常でも、授業でも言えることでしょう。次回の第三回報告では、保護者である発表者からの「就業前の事例報告」と質疑応答、そしてコメンテーターからのコメントを掲載いたします。 

JMHERAT運営委員

 

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リテラシーって何だろう?

第15回セミナー「複言語環境の子どものリテラシーを育てる実践を考える」報告(1)

子どもを育てる、ことばを育てる
―複数の言語・文化で育つ子どものリテラシーを考える― 

2019年3月17日に開催した第15回セミナーの内容をこれから4回にわたってご報告いたします。今回のセミナーでは具体的にリテラシーを考えるために「セミナーのはじめに」でタイの子どもと親の現状を報告し、齋藤先生からリテラシーをどう捉えたらいいかお話いただきました。第1回報告はこの「セミナーのはじめに」の報告です。齋藤先生のお話は全文掲載いたします。

セミナーのはじめに〉 

  1. 「タイで育つ子どもの言語・文化経験」深澤伸子(JMHERAT代表)
  2. 「これまでタイで関わってきた経験から」池上摩希子(早稲田大学
  3. 「社会参加を支える「読む力・書く力」―リテラシーの捉え直し―」齋藤ひろみ(東京学芸大学

 

1.「タイで育つ子どもの言語・文化経験」深澤伸子(JMHERAT代表)

動画 発表スライド

深澤伸子子どもたちの言語・文化経験と言語・文化意識の多様さを紹介することで、本セミナーの個別の発表の背景、そしてセミナーのテーマ設定理由を知っていただきたいと考えた。最初に研究会の紹介をし、次にタイで育つ子どもが通う4タイプの学校を紹介した。それから、タイで育つ子どもたちはどのような子どもたちか紹介した。主に、(1)言語経験をライフコースに位置付ける「言語マップ」、(2)言語・文化経験を人との関わりで見る「関係性マップ」、(3)自分の言語・文化意識を描く「言語ポートレート」、という三つのツールで描かれた子どもたちの多様な人生と多様な意識について事例を挙げ紹介した。

 

 2.「これまでタイで関わってきた経験から」池上摩希子(早稲田大学

深澤の報告を、立ち上げ当初からこれまでずっと研究会と関わってきた池上先生から「変化」という視点で補足していただいた(機材不調による音声不良のため一部抜粋して掲載します)。

<変化してきた二つの視点> 

池上摩希子池上:自分が関わり始めた2007年ころは誰が主体で考えていたかというと、最初は教師でもある親が中心で、「どうやって」子どもの日本語の力を伸ばしていったらいいかという発想、考え方が主だった。子どもたちを見ていく視点の主体が、親であり、イコール教師であった方々が中心であったところから、子どもも含めた多様な人たちが主体になっていくに従って、やはり最初はどうやって子どもの力を伸ばせるか、つまり、どうやって学ばせるかという視点から、今現在は、私たちが目の前にしている子どもたちのことばは「どのように」なっているんだろうというのを探った上で、では、どうやって支援をしていけるのかと考えるようになってきていると思います。その「どのように」というのが、今ほどたくさん紹介してくださったツールで描き出された子どもたちの状況であり、その状況も一人一人違いますから、一人一人にオーダーメイドで支援の仕方を考え、クラスやグループの中でこのようにいろいろな体験を経て、いろいろな言語状況にあるということを踏まえた上で、では、私たちは「どのように」支援ができるのかということを考えるようになってきている。

 

<ライフコースとリテラシー

池上:それにしても、やはり子どもたちのライフコースですね、どのマップを見ても、この子どもたちは過去、つまり生きてきた過去があって今現在がある。そして、次にどういうふうになっていくんだろうということを子ども本人も、また、私たちも考えなければいけないということがすごく伝わってきました。そのライフコースを構築していくために、やはりことば、日本語だけではないと思いますが、その中に日本語がある。日本語が組み込まれている言語の力、ことばの力というものを考える。そこについては、とても広いものなので、では、今日はリテラシーというところに少し視点を定めて皆さんと考え、話し合って、そしてもっと続けて考えようかな、という形で会が終わるといいかなと思っています。

 

3.「社会参加を支える「読む力・書く力」―リテラシーの捉え直し―」齋藤ひろみ(東京学芸大学

動画 発表スライド

<皆さんの「リテラシー」のイメージは?>

齋藤ひろみ齋藤:皆さんにお尋ねします。リテラシーという時に、最も大事だと思うのは何か、次にあげる3点から、一つ選んで、手を挙げていただけますか。1番、漢字、2番目に文法、そして3番目が文章を書く力。どうでしょうか。この三つの中でどれが大事だと思いますか。では、一つ目の漢字が大事だと思われる方は?(会場で数名の方が挙手)。では、2番目の文法の力が大事だという方は?(10名程度が挙手)。ありがとうございます。では、3番目の文章を書く力が大事とお考えの方は?(相当数が挙手)。はい、ありがとうございます。実は、ずるい質問だったのです。この三つの力の一つ一つを高め、探求しても、リテラシーの力としては十分ではないというお話をこれからいたしますので。すみません。

さて、今日のテーマの「リテラシーの捉え直し」に関してですが、今、皆さんに手を挙げていただいた要素は必要な力です。ただ、「それらを何のために使うのかが大事だ」ということを、これからお話しいたします。

 

<読解リテラシーOECDPISA調査)>

齋藤:リテラシーの捉え方について、まず一つ、OECD経済協力開発機構)のPISA調査における定義を紹介したいと思います。皆さんもお聞きになったことがあるかと思いますが、10年ほど前になりあすが、日本の生徒の読解力の調査結果が低く、文部科学省が大慌てしたということで話題になりました。そのOECDPISA調査での「読解リテラシー」について、2006年のドミニク・S・ライチェン、ローラ・H・サルガニク著(立田慶裕監訳『キー・コンピテンシー 国際標準の学力をめざして』明石書店)から紹介します。その定義は、「自らの目標を達成し、知識と可能性を発達させ、社会に参加するためにテクスト(書かれたもの)を理解し、活用し、深く考える能力」とされています。この定義の背景には、OECDの「キー・コンピテンシー」という資質・能力観があります。キー・コンピテンシーは、三つで構成されていますが、その一つ目が、(1)社会的に異質な集団で交流すること。皆さんは日々実践されていることですね。それから(2)自律的に活動すること。目標や目的を設定し、そのために自分で行動を計画し、それを振り返り、そして、よりよい明日のために、何をするかを判断し、次なる目標化をするというような力です。それから、(3)道具を相互作用的に用いること。キー・コンピテンシーの要素として三つ掲げられていますが、読解リテラシーはこの三つの中のどこに直接該当すると思いますか。それは、(3)です。言語を相互作用の道具と考えます。なので、何と言っても、相互作用の中でリテラシーの力は発揮されてるものであると考えたいですし、それが人生の目標の達成に結び付くことが重要です。

例えば、先ほどの深澤さんが紹介された大学生のケースでは、将来の仕事をする場として、最初は自信がないから日本は無理かなと言っていたわけですが、大学での生活を通して、日本で仕事をしたいと思うようになった。目標を掲げることができたわけです。それを達成するために、彼は日本語、それからタイ語、そして英語と三つの言語を扱う力を高めていったのですね。しかも、そこに他者との関わりがあり、それが意味づけをしていたと考えられます。彼が持っている可能性を、テキストを読んだり書いたりする力をもって、さらに発展させている。情報を得るために、きっと読むことも必要だったでしょう。あるいは、誰かに伝達するために書くことも必要だったでしょう。その中で自分の可能性を発達させ、実現していく。それが、社会との関わりの中で発揮された場合に、彼は社会的な役割を果たしていくことにもなります。先ほど池上先生からライフコースのお話がありましたが、ライフコースで重要な要素として、社会的な役割を連鎖として連ねていくということが含まれます。また、社会との関わりの中では、私がタイ語で読み書きができることによって、この社会にどういう貢献ができるのかも重要です。貢献できたと感じた時に、きっと目標を達成できたと感じるでしょう。そのプロセスでは、物事や情報として得た事柄について判断し、自律的に決定をし、その判断に基づいて、社会と関わり、行動する。そこに、深く考えながら言語を使うということが伴うと考えられます。

リテラシーについて、冒頭であえて表面的なスキルである側面を三つ挙げました。漢字、文法、文章を書くことです。それらの力を今ここにお示ししたような活動や行動として動かしていく、そういう力をリテラシーと考えたいと思います。

 

<書くことと認知的発達>

齋藤:次に、内田伸子さんという発達心理学の著名な先生の、だいぶ古い書物ですが、『子どもの文章』(東京大学出版会、1990)から、認知的な側面と書くこととの関係について紹介します。そこには、このように書いてあります。「書くことは認識を深めることである。自分について知りたい、言葉によって自分を表現したいと考え、メモを作って文章をつづり始める。つづっていくうちにことばで表現した自分と実際の自分とが違うようだと感じ始める。読み直してまた考える」。先ほど、深澤さんが最後に示してくださった、人の形に自分のことを書いていく言語ポートレート、文章ではなくメモのようなものでしたが、まさにこの活動のことだと考えられます。これが1点目です。

それから、認知的な側面と非常に強い関わりとして、スライドの二つ目を見てみましょう。「書きことばによる言語活動の特異性」として、文脈から独立していることが挙げられています。今、ここで行われていることも、音声では消えてしまいますね。口頭の言語では「それ楽しい?楽しくない?」「これ、どう思う?こんなふうに思う」というような、その場でのやり取りとなります。ですので、その場所を離れた時には、そのことばは消えています。音声ですから、残すことが難しいですね。また、その場に依存した形でコミュニケーションが取られることが多いです。例えば、今、この部屋はクーラーがきているので、私が「ウーッ(身震いをするようなジェスチャー)」というようなジェスチャーをしたとします。皆さんは、私が今どう感じているかをことばにしていませんが、理解できますよね。はい、「ちょっと寒いです!室温調整してください。」と言うメッセージになっています。このように、音声のことばというのは、その場、状況に強く依存し、そして消えていくものなのです。

一方で、書きことばは書いたものとして残ります。例えば、今日の資料が100年後に残っていて、それを見た人が、「どうもタイで第3回実践何とかフォーラム(ただしくは、「タイにおける母語・継承語としての日本語教育研究会第15回セミナー」)があったらしく、そこで複言語について語り合っていたらしい」ということを想像できるわけです。100年後、日本語を介する人が、今日の出来事を歴史上の事柄として想像しながら、言語教育史を考えることができます。このように書きことばによる言語活動というのは、場から独立していると同時に、抽象的な思考に結びついてきます。具体物ではなくて、概念を形成していく上で、書きことばによって、事物を物事の関係として捉え直したり表現したりするということを通して培われていくと考えられます。

 

以上、OECDのキー・コンピテンシーの立場や発達心理学の子どものことばと認知の発達に関する知見を紹介しました。こうした点からリテラシーを捉え直した上で、今日は皆さん方のお子さん方のこと、学校の生徒さん方のこと、そして、皆さんご自身のことについて、言語の使用状況や書いたり読んだりする活動の意味を、もう一度、意味づけ直せたら、良い議論ができるのではないかと思います。

 

リテラシーとは、読むこと、書くことを活動や行動としてして動かしていくこと」

表面的なスキルにばかり目が行きがちですが、そのスキルは社会的存在としての人生を構築し、活動していくための力です。では、どう育成すればいいのでしょう。次回はリテラシ―育成を目指した「書くこと」の授業実践の紹介と、児童の学力と言語使用の関係についての調査を報告します。

第15回セミナー「複数の言語・文化で育つ子どものリテラシーを考える」終了報告

子どもを育てる、ことばを育てる
―複数の言語・文化で育つ子どものリテラシーを考える― 

 

日時 :2019年3月17日(日) 10:00〜16:30
参加者:100名

 

今回は「リテラシー」をキーワードに、コメンテーターに齋藤ひろみ氏(東京学芸大学)、池上摩希子氏(早稲田大学)をお招きし、参加者同士の話し合いも交えて、複言語文化で育つ子どもたちがリテラシーを伸ばし人生を切り開いていくために、学校や家で何をすればいいのかについて考えました。

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参加者の感想の一部を掲載します。

  • 自分の育ってきた環境とは違う場所での子育て、しかもいろいろ選択肢の多いバンコクなので悩むことが多いです。今回のセミナーでいろいろ生活に反映できそうなことが聞けました。(保護者)
  • 様々な立場の方のお話を聞くことで、自分がこれからどうしていけばいいのかの参考になりました。保護者目線、教師目線などから意見を聞く時間が設けられていたのがよかったです。(教師)
  • 実際に現場で使われている内容を聞けてとても参考になった。ダブルの子を育てる親としてとても興味深い内容でした。家庭で使う言語と学校で使う言語が違うといわゆる「課題が見られる児童」になるのではと心配していましたが、言語が問題ではなく、人との関わりが大切だと伺えて安心しました。(保護者)
  • 石野先生の実践を聞いて、先生達ってちゃんと生徒のことを考えていることがわかりました。(学生)
  • 「関係性の話」にとても共感した。人と人がつながることの大切さを改めて学びました。(教師)
  • 子どもの言語を伸ばすには、できる親、できない親ということではなく、子どもに関心を持ち、この環境、学校との関わりにもきちんと関わり、学校、担当に任せきりにせず、支援するのが良いということを知った。(教師・保護者)
  • 子どもが伝えたい、言いたいと感じることを共有したいと思う時、“この言葉で”と強要せず、心地よく伝えられる言葉で自由に語ってもらうことが大切なのだと悟りました。(教師)
  • 複数の言語がある環境で過ごす子どもの成長や、自分たちがどういったことをするのがよいか学ぶことができた。(保育士)
  • 長時間であるのに継続してあるテーマを掘りさげていく構成、企画に非常に感銘を受けました。先生方はもちろんですが、実践報告の方々の素晴らしいご報告、ありがとうございました。(教師)

 

今回は小学校での実践報告と調査報告、幼児の事例報告をしました。発表者の皆様、ありがとうございました。また、参加者の皆様、6時間半にわたる長時間のセミナーへのご参加ありがとうございました。今後もさまざまな場の実践を共有し、それぞれの立場から理解を深め合っていく、そのような学び合いの場を創っていきたいと思います。セミナーの内容はブログで引き続き掲載していきます。お楽しみに。

(JMHERAT運営委員)

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第15回セミナープログラムのご案内

子どもを育てる、ことばを育てる
―複数の言語・文化で育つ子どものリテラシーを考える―

第15回セミナーのプログラムをご案内します。

日時 日時:3月17日(日)10:00〜16:30(9:30 受付開始)
会場 泰日経済技術振興協会日本語学校
通称 ソーソートー(スクンビット、ソイ29)
講師 齋藤ひろみ氏(東京学芸大学)池上摩希子氏(早稲田大学
参加費 200バーツ(学生:50バーツ)
定員 80名(3月2日(土)締切)
主催 タイにおける母語・継承語としての日本語教育研究会(JMHERAT)
協賛 トレイルインターナショナル校
協力 タイ国日本語教育研究会
問合せ JMHERAT[@]gmail.com ※送信には[ ]を外して下さい。

 

コメンテーター:斎藤ひろみ氏(東京学芸大学) 池上摩希子氏(早稲田大学

司会:深澤伸子(タイにおける母語・継承語としての日本語教育研究会、代表)

発表を軸に、参加者からの質問に答える形でリテラシ―をどう育てるか考えていきます。

発表概要は 3月セミナー発表概要 - Google ドキュメント

 

【プログラム(予定)】

  9:30-10:00 受付

10:00-10:10 講師紹介、今回のセミナー趣旨等、研究会より

10:10-10:35 タイの現状紹介

    「タイで育つ子どもの言語文化環境の特徴」深澤伸子(研究会)
    「これまでタイで関わってきた経験から」池上摩希子(早稲田大学

10:40-10:50 

        「社会参加を支える「読む力・書く力」―リテラシーの捉え直し―」

                          齋藤ひろみ(東京学芸大学

10:50-11:50 発表

    「高学年を中心にした自己表現としての書き活動」 石野有希(小学校)
       「家庭内使用言語と学力」 嶋田俊之日本人学校

11:50-12:00 休憩

12:00-12:30 参加者ディスカッション&質疑応答

12:30-12:50 コメンテーターより

12:50-13:20 昼休憩   

13:20-14:20 発表

    「タイ語幼稚園に通う娘のことばの成長」 藤井瑞葉(保護者)
    「日本社会で生き抜くためのリテラシーを育んだ青年の事例」 松岡里奈(泰日工業大学)

14:20-14:50 参加者ディスカッション&質疑応答

14:50-15:10 コメンテーターより

15:10-15:20 休憩

15:20-15:50 全体質疑応答          

15:50-16:20 まとめ

    「くらしの中でリテラシ―を育む」 齋藤ひろみ(東京学芸大学

    「タイという環境の中でのリテラシーとは、育てるとは」 池上摩希子(早稲田大学

16:20-16:25 今後の活動に向けて

16:25-16:30 終了 写真撮影など

16:30      解散

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OECD(2006)のリテラシーの定義:自らの目標を達成し、知識と可能性を発達させ、社会に参加するためのテクストを理解し、活用し、深く考える能力

※発表者(  )内、所属、あるいは発表の立場
※昼時間が短いです。パン程度の軽食を用意しますが、昼食は出ませんので申しわけありませんがご持参ください

 

第2回ダブルの大学生会

私とことばと、生きるということ 〜ダブルの大学生会〜 


日時:2019年1月20日13:00〜17:30
場所:American School of Bangkok 幼稚園部

2016年4月に続き第2回ダブルの大学生会を開催しました。
今回は、タイで生まれ育ってきた人、日本で生まれその後タイに来た人、日本とタイを行き来してきた人、そしてタイと中国の国際結婚児など、生まれ育ってきた環境も両親の国籍もさまざまなダブルの大学生が集まりました。
大学生たちが「自分を語り、語り合う」ことで、彼らの今までの人生と、今を知ること、そしてなぜ日本語を学ぶのかを考えるために、言語マップを作成しお互いの経験をことばにし、語り合いました。今回日本から石黒先生をゲストとしてお迎えし、充実した4時間半の活動になりました。
※国際結婚児をダブルと呼んでお伝えします。

第1回報告では、この日の全体の模様をお伝えします。

■ワークショップ・当日の活動の流れ

13:10開始
13:15言語マップ活動
1 自分マップ作成
2 グループ内マップシェア
3 自己紹介を兼ねて全体マップ紹介
4 マップに重要シールを貼る
5 グループ内で重要シール語りシェア
15:00ポスター作成
1 大変・嬉しかったことをポストイットに書き出す(学生個人)
2 グループでポスター作製
3 重要シールポストイットのカテゴリー化・名付け
15:50休憩
16:00ポスター全体共有
1 全体に向け各グループ発表
2 他のグループのポスター見学
16:35感想記入・まとめ・集合写真
16:50懇親会
17:30終了

■会場の様子

自分の言語マップ作成し、グループ内シェアをしました。

自己紹介を兼ねて、全体でマップ紹介をしました。

大変・嬉しかったことをポストイットに書き出し、発表ポスターを作成しました。

ポスター発表↓↓

グループ4(ルチ・ガンタポン・ユウ)&グループ1(タナン・もも・ピット)

グループ2(まどか・ハル・ルイ・ナムフォン)&グループ3(のぶ・龍(ロン)・たくや)

他のグループのポスター見学し、最後に、石黒先生から感想をいだたきました。

■感想

  • 今日は新しい友達を知ることができました。彼らが日本語とタイ語をきっかけにして、今ここにいると知りました。しかも、同い年というところがすごいところです。
  • みんなダブルなのに、一人ずつ環境が違っているが、ダブルの問題はほとんど似ている。
  • 同じダブルで環境が違っても、同じ悩み(大変なこと、困ったこと)やうれしいことがあるとわかりました。
  • 色んな人たちがいるなぁと思いました。自分の今まで悩んでいたことを言ったことでスッキリしました。同じくハーフの人たちに会えてうれしかったです。


石黒広昭氏に感想をいただきました。

ワークショップに参加したみなさん

今回、みなさんに会えてとてもよかったです。
タイは日本から飛行機に乗れば7時間ほどで移動できるところです。しかし、飛行機を降りるとそこにはたしかに違う国、社会、人がいました。複数の文化、言語を持って生活する人たちは今や数え切れないほどいますが、タイと日本をつなぐのはみなさんです。今回のワークショップで学生同士、学生とスタッフ、様々な出会いがあったのではないでしょうか。人と触れるのはいいですね。人と語り合うのはいいですね。そんなことを実感しました。
話すことで自分の過去を語り直すことができます。今回、書かれたマップを見て、自分のことを話し、そして他の人の話を聞き、多くの新しい物語がワークショップで生まれました。その場に立ち会うことができたことは大変光栄です。深澤さんを中心に多くのスタッフがこの場を支えていることもよくわかりました。その努力には頭が下がります。そうした苦労を知りながら、今後もこうした場が続くと良いと思っています。許されるならまた近いうちにお邪魔させて下さい。ありがとうございました。

2019.1. 25. 石黒広昭(立教大学文学部教授)


今回は、言語マップを用いた自己紹介が予想を超えて盛り上がり、「なぜ日本語を学ぶのか」まで一緒に考えることができませんでした。そこで、2週間後(2月3日)に改めてワークショップを開催し、引き続き一緒に考えていくことになりました。



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