タイにおける母語・継承語としての日本語教育研究会

Japanese Mother Tongue and Heritage Language Education and Research Association of Thailand (JMHERAT)

第16回セミナー 延期のお知らせ

3月1日に開催を予定しておりました第16回セミナーを延期することにいたしました。

新型コロナウィルス感染に関して23日にタイの保険省から通達が出、それを受け教育省から教育現場にかなり厳しい行動、接触制限通達がでました。
そこで、昨日緊急会議を開き、まことに残念ですが今回は参加者の健康と安全を第一に考え、セミナーを延期することに決定いたしました。


開催時期に関してはまだ決まっておりませんが、決まり次第お知らせいたします。


当日参加をご予定くださっていた方にはご迷惑をおかけすることになり、誠に申しわけありません。

心からお詫び申し上げます。


講師、発表者はじめ、私たち運営委員一同としても非常に残念ではございますが、

新たな開催に向け準備いたします。

第16回セミナー「複数の言語・文化で育つ子どものリテラシーを考えるⅡ 実践編」プログラムのお知らせ

―子どもを育てる、ことばを育てるー

複数の言語・文化で育つ子どものリテラシーを考えるⅡ 実践編

 
第16回セミナーのプログラムをご案内します。

日時 日時:2020年3月1日(日)10:00〜16:30(9:30 受付開始)
会場

泰日経済技術振興協会日本語学校
通称 ソーソートー(スクンビット、ソイ29)

※アクセス(会場HPより)地図

講師 池上摩希子氏(早稲田大学)石井恵理子氏(東京女子大学
参加費 200バーツ(学生:50バーツ)
定員 80名(2月22日(土)締切)
主催 タイにおける母語・継承語としての日本語教育研究会(JMHERAT)
協賛 トレイルインターナショナル校
協力 タイ国日本語教育研究会
問合せ JMHERAT[@]gmail.com ※送信には[ ]を外して下さい。

 

参加申し込みはこちらの申し込みフォームからお願いいたします。
みなさまのご参加、お待ちしております。

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【プログラム(予定)】

  9:30-10:00 受付
10:00-10:10 開始、講師紹介・運営委員紹介、協賛紹介
10:10-10:40 研究会より
  ・2019年度ワークショップ報告「聞く意義・語る意義ーリテラシーの観点で振り返る」深澤伸子、千石昂
10:40-12:00  実践報告①②
  ①「家庭における親子の言語活動実践報告〜親が始めた日本語指導から子どもが自ら切り拓く日本語・日本の世界〜」ツムサターン真希子(保護者)
  ②「多様な子どもたちが集う学級における温かなクラスを土台にした言葉の指導について~JSLカリキュラムを活かした授業~」川尻年輝(公立学校教師)
  ・参加者ディスカッション
12:00-12:10 休憩
12:10-12:20 質疑応答
12:20-12:40 コメンテーターより
  ・「子どもの成長とことばの学び」石井恵理子、「JSLカリキュラムとは」池上摩希子
12:40-13:10 昼休憩   
13:10-13:40 研究報告
  ・「 二言語による作文力の発達過程について」  池上摩希子
13:40-15:00 実践報告③④
  ③「 インター校での「書く活動」実践報告~伝える力と思考力を磨く表現活動を例に~」小林絢香(ISB ランゲージアカデミー)
  ④「 子どもたちが「移動しながら生きる自分と向き合う」作文の授業実践」 本間祥子(早稲田大学
  ・参加者ディスカッション
15:00-15:15 休憩
15:15-15:25 質疑応答
15:25-15:35 セミナー全体への質疑応答 
15:35-16:05 実践報告に対するコメント
16:05-16:25 全体まとめ
  ・「リテラシーを育む」池上摩希子、石井恵理子
16:25-16:30 今後に向けて、終了、写真撮影    

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発表概要は 第16回セミナー発表概要.pdf - Google ドライブ

 

第16回セミナー「複数の言語・文化で育つ子どものリテラシーを考えるⅡ 実践編」開催のお知らせ

―子どもを育てる、ことばを育てるー

複数の言語・文化で育つ子どものリテラシーを考えるⅡ 実践編

 

2020年3月1日(日)に第16回セミナーを開催いたします。

昨年に引き続きリテラシーをテーマに、学校や家で、何をどう実践できるのか、参加者と一緒に考えます。奮ってご参加ください。

参加申し込みはこちらの申し込みフォームからお願いいたします。
みなさまのご参加、お待ちしております。

 

日時 日時:2020年3月1日(日)10:00〜16:30(9:30 受付開始)
会場 泰日経済技術振興協会日本語学校
通称 ソーソートー(スクンビット、ソイ29)
講師 池上摩希子氏(早稲田大学)石井恵理子氏(東京女子大学
参加費 200バーツ(学生:50バーツ)
定員 80名(2月22日(土)締切)
主催 タイにおける母語・継承語としての日本語教育研究会(JMHERAT)
協賛 トレイルインターナショナル校
協力 タイ国日本語教育研究会
問合せ JMHERAT[@]gmail.com ※送信には[ ]を外して下さい。

 

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複言語・複文化を生きる7人の語り ー語る意義・聞く意義ー

親と子どもの話を聞こう

―複言語・複文化を生きる7人の語りー

 

これまで4回にわたり、2019年8月25日に開催した第6回複言語・複文化ワークショップの報告をしてきました。

 

・第1回報告:ワークショップのプログラムや全体の様子、参加者の方々の感想を掲載。
       https://jmherat.hatenablog.com/entry/2019/08/26/070713

・第2回報告:複言語・複文化を生きる子どもの語り第1弾。BさんとDさんの語りを掲載。
       https://jmherat.hatenablog.com/entry/2019/09/20/104417

・第3回報告:複言語・複文化を生きる子どもの語り第2弾。AさんとCさんの語りを掲載。
       https://jmherat.hatenablog.com/entry/2019/10/06/195808

・第4回報告 :  複言語・複文化を生きる子どもの親の語りと各ブースでの質疑応答を掲載。
       https://jmherat.hatenablog.com/entry/2019/10/29/081255

 

最後となります第5回報告では、「語る意義・聞く意義」について、語り手、聞き手、ファシリテーターそれぞれの感想をもとに考えていきます。

 

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【語る意義】

◇子どもの語り手:

  • 自身にとって普通で当たり前のことでも、人にとっては違っていて興味をもって聞いてもらうということは新鮮だった。 (語り手Cさん)
  • 語り手として自分の経験を他人に話せて、それが少しでも役に立てたのなら、今日ここに来て語れてよかった。(語り手Aさん)
  • 話すことで自分を見つめ直した。同じ話をしても聞く人によって捉え方は違う。だから、聞く人によって語る焦点も変わってくる 。(語り手Cさん)
  •  過去を振りかえることができた。整理ができた。(語り手Dさん)
  • Looking back and reflecting of my life, I felt my life's plan is funny and weird. However, because of that, It made me who am I today and I shouldn't be ashamed of it . Now I can magnify my ability of knowing 3 different languages and cultures and utalizing that in my everyday life. My adaptability skills to any cultures is helping me everyday.(語り手Bさん)

 

ワークショップ終了直後に子どもの語り手に語ったことの感想を聞きました。語りを準備する中で自らを振り返り整理することができ、当日聞き手の前で語ることにより、聞き手がいてこその語りが生まれていました。また、聞き手からの質問により自分を客観的に見ることができていました。そのことにより、さらに自らの人生の体験を振り返るきっかけになったようです。

 

◇大人の語り手:

  •  発表に向けて2年ぶりに再会した息子と今までの人生を振り返り、たくさんの話ができ、いろいろなことに気づき、これからの息子の人生、自分の人生について深く考えることができた。(語り手Gさん)
  • 聞き手がいて、その人たちの質問によって、自分でも気づかなかったことに気づけた。(語り手Eさん)
  • 語るために娘に聞いた。(語り手Fさん)
  • サタディスクールに入れたのは英語のためじゃなかった。でも周囲の人に英語目的だったように言われることで忘れていた。子どもにとってほっとする場所を作りたかっただけ。人に言われているうちに違う意味づけになっていた。(語り手Fさん)
  • 事前のインタビューでファシリテータが聞き直したことはひょっとしてほかの人も興味があるのかなて気づいた。自分の体験のどこに意味があるか、ファシリテータの反応によって自分の体験に意味づけがされた。(語り手Fさん)

 

語り手が大人の場合、語り手の親が過去や現在のことを子どもに聞くことで、語り手が聞き手にもなり、子どもの体験や考えを再認識するきっかけになったようです。当日の語りセクションでは、子どもの語り手同様、聞き手からの質問により自分のストーリーを客観的に捉えることに繋がったようです。また、語りを準備する段階では、ファシリテータとのやりとりによって、自分の体験が言語化され、他人から言われて元来とは違う意味付けになっていたものの再認識( 引き出された記憶?蘇った記憶?再生され記憶?)にもなっていました。

 

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【聞く意義】

◇聞き手の感想から

  • 私にとって2人の話はこれから生活していく中、参考にすごくなると思いました。自分にも共通するところもあるので、すごくいいと思いました。
  • すごい日本語が上手でびっくりしました。読み書きもできて、私もおねえちゃんみたいになりたいです。

ダブル当事者にとっては、語り手がロールモデルのように感じることができていました。

 

  • มาที่นี่เพราะกังวลเกี่ยวกับอนาคตของลูก การเรียนหลายภาษาจะสับสนมั้ย วัฒนธรรมที่แตกต่าง การควั่นแกล้ง ความขัดแย้งทางจิตใจ พอมาแล้วได้เจอเคสต่างๆกัน ป.ห.หรือสิ่งที่เจอผลก็ต่างกันไปด้วยแต่ก็ทำให้เบาใจขึ้นเพราะก็ได้คำแนะนำและมีผู้คนเคสเดียวกันที่ผ่าน ป.ห.มาได้(子どもの将来について心配なため、ここに来ました。複数の言語を学ぶと混乱するのかどうか。異なる文化、いじめ、心の葛藤など。来てみると、いろいろなケースに会い、問題や結果も人それぞれでした。でも、アドバイスをもらったり、同じような問題を乗り越えてきた語り手にあったりして、心が軽くなりました。村木佳子訳)
  • 子どもたちがどのように感じ、生きてきたかの過程を追えたことは、今後育てていく親の立場として参考になりました。
  • 子どもが3歳なので、今後の成長を深く考えるきっかけとなりました。
  • 普段、家庭と仕事のみの生活で自分の視野が狭くなってましたが、本日ワークショップの機会を持ったことで、新しい刺激となりました。
  •  一人で考え悩んでいることに、たくさんの同士!?や経験者、先輩がいるんだという心強さ、この悩んでる自分でいいんだという肯定感、自分は自分の道を選んでいいのだと、たくさんの応援を得ました。 
  • 私はタイ人の妻がいて、子どもが産まれれば子どもは複雑な言語環境、文化環境に身を置くことになります。自分が子どもができた時には、子どもにとって何が良いのかをより考え、行動しなければならないと思うきっかけを与えてもらいました。

保護者にとっては、語りを聞くことによって、複言語・文化環境での子育ての不安が軽くなったようです。また今後の子育てについてついて考えるきっかけになったようです。

 

  • 私の学生にも父と母で国籍が違ったりする学生も多く、そのような学生にどのように関わったらいいのか考えるきっかけになりました。
  • 体験者の方の話を聞くことも、今までの自分の中にないものに触れる貴重な経験となりました。
  • どちらも自分にはない経験なので、貴重なお話が聞けて良かったです。

 

教師にとっては、語りを聞くことで、自分にはない経験に触れることができ、様々な背景を持つ学生との関わり方を考えるきっかけになったようです。

 

ファシリテーター

  • 話の内容だけでなく、話し方や雰囲気といったものも含め、聞く過程の中でBさんの経験を感じることができたように思います。また、Bさんが私と年齢の近い相手で、世代を同じくしながらかなり経験の異なる二人だった点も私にとって大きな学びでした。自分がしてきたこと、考えてきたこととの違いを考えることで、移動の中で培われてきたBさんの人格や能力というものを少し深く感じることができたように思います。これも、直接会い、じっくりと話す機会が(それも複数回)あったことが大きいように思います。(Bさんファシリテーター・千石昂)
  • WS当日までに3回インタビューをし、語りを一緒に組み立てました。子どもを海外で育ててきている母親の先輩としてのFさんの話は、現在4歳の娘を手探りの中で育てる私にとって、「今後このようなことが起こるんだ」と驚きもありつつ、娘と家族の将来を重ねることができました。 国や学校を移動することによって娘さんにどのようなことが起こり、母親であるFさんがどのように対応してきたのかなど、 Fさんの語りを組み立てながらも、自分の家族のこれからを組み立てている、そのような気分になり、将来に向かっての心の準備ができました。 語りを聞くことで、自分の中にもストーリーが生まれたように感じます。(Fさんファシリテーター・藤井瑞葉)

ファシリテーターは事前に語り手と複数回インタビューなどを行いました。その過程でファシリテーターも聞き手となり、語り手の具体的な体験を語りとしてストーリー化していきました。この事前のやり取りが語りを組み立てていく上で大切だったようです。

 

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【語る意義・聞く意義 まとめ】

◇舘岡洋子先生の感想より

今回の大きな気づきは、語りはひとりではできない、ということです。

聞き手がいてこそ、語りが成り立ち、そこで共同的にストーリーが紡がれるのだということが実感をもってわかりました。聞き手のひとことで話の内容も変わるわけですし、聞き手の関心の示し具合でも変わりますね。

そして、語り手は語りながら自分の過去の経験を意味づけているんだと思いました。ああ、そうだった、あのときはこんな気持ちだった、こういう意味があったのかもしれないな、と。

ヒューマンライブラリー(※) との最も大きな違いは、語りは聞き手(ファシリテーターなど)との間に築かれるということでした。ですから事前の ファシリテーターとのやり取りが重要でした、それは大きな発見でしたし、 ヒューマンライブラリーの語りとの違いでもありました。

※ヒューマンラブラリー(人を貸し出す図書館)

マイノリティの人々への理解を深めるため始まった活動。
困難を抱ええる当事者の語りを語りを聞き、理解し、多様な人が生きていける社会を目指す活動です。今回のワークショップはこの ヒューマンラブラリーに構想を得て企画されました。

 

 

研究会では今後も 今回のような語りを聞く活動を複言語・複文化ワークショップに中に入れていきます。 今度は自分が語り手になってみたい、と言う方はご連絡ください。

語り、聞き、対話することで、複言語・複文化を生きる私たちが、私たちお互いの生きていく資源になっていくことを願います。

 

タイにおける母語・継承語としての日本語教育研究会(JMHERAT)

運営委員

複言語・複文化を生きる子どもの親の語り「親の思い込み、子どもの気持ちとのずれ 今考える親の役目」「母親が語る、母と娘たちの移動物語」「父親が語る子どもの成長 -息子とこれまでの経験を振り返る」

親と子どもの話を聞こう

―複言語・複文化を生きる7人の語りー

 

2019年8月25日(日)に終了したワークショップの3回目の報告です。今回は、第二部「体験者の話を聞く」セクションから、複言語・複文化を生きる子どもの親であるEさん、Fさん、Gさんの語りの様子を見てみます。

それぞれのセッションでどのような語りが生まれ、気づきや学びが起きたのでしょうか。

 

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「親の思い込み、子どもの気持ちとのずれ 今考える親の役目」

 

<Eさんの話のポイント>

f:id:jmherat:20191031165951j:plain・日本人のいない地域で漢字呪縛に陥っていた私    
・日本語学習とは…必死だった私の勝手な「思い込み」
・結果 息子は日本語嫌いに     
・好きから始まった子どもの学び

 

Eさんのストーリーと質疑応答等など>

 タイ人の夫の仕事で息子と娘と共にタイ国内(日本2年を含む)の引っ越しを繰り返す。日本人がいない環境で子どもの日本語習得を必死で目指した。日本語習得にはまず漢字。漢字が読めてこそ読書が進むという「漢字呪縛」があった。だからアニメや漫画も禁止。しかし、小4の漢字辺りから息子が悲鳴をあげ始めた。漢字がただの記号にしか見えない。暗記も限界。そんな息子のSOSに気づかず私はそのまま漢字学習を続行し、ついに息子から日本語は嫌いと宣言された。途方に暮れていた頃、バンコク近郊へ引っ越し、大量の漫画をもらった事を皮切りに娯楽を解禁した。それがきっかけで息子も娘も今までとは違う切り口から日本や日本語に興味をもつようになった。今息子は日本の江戸時代、娘は平安時代に詳しくなった。なぜ漢字呪縛があったのか、なぜ娯楽を禁止したのか。親の思い込みに潜むものは何か、今改めて親としてやるべきことが何か考えたい。
 なぜ漢字呪縛があったのか。日本滞在期間中に知人より紹介された1年先の漢字学習に努めた。その背景には引っ越しによる疎外感、周囲に日本人がいない孤独感、せっかく日本で覚えた日本語がタイ語におされ、いずれ無くなってしまうのではという焦燥感があった。また、子供たちと同じものを読み、日本語で語り合いたいという親としての欲求もあった。そういった自分自身の感情が、子どもの気持ちを犠牲にして漢字学習に突き進んでしまった背景にあると思う。漫画やアニメを禁止していたのも、活字好きになって私と一緒に語ろうよという思いがあったからだと思う。

 日本語が話せて欲しい、読めて欲しいと願いながら、幅広い情報提供をせずに、まずは漢字に限定した学習から始めた。それがかえって子どもを悩ませてしまったが、早い段階で楽しい娯楽の日本語に触れさせても良かったのではと思い返す。

 子どもの興味のありそうなものに敏感に、そしていつでも共有できるように自分を柔軟にしていきたい。

 

Eさんのブースには、ダブルの子どもたちとダブルの子を持つ保護者たちが多く集まりました。質疑応答ではEさんだけでなくブース全体でEさんの話をもとに応答し合う時間も取りました。以下、印象的だった質疑応答の一部を紹介します。

 

 

質問者:漢字は読めれば良いのかなあと思うのですが、漢字をどうして覚えさせなければいけないと思ったのか?

Eさん:自分が読書が好きなので同じものを読み、話し合えたらという母の思いがあった。読書が出来るためには漢字ができなければと思っていた。漠然と小学校6年生くらいまでの漢字は覚えた方が、出来た方が良いのでは思っていた。自分が持っているもの(漢字を勉強し、本を読んで感想を言い合ったり、そんな時間)を共有したいと思った。それと、日本に住んでいた2年間があり、その時の思い出など日本の事は日本語で話したかった。タイ語が上手でない自分にとっては、余計に子どもに日本語を覚えてほしいという気持ちが強かった。

 

ファシ:漢字を覚えさせなければならないという思いに囚われていたEさんでしたが、(フロアの皆さんは)そのような経験はありますか?

(小6と小4の子を持つ母親):私は漢字が好きだったので子どもも勉強してくれると思っていた。上の子が2年生の漢字勉強をし、4年生の時に、4年の漢字を教えたら、3年生の漢字を教えていないのに 3、4年生の漢字は1、2年生の漢字の組み合わせだということが分かり何とか勉強できた。しかし、子どもから拒否。塾に行かせたところ、その先生から“好きなことをやらせてみたらと言われた。好きなことをやらせたら一芸になるよ。きらいなことをやらせたら、できたとしても人並みなのだよ。” バレエと出会った我が子。好きなことしながら自信が付く。私からは「がんばったね」など、子どもに寄り添った言葉掛けができるようになった。

 

質問者どこからお母さんの気持ちが変わったのか?

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Eさん:小学校4年生の時、息子からもう漢字は覚えられないし、日本語は嫌いだと言われた辺りから、これ以上私から教わりたくないのだなと気付いた。ぶつかり合うのを避けるため漢字勉強は一旦中止。内心、日本語への何か違うアプローチの仕方はないか探る時期に…今は基本的に勉強の日本語はノータッチ。(言い回しや漢字の読み方などの)日本語について聞かれたら答える(が、彼ら自らが興味を持ってきたものに関して情報提供を心掛けたい)。

 

ファシ:Eさんのお話を聞いて、(フロアの皆さんは)お子さんにやってもらいたいことや伝えたいことはありますか?

参加者Sさん:今小学校5年生の子ども。簡単だった漢字が3年生くらいから難しくなる。語彙も増えるし、自分が小学校時代にこんなの勉強したのかなと思うくらいの漢字も出てくる。あまり日常生活に関係のない、言葉も多々。現在位インター校に通うが、学校の宿題の量が多く(そちらを重視させ)手伝いもする。漢字はやりたくないならやらなくてもいいよと言ったこともあるが、本人はやりたいと言う。(漠然と)日本語はやりたい続けたいというので、続けてはいるが、このまま続け、(子どもから)将来的にやっておいて良かったと言われるのか?それともそうじゃないのか?子どもによって習得の進み具合も違うから、正解を求めないようにしたい。これからもいろんな意見を聞いて答えを出していけたら良いのかと思う。


質問者:(子どもが)漢字ばかり勉強したからこそ変わったと思うことはあるか?
Eさん:聞いてみると、嫌だった時期もあるが、漢字が読めて得することがあるので、今は良かったと言っている。もし本当に漢字が読めなかったら、(携帯)ゲームで分からないことも多かった。今息子が日本の歴史に詳しくなり、日本語の世界が広がったのは漢字が読めるようになったからかと思う。

参加者Tさん:漫画やユーチューブ一は良くないと思われがちだが、本人の興味があるものには、興味の蓋をしない程度が良いのかと思う。

語り手Dさん:日本人学校は日本語を話すことが基本。学校に特別教室があり、ダブルの子どもにタイ文字を教えてくれた。どうしても上達しない私は、タイの漫画から、文字の意味を理解した。漫画(娯楽)の力はすごいと感じた。

 

 子どもに対する母親の深い愛情を感じました。母親が息子に対し漢字学習を行ったのは、少しでも漢字に馴染み、そして日本語に親しむことで、将来タイに住んでも日本に住んでも活躍できることを願ってのことだと感じました。漢字学習の教え方では、ドリルのみを子どもにやらせていくのではなく、クイズ形式で楽しく教えたり、絵などを使って分かりやすく教えたり、息子さんに寄り添った姿がありました。
 子どもの気持ちに寄り添うことは最も大切なことだと思いますが、小さい時にしかできない体験もその時々であるはずです。今回の漢字学習もその一つだったように感じます。保護者が子どもの活躍することを願い、いろいろな種蒔き(今回の場合は漢字指導を指す)をすることは、その子にとって有用なことだと思います。小学校3年生までの漢字を覚えると、その後の義務教育で習う多くの漢字が、それまでの漢字の部首の組み合わせで書けてしまうという話があります。このことを考えると、息子さんが小学校中学年時には、漢字を嫌がってしまうことになってしまうことになりましたが、現在その頃のことを振り返ると「あのときは大変だったけど、今になると漢字を教えてもらって良かった」と話したことからも、母親が教えていたことが結果として息子の成長に大いに役立ったように思いました。

 つまり子どもの成長を考えると、子どもとの対話を大切にしながら、子どもの気持ちと親の気持ちのバランスを取り、いろいろな種を蒔くことが、その子にとって一番良いことなのではないかと感じました。「~するべき」の罠に陥らないよう、その時々で相談し方向性を決めていくことが大切なことだと感じました。(ファシリテーター:川尻年輝)

 

Eさんの息子さんの現在
 小学校高学年に上がった時、学年に沿った漢字をそれまでのように面白く、楽しく、かつ生活に密着させて教えることができず、息子からギブアップの声。その後息子は漫画と出会い、坂本龍馬の世界へ。私からはドラマや本、関連漫画の提供。いつ質問されてもいいように歴史の復習は惜しまず。今、息子の興味は坂本龍馬にとどまらず江戸時代の志士フィールドトリップ(京都旅行)にまで広がっている。知りたいから、読む。楽しいから覚えられる今現在は書く漢字ではなく、読める漢字を着実に増やし 自分の日本、日本語を深めているようだ。(ワークショップ後のEさんからの便り)

 

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「母親が語る、母と娘たちの移動物語 ~Fさんの語り~」


<Fさんの話のポイント>  

f:id:jmherat:20191028122011p:plain ・私は「遅れている子? 」
 ・「虫ケラ」のような私
 ・ありのままの私でいられる場
 ・姉はインター校、妹は日本人学校
 ・故郷のない私たち
 ・純ジャパ?

〈Fさんのストーリー〉

 Fさんは大学を卒業後、親の友人の紹介でドバイで就職。ドバイで知り合った夫(日本人)と結婚し、夫の仕事で、シンガポール、フィリピン、日本、タイと移動を繰り返している。

 現在中学2年生の長女はフィリピンで生まれ2歳前に日本へ。幼稚園への入園をきっかけにシンガポールに渡り、インター幼稚園に1年通ったのち再び日本へ。幼稚園文化の違いから長女は「失敗」を繰り返し、Fさんは半年間幼稚園の親達に謝り続ける日々を過ごした。母国である日本にいたこの時期がFさんにとって一番辛い時期だった。長女も当たり前だったことが当たり前でなくなる環境で、クラスの子たちから「遅れている子」と言われた。本人も「自分は周りとは何か違う、遅れているのかも」とFさんに質問するように。Fさん夫婦は長女にストレスが溜まっていると感じ、サタデースクールに通うことにした。そこには様々なバックグラウンドを持つ日本人や在日外国人がいて、見た目だけではわからない多様性に飛んだ世界があった。長女にとっては、そこが「とても楽しい場」になった。その後、長女が小学校に入るタイミングでタイに転任し、8年間タイで暮らしている。長女は日本人小学校を卒業後、本人の希望で英国系のインター校に入学。これまでに4度にわたり国の移動をしてきたが、長女にとっては幼稚園転入とインター校入学での学習言語や学校文化の変化が大変だった。特にインター校の授業についていけるようになるまでの7ヶ月間は、自分が息をしているだけの「虫ケラ」のような存在だと感じ、悩んだ。しかし、ありのままの自分でいられる劇団という場があった。インター校にはそこで得た表現力で評価される授業があり、「得意分野」で自尊心を高めた。悩む長女を間近で見ている次女は日本人小学校卒業後も日本人中学校に進みたいと言う。次女にとって英語は「コミュニケーション」のための言葉であり、学問の一つで「学ぶ」ための言葉ではない

人生の半分以上を日本国外で生きる娘たち。「日本は行く場所」であり、自分たちには「故郷がない」と言う。移動を繰り返すFさん夫婦は娘たちに「親のいるところが故郷、あなたたちの故郷は、移動する故郷よ」と話している。



Fさんのブースでは複言語・複文化環境で子育てをする保護者を始め日本語教育に携わる教師などが熱心にメモを取りながら聞いていました。保護者からは自らの子を想像しながらの質問が多く出てきていました。以下、質疑応答の一部を紹介します。

 

質問:「遅れている子」や「虫ケラみたい」と娘さんが言った時の親の対応は?

Fさん:「遅れている子」は、幼稚園文化の違いから起こってしまっていたことなので、そのことを幼稚園の先生に伝え、対応をお願いしました。「虫ケラ」はそう思ってしまう気持ちがとてもよくわかったので、共感しました。ただ共感することしかできませんでした

今、もし同じ事を言われたら、「虫ケラでもいつかは蝶にもなれる」と言える余裕がありますが、その時は彼女の言葉の重みをそのまま受け止めることしかできませんでした。

 

質問:中学からインターに行って、(ついていけるようになるまでの)7ヶ月を頑張ることができたモチベーションは何と思うか?

f:id:jmherat:20191028123021j:plainFさん:「演劇」の授業など認めてもらえる授業があったこと。あと、例えば、水泳など自分の得意分野で自尊心を高めることができていたこと。インター校では学期末に様々な賞をもらえますが、長女は「皆勤賞」しか今の私には得られるものがないと言い、辛い日々もそれを目指して一度も休まず通っていました。それは、長女の「自分が決めて選んだ道だから」というプライドと、自分の言葉に対する責任を13歳ながらに考えたからなのだと思います。我が家は出来る限り本人に決めさせる方針で、他人のせいにしないということを、大切だと考えています。

 

質問:長女はなぜインター校に進学?過去の経験が大きかった?

Fさん:マニラやシンガポール時代の幼馴染みに会った時に、その子たちの英語力が上がっているのを目の当たりにし、英語で話す姿を見て「かっこいい」と感じていたようです。父と母が海外で仕事をしていたことや、空港等で英語を使う姿を見ていて、自分もそうなりたいとも思っていたようです。また、劇団にはインター校に通っている子が多く、その子たちの語るインター校の話を聞いて「インターって楽しいかも」と感じていたし、演劇で、バイリンガルな役柄を演じられるチャンスがあるかもと思っていたようです。

 

質問:子ども2人が違う進路を選んだ理由は?

Fさん: 生まれ持った性格もあるかもしれませんが、生まれ育った場所と年齢が関係しているのかもしれません。我が家は、小さな事でも本人達の意思をなるべく尊重してきています。「違う進路を選ぶ」というのも、大袈裟な事として私たち夫婦は考えず、一人一人個性は違うからと姉妹ひとまとめに扱いはせず、時間をとって個々に接しているも理由の一つかもしれません。 

 

質問:「 純ジャパ」という言葉。どういう意味ですか?

Fさん: 本来の意味かどうかはわかりませんが、私は純ジャパってDNA的なものだと思っていました。でも、娘は、純ジャパは「進化ができるもの」と捉えていて、「他の国に行って、言語や多様性などをひらひらと付け加えていける、その前の段階の人」に対して使っているようです。私は自分では純ジャパだと思っていましたが、娘からすると「お母さんは純ジャパじゃない」らしいです。それは、多様性を受け入れているかららしいです。

 

 複言語・複文化というと「国際結婚」や「ダブル(ハーフ)」などを思い浮かべてしまいがちですが、日本人同士の夫婦であっても移動を繰り返し長く日本を離れて暮らしているFさん家族も、まさに複言語・複文化を生きる当事者です。今回「語る意義・聞く意義」のワークショップをすると耳にした時、私が話を聞きたいと一番に思ったのがFさんでした。それは私がFさんと同じく日本人同士の夫婦で子どもを海外で育てている母親だからというのもありましたが、それ以上に「日本は行く場所」というFさんの娘さんの発言にとても興味を持ったからです。 

 Fさんとはワークショップ当日までに3度インタビューを行い、やりとりを重ねてきました。最初は「何も語ることなんてない」と仰っていたFさんですが、娘さんたちと4カ国を移動しながらの子育て、国や学校を移動するごとに起こる出来事、それに対峙する家族の姿勢。そこには「普通の子たち」が複言語・複文化環境で育つことから起こる物語がたくさんありました。

 聞き手からの感想に「大きな環境の変化があった時に子どもの心の支えになるのは「大好きなこと」なんだと感じた。その「大好きなこと」を見つける機会を提供し、子どもの気持ち、決断に寄り添うのが親(母)の役割だと思った。」とありましたが、本当にその通りだと感じました。

 いつも娘さん一人一人に寄り添い全力でサポートしているFさん。「親のいるところが故郷、あなたたちの故郷は、移動する故郷よ。」この一言がとても印象に残っています。私も自分の子どもの成長に寄り添い、子どもにとっての故郷になろうと思いました。ファシリテーター・藤井瑞葉)

 

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「父親が語る子どもの成長 -息子とこれまでの経験を振り返る」
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<Gさんの話のポイント>

・子どもは日本人学校へ、と思っていた
・英語学習環境で育った息子の成長とそれを支えたもの
・息子に話を聞いて知ったこと、今思うこと

 

<Gさんのストーリーと質疑応答>

インター校日本語幼稚園に勤務。しかし夫婦ともに英語が苦手なこと、地方出身の妻にとってバンコクの学校は不安だったため、子どもは当然日本人学校へ入れようと考えていた。しかし妻や子どもが望み、授業料補助もあったため勤務校に就学させることに。年齢的に3月に日本人幼稚園を卒園して4月からG1に入るが英語のできない息子は授業内容も殆ど理解できずかなり苦労する。結局新年度8月から学年をひとつ落としてもう1度1から勉強。最初基礎英語のコースを学校から勧められたが、担任が「あの子なら心配ない、私が面倒をみる」と言ってくれた。G1ではABCの読み書きから入るので、徐々に英語のレベルが上がる。その後ダンスや、生徒会活動など楽しく学校生活を送りカナダに留学した。今はタイの会社のインターンを順調にこなし楽しそうだ。学校生活を楽しく積極的に送れたのはどうしてだったのか。本当に問題はなかったのか。本人はどうなのだろう。今夏帰省した息子に言語マップや関係性マップなどを描かせながら話を聞いた。親の知らなかったことも、勝手に解釈していたこともあった。親子で振り返ったこれまでの父と息子の経験を報告する。  

 

 

Gさんのブースには、Gさんと同じような立場で子どもを育てる父親を中心にさまざまな立場の保護者、ダブル当事者の大学生、そして教師が集まりました。「インター校と日本人学校とのバランス」「3言語のバランスや能力」「息子さんの心境」「ここに至るまでのご両親の心境や努力」などの質問が多く寄せられました。以下、印象的だった質疑応答の一部を紹介します。

 


質問:家庭内でどのようにして進路を決めたか。(話し合いや奥さんの意見はどうしたか)

インター校に進学を決定したのは私の妻の意見が強かったです。インター校は自宅から近く、親しいタイ人スタッフもおり安心感があったようです。日本人学校は、自宅から離れ、学校との日本語でのやり取りに不安があったようです。お弁当作りにも自信がなかったとのことでした。


質問:インター校とのコミュニケーションギャップはどうするか。

担任との面談は学校の通訳に入ってもらい、なんとかコミュニケーションをとっていました。中学部からは、息子が通訳してくれていました。

 

質問:言葉が混ざる事が心配。混ざったらどうするか。

混ざることは、あまり問題にしない方がいいのではないでしょうか?それより混ざっていても他人に自分の気持ちを伝えることの方が大切だと思います。ダブルの子にとって混ざっていて当たり前だと思います。学校のイベントやボランティアで通訳的なことができたことが息子にとって他人から認められる機会でもありました。

 

質問:(進学や語学習得に関して)家族でどんな話をしたか。

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息子は、カナダで3年働いた後、タイに戻って就職することを希望しています。大学については自分が勉強したいことを明確にし、決めるように伝え、学校の進学担当の先生、塾の先生によく相談するよう勧めました。受験1年前に息子が興味を持っているアメリカの大学2校に2人でスクールツアーに参加しました。大学受験は、タイのチュラロンコーン大学のインターコース、カナダのライアソン大学2校を受験。語学に関しては、ダブルの子どもとして学べる環境がよいので自分の将来のため勉強することを勧めました。日本人、タイ人と関わる環境があるので、できる限り日本語とタイ語も学習することを勧めた。

  

質問:日本語能力はどの程度か、またどんな対策をしたか。
英語‐問題なし(第一言語母語話者並み)

タイ語‐日常会話は問題がないが、読み書きはほぼ不可。

日本語‐日常会話は問題なし。

 しかし、親しくない人と電話で話すときは、うまくしゃべることができるか不安になり緊張を感じるそうです。読み書きに関しては学校で日本語の授業をG8まで受講しており、小学3、4年生程度ぐらいなら日本語の教科書は理解できるようだが、日本語で読んだり書いたりはほとんどしない。日本の高校進学も考えたのでG9年生の時、日系の塾で中学3年の国語を受講したがまったく理解できず、日本の高校進学は選択肢からなくなりました。


質問:インター校に入るタイミングはいつがいいか。

家庭の事情居住地本人の気持ちなどインター校に入るタイミングは人それぞれだと思うが、両親が英語が得意でない息子の場合、英語を第一言語に選んだのでインター校入学は小学校に就学時期でよかったと思う。高校からインター部に進学するお子さんを見てきたが、基礎英語を学んで、すぐに通常授業に入るケースから、基礎英語がなかなか身につかず、授業もほとんど理解できないケースまで大変差があるように思います。

 

質問:子供のストレスや悩みに対して親ができる事は何か。

話を聞いてあげること。解決策を一緒に考えていくことだと思います。

 
質問:(息子さんは「自分は自分」と考えているという事だが)どうやったらそういう風に育てられるか。

小学生の時、息子は周りの大人から「何人として生きていくか決めなくてはならない。」 と言われたことがありました。私は決める必要はないと思っていましたが、何より「何人か」ということに拘らない友人が学校にたくさんいました。多国籍、多言語、多文化の環境にあるタイ、バンコクに育ったこと、民族や国籍に拘らない友人がいるインター校に通ったことが一番影響しているのではと思います。


質問:親としての戸惑い、子供が自分で決めた事に突き進んでいくことに対する親の不安はどんなことか。

インター部に入学した当時、言葉(英語)の壁のプレッシャーを感じている息子を見てこの先インター校でやっていけるのだろうかという戸惑いが強くあった。日本の小学校に体験入学に行った時、一部の男の子からからかわれたりいじめられたことを先生や祖母祖父にあまり相談しなかったことを後から聞いて胸が痛みました。
 大きくなっても遠く離れたカナダで病気、怪我しないだろうかという不安はいつもあります。しかし、それ以上に息子が自ら人間関係を広げ成長していく姿に対する安心感の方が大きいです。

 

 現在、Gさんの息子さんはとても立派に自分の人生を突き進んでいるので、「どうすれば? どうやったら?」という質問が多かったです。特にインター校と日本人学校とのバランスや、3言語のバランスや能力、息子さんの心境に興味があったようです。また、ここに至るまでのご両親の心境や努力にも関心が集まりました。個人的には、どうやったら「自分は自分」と言える子供に育てられるか、が興味深かったです。

 一番印象に残ったことは、複数の方々から、「子供が思ったように」「子供が望んだ事を」「子供の考えを聞いて」という種類の発言が多く聞かれたことです。語りセクションが終わってからのホームグループでも「子供の意見、気持ち、興味」という発言が多数聞かれ、「子供がどうしたいか、親がどうしてあげたいかのバランス感覚、子供をもっと知ること」などがまとめとしてあげられました。これは、当事者の話を聞く活動を継続してきたことで、運営側にも参加者側にも話し手にも聞き手にも、子供の気持ちに対するスペースが広がった結果だと感じました。ファシリテーター:宍戸大作)

 

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これまで3回にわたり、第二部「体験者の話を聞く」での当日の語りと聞き手とのやりとりを報告してきました。それぞれのセクションで聞き手がいてこその語りが生まれていたのではないでしょうか?次回のブログでは、「語る意義・聞く意義」について、語り手、聞き手、ファシリテーターそれぞれの感想をもとに考えてみます。

タイにおける母語・継承語としての日本語教育研究会(JMHERAT) 運営委員

複言語・複文化を生きる子どもの語り(2)「両親は日本人ではないけれど、心は日本人の僕」「今の僕を作ったもの、『野球』と『言葉』と『親との関わり』」

親と子どもの話を聞こう

―複言語・複文化を生きる7人の語りー

 

 2019年8月25日(日)に終了したワークショップの3回目の報告です。今回は、第二部「体験者の話を聞く」セクションのAさんとCさんの語りの様子です。

それぞれのセッションでどのような語りが生まれ、気づきや学びが起きたのでしょうか。

 

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両親は日本人ではないけれど、心は日本人の僕」~Aさんの語り〜

 

<Aさんの背景:母中国 父タイ>

<Aさんの話のポイント>f:id:jmherat:20190825145248j:plain

・ずっと普通に日本にいると思っていた
・突然のタイへの移動
・泣きたくなったタイでの学校生活
・タイで生き抜くために考えたこと

 

Aさんのストーリーと質疑応答など>

タイ生まれ。タイ人の父と中国人の母を持ち、4才で家族で日本に移住し、日本の幼稚園、公立小・中学校に通う。日本に永住するつもりだった両親の方針で、学校だけでなく家庭内でも全員日本語で生活するも、日本での永住権取得困難、東日本震災などにより両親の決断で、中2になってまもなく家族でタイに移動。タイではやっと見つかった中等学校でゼロからタイ語を学び、3年間ほぼ毎日、放課後にタイ語の個人授業を受け、大学入試を突破。現在、タイの国立大学政治学部3年生に在籍している。が、今も「考えるときは日本語」で、母語が日本語」「日本は『故郷』みたいな感じ」だと思っている。大学の授業で必要なことがタイ語で理解できないときには日本語で調べたり、理解したりしている。時事ニュースや小説も日本のものをよく読んでいる。 将来は、まだ具体的なプランはないが、生活のベースはタイがいいかなと思っている。

 

2回のグループセッションでは、さまざまな立場の保護者や、ダブル当事者の大学生、そして教師がAさんの話を聞きました。そして、日本からタイへの移動で起こったこと、両親の母語ではない日本語が母語になっていること、これからの「日本」との関わりについてなど、さまざまな質問が出ました。以下、質疑応答の一部を紹介します。

 

質問:中2で日本からタイに移動したとき、一番たいへんだったことは何ですか?その移動をご両親が決めたことに対してはどう思いましたか?

Aさん:日本では、家でも全部日本語だったので、タイ語はすっかり忘れてしまっていて、大変でした。それから、学校のことも。タイ語は、話すと今でも日本語なまりと言われます。一般のタイ人と比べるとタイ語の読み書きも遅いと思います。タイへの移動に関してはイヤだと思ったけれど、タイはそう遠くなくて、僕のルーツでもあるので、まあ、しょうがないというか。えーっと思ったんですけど、うすうす気が付いていたというか。

 

質問:タイに移動して、自分に自信がついて、タイ語でやっていけると思うようになったのはいつくらいですか?

Aさん:1年後くらいですね。環境が、もうやるしかないって感じだったんで。でも、最初の1年はすごく大変で、その頃、学校のテストの時とかは母が教室で隣に座ってわからないところを訳してもらいながら受けていました。でも、学校では、最初は留学生みたいな感じでしたが、実際は(僕は)タイ人なんで、すぐにタイ人扱いになりました。

 

質問:タイトルに、「心は日本人」とありますが、どこがタイ人と違うんですか。

Aさん:日本で育ったので、考え方とか。日本語で物事を考えるとか、日本人的リアクションとか、母語が日本語だったり。今でも日本語でいろいろ調べたり…だと思うんですが。

 

質問:家庭内での言語は、今も日本語だけですか?

Aさん:親の母語は中国語ですが、日本の時は全部日本語でした。それは、僕が外国人だといじめられたりしないようにということでそうしたみたいです。今は、親とは日本語とタイ語が半分半分で、3才違いの弟とは日本語です。家族では、タイ語も日本語も混じっていて、「しっくり」くる方を使っているという感じです。

 

質問:中2のはじめで日本を離れてからもう何年も経っているのに、日本語はどうしているんですか。

Aさん:マンガとか、アニメとかで日本語を取り入れたり、JLPTとかを受けてキープしています。あと、小説を読んだり、ニュースも日本語でチェックしたり。でも、(家族以外で)唯一のアウトプットは、父の日本人の友人が時々タイに来た時です。

 

質問:大学に入って久しぶりに日本語を勉強しているということですが、それは簡単すぎるんじゃないですか。

Aさん:大学では副専攻で日本語を勉強していますが、普通の科目は確かに簡単です。でも、将来のためにビジネスというかそういう日本語を知りたいと思って。

 

質問:今、論文を書くとして、何語でもよかったら、何語で書きますか。

Aさん:日本語か、タイ語で迷うと思います。それでも、(タイ語は)日本語には劣ると思います。

(Aさんにとっては「日本語が母語」でタイ語よりも優勢であり、論文などの高度な文章表現をすることについても日本語の方が自分を表現できると語っていました。)

 

質問:日本に戻りたいと思ったことは? 将来、日本に戻りたいとか、住みたいと思いませんか。

f:id:jmherat:20190825145302j:plainAさん:(タイに移動して)最初は戻りたいと思っていました。でも、だんだんと薄れたというか慣れて、だんだん居心地が良くなって。それでも、日本が故郷という感じは変わりません。将来、行ったりすることはあると思いますが、長期的に住むということは考えていません。親とも話したりしますが、タイがベースだと思っています。それで、日本語が生かせるのがいいなと思っています。

 

 事前のインタビューでAさんが語ってくれた移動に伴うさまざまなエピソードは、彼にとっては普通のことでも、ルーツも母語も日本単一であるわたしからすると驚きの連続でした。Aさんは、わたしにとってこれまでに出会ったことのない「日本語人」でした。両親が日本人ではなくても、4才から10年間住んだ日本のことばが母語になったこと、その日本を離れてから7年経っても「心は日本人」だと思っていること、そして、日本語は今もこれからも自分の一番自然なことばだと思っていることについて、わたしはこのような子どもがいることに驚き、何度もAさんの話を聞きました。

 Aさんは自分の経験が少しでも人の役に立つならと今回の語り手役を快く引き受けてくれました。これまで聞いた語りを通して、わたしはAさんにとっての「日本語」の意味をより深く知るとともに、Aさんのような言語背景の子がいるということを広く知ってもらいたいと思うようになり、今回のファシリテーターを引き受けました。

 今回のセッションでは、Aさんは聞き手から質問されたことで改めて考え直したことがいろいろあったようです。さらに、Aさんは今回、将来について「タイがベースで、それでも故郷は日本」ときっぱりと言っていました。過去のインタビューでは迷っていたので、この変化がとても印象に残りました。これからも彼に学ばせてもらいつつ、見守っていきたいと思いました。(ファシリテーター:松井育美)

 

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「今の僕を作ったもの、『野球』と『言葉』と『親との関わり』」~Cさんの語り〜

 

<Cさんの背景:母 タイ 父 日×タイ

f:id:jmherat:20190825141125j:plain<Cさんの話のポイント>

・移動による喪失感 ―野球との決別

・言葉へのあくなき興味 ―3か国語が母語と言えるようになるまで

・親との関わり ―家出、放任、信頼を経て今思うこと

 

<Cさんのストーリーと質疑応答等など>

日本で生まれ幼稚園でタイ。小学校で再び日本に移動。小学1年で野球を始め、メンタルが強くなった。しかし、6年になる時にタイに移動し野球ができなくなった。その喪失感はあまりにも大きく、言葉や学校文化の変化はその打撃に比べれば大したことではなかった。タイではバイリンガル校に入学。英語は小2でハリーポッターを辞書片手に読んでいたほど好きで、3か月でタイ語にも慣れた。大学は国立大の政治学科に進学。授業料を稼ぐため大学2年で通訳・翻訳の仕事を始め今は本業。常に新しい課題はチャンスと捉え挑戦。今は日本語、タイ語、そして英語を使いこなす。語学は好きだったが塾に行ったわけではない。中学時代は親に反発。子どもは親の言う通りにはならない。しかし、根底には親が信頼して失敗しても受け入れてくれるという安心感があり、それが自分を作った。

 

Cさんのセッションは2回の予定が番外もあり、3回になってしまいました。セッションごとに参加者の関心のテーマが少しずつ変わるのが興味深かったです。質問をカテゴリー別に分けると、①親との関係、②言語について、③その他に分けられます。セッション1では主に①について、セッション2では②と③について、セッション3では主に②についての質問が多かったです。質疑応答の中でCさんから大人達へのメッセージ、また独自の言語システムが語られました。カテゴリー別に印象深い質問とそれに対するCさんの答えを紹介します。

 

<① 親との関係について>

質問:「タイでは子供のことは親が決めることが多いが、どうしてお母さんはそうじゃなかったのか」


Cさんは「強硬手段に出たから」と答え、それでも苦手な数学が「落第するぐらいの成績だったら親も放任しなかったかもしれないが、合格するギリギリの点は取っていたし、代替として何を頑張るか」親と交渉したと話しました。代替としては「文系科目はすべてA」という結果で親を納得させました。このことは「親子のコミュニケーション」だと意味づけていました。それまでケンカもし、家出もしたけど、話すときは徹底して話す。嫌いなものはただ嫌いというわがままで終わらせず、代替になるものを提示して、それに対しての努力は惜しまないというCさんの態度は、親の心を動かしました。それは、単にCさんが親に勝ったということではなく、「自分のことを信頼していろいろ任せてくれて、自分の人生を選ばせるっていうのは、自分は親に対していくら感謝しても足りないぐらいだと思う」という言葉に集約されるように、人生を賭けて親と対峙するぐらいの自分の真剣さを認めてくれた親への、心からの感謝の言葉をCさん自身に言わしめた、親の思いというものが感じとれました。また、ここまで徹底したコミュニケーションが取れる親子なんだと思いました。

 

質問:「自分がもし語学が苦手だったら、どうしたと思うか」


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Cさんは自分がやると決めたことに対しては自分に厳しく向き合うが、苦手なことと格闘したりやりたいことが見つからない他者に対しては限りなくやさしいまなざしを持っています。この質問に対しては「英語はできないけれど代わりに○○で手を打とうとする」と言い、「苦手なところをわざわざ伸ばす必要が本当にあるのか。苦手なことは必要最低限でいいのでは」と答えていました。そして、今の職場でのことを例に挙げ、「タイ語全然ダメって言ってる上司でも、現場に行けばオペレーターとタイ語を話してるように必要が問われれば何とかなる。そこを緩いまま許してあげることはとても大事で、そこでタイ語全然だめじゃんって言ったら委縮してしまうだろうし、ある程度できたらそこを認めてあげるというのが大事」と答えたところは、3か国語を母語だと言えるまで極めたCさんにとっては、上司への敬意の表れであり、そこに他者の持つ能力をポジティブに見るCさんのまなざしを感じました。

 

<② 言語システムについて> 

質問:「12歳でタイに来て、日本語を使う生活とは断ち切られたのになぜ日本語が母語と言えるのか」

Cさんは「学校や社会はタイ語だけで進んでいくが、僕の身のまわりの情報は日本語が多い。携帯やパソコンも日本語だし、日本の小説とか読んだり、日本語から切り離された生活をしている感じはなかった」と答えていました。本を読むことが好きで、家にある本はよく読んだけど、日本語の本は少なかったので、学校や市立図書館にこもっていた」そうです。ここで強調していたのは「勉強のためにではなく、単に読んだり書いたりが好きだったからで、漢字も本を読みながら覚えた」ということです。子供のころは好きなものに夢中になりますが、Cさんの場合は本であり、言葉であり、文字だったんですね。

 

質問:「どうしてそれほど語学に興味があるのか」


この質問に対するCさんの答えはとても素敵でした。「僕にとって語学を学ぶというのは自分の世界が広がる感覚」と答え、それに続けて「小さいのにどうしてそう思ったか」という質問に「小学校の時、ちょっと校区外に行ってみたいときがある。ちょっと西小学校まで行ってみようよみたいな。僕にとって本を読むことはそれと同じようなこと。」という答えが返ってきました。誰にでも思い当たるような小学校のときの感覚、ちょっと隣町に行くだけでも未知のものに出会える興奮があったことを思い出しました。語学を学ぶことが、自分を未知の世界に連れていってくれるアドベンチャーであり、こんな素敵な経験だったら、「いちばん深く考えごとができるのは何語か」という質問に対しても「全部」と迷わず答えるのもCさんを見て当然だと思えました。

 

<③ その他の質問>

質問:「小学校で日本に戻ってきて、友達関係はどうだったか」
 

親からすると、移動によって子供が体験する友達関係のことはとても関心が高いと思いますが、この質問に「人間関係が上手いほうじゃないので、基本的にまわりのことを気にしないで自分で環境を作っていた」、「自分が生きやすいように環境を作っていくというのが大事なんじゃないかな」と答えていました。小学校低学年ですでに生きていく術をある程度身に着けていたのかもしれません。それは移動による環境の変化から自分を守る術だったのでしょうか。このことは、自分の力ではどうしようもない大きな環境の変化に対して、自分で小さな環境を作ることで自分の身を守っていたということもできるのではないでしょうか。

 

質問:「10歳前後でどうしてそんなポジティブな考え方ができるのか」
 

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「野球」で培われたそうです。自分の考え方ひとつで環境はプラスにもマイナスにもなるという彼の生きる哲学のようなものは野球で身をもって知らされたのだと思います。もう一つ印象的な質問に「やりたいことが見つからない人が多いが、どうしたら見つけられるか」というものがありました。Cさんは、「やりたいことが見つからないのは失敗を恐れるから。または、環境からは認められないような失敗になるんじゃないかという恐れがあるからやりたくなくなってしまうのではないか」と言い、やりたいことに出会うためには、「失敗を許してあげる環境や家族であること、安心して失敗できる環境を作ってあげること」だと答えました。本人がやりたいことができなくなっているのは本人だけのせいではない。環境にもその原因があるのではないかというCさんの指摘には、聞く者を深く納得させるものがありました。

 

 Cさんを2年前からインタビューしてきて、この人はなんて意志の強い人、さまざまな試練を乗り越えて生きてきた人なんだろうという印象が強かったのですが、今回のセッションでは参加者との語りを通して、Cさんは強さだけではなく他者の持つ部分的能力を認め、そこに温かいまなざしを持つ人だということに気づきました。同時に、今は放任だけれども、それは自分を心から信頼し見守ってくれているからであり、そこに至るまでのある時期、自分と徹底的に関わってくれた親に対する深い感謝の言葉を聞いて、子どもの意思を尊重することはその子の人格形成にまで影響することだということがわかりました。

 子どもの意思を尊重することは、はたからみれば「子どもに甘い親」という目で見られることもあるかもしれませんが、子どもはそれによって自分の生き方を探し出し、失敗を恐れずにやりたいことにチャレンジできるのだと思いました。親が作った環境、親が夢見る子どもの将来設計が子どもにはどれだけ苦痛で、実行こそ多くの子どもたちはできないにせよ、家出をするほどの抵抗感があることもわかりました。私自身が親として自分の子育てを振り返り、子どもの目線で聞いてあげられなかったことを思い出し、子どもは子どもなりに考えていたんだということを改めて噛みしめました。

 今回、Cさんのストーリーを聞かれた方も、ご自分の子どもとの間に起きるさまざまな場面を思い出されたのではないかと思います。親には親の、子には子の人格があり、考え方があり、それがそれぞれの人生を築く上での軸になると思うのですが、親はどうしても子の人生の軸を自分の軸に包括しようとします。本当は別々のものなのに。それを理解してもらうために親と真剣にぶつかってきたCさんが語った言葉は、多くの子どもの心の声のように思えました。その声は、「外からの声に振り回されず、目の前にいるあなたの子どもの声を聞いてほしい」と語っているように思いました。ファシリテーター 山本由美子)