タイにおける母語・継承語としての日本語教育研究会

Japanese Mother Tongue and Heritage Language Education and Research Association of Thailand (JMHERAT)

第14回セミナー「言語活動実践報告―体験とことば―」第2部報告

みつめよう子どもの姿、考えよう子どもの現実

 子どもを育てる、ことばを育てる
 ―複数言語環境で育つ子どもが自信を持って生きるための言語実践―

2018年3月18日に終了した第14回セミナーの2回目の報告をします。今回は、第2部の「言語活動実践報告―体験とことば―」の発表概要、質疑応答を掲載します。

●インター校高校部の実践

「映像から学ぶ日本語」 大倉尚巳(NIST International School)
◆発表概要
 自己表現としての言語力に必要な要素の一つとして、言葉を具象化させる想像力が挙げられます。この発表では、文学の授業で、想像力を表現する土台としての「映像」を追求し、生徒の探究心を育むとともに、語彙力や読解力へと繋がる可能性を検討しました。
 文学の授業では、明示的なメッセージの読み解きだけではなく、暗示的なメッセージの解釈こそが重要ですが、解釈というのはその生徒が経験してきたことや感性・感覚で違います。この解釈を育てることに力を入れないと、文学としての役割ではないし、自分の教師としての役割でもないと思っています。
 まず、授業ではカフカの「変身」を読み、小説に書かれているヒントをピックアップしながら、登場人物や家を絵で表現してもらいました。想像で描くのではなく作品の中からエビデンスを拾って描くことにより、生徒達の頭の中で物語が広がっていきます。ただ、絵では動作を表現することができません。そこで、次に映像化することにしました。映像化のためには小説を解釈することが必要であり、解釈するためのプロセスを繰り返すことによって作品の理解を深めることができました。
◆当日配布資料はコチラ

◆学生作成映像説明

「変身」を映像化した作品。シューレアリズムの作品を表現するために登場人物にシルバニアファミリーを使ったり、人間の薄情さを表すために静止画像をぎこちなく動かしたり、登場人物間の優劣を表すためにローアングルで撮影したり、主要なテーマである人間の負の側面をほのめかすために、照明で登場人物の表情に影をつけたり、グレーゴルの主観を表すために音楽を途中で曇った音にするなど、ひとつひとつに意味があり、意図があって作られた映像です。


「変身」というテーマの完全なオリジナル作品。原作では存在意義がテーマとして扱われていますが、生徒たちにとっての存在意義は、原作と違います。見た目が変わってしまったために友達の輪に入っていけない自分が存在している意義とはなにか、ということが彼女達にとってのリアルです。最後のシーンでは二人の配置の高さが異なっています。これは、Aはまだ自分の存在価値をSの存在価値より上だと思っていることを表しています。この終わりの場面は何も解決しておらず、不幸でも幸福でもない「変身」と同様に微妙なやりきれない気持ちを表しています。このように、作品の世界観をそのままオリジナル作品で表しています。

● 親が創る日本語教室の実践

 「対話を起こし、体験を繋げる幼児部の活動報告」
 ケウホワサイ美穂子・高見志津・青木有里香・番場亮・鵜野晋(バイリンガルの子どものための日本語教室)
◆発表概要
 この教室では、子供たちが自分に自信を持って他者との関係を築いていける能力を目指し、子どもの「興味」、「関心」のあることを「体験」と「関係性」の中で育てることを活動方針としています。子どもたちの言語能力や環境の異なりなど、様々な差異そのものを資源と考え、子どもにとって意味のある体験とは何かを考えながら、テーマ型学習を実践しています。
 幼児部の活動は①読み聞かせ②工作③ダンス・歌の3つの活動で構成しています。しかし、これまでこの3つの活動に関連はなく、バラバラでした。そこで今年は絵本「ねこのピート」を軸に、3つの活動を全て関連付けました。家での宿題も「ねこのピート」を基に手作りしました。この本は「読み手」「聞き手」に分かれず、子供たちとやり取りし、本の中の歌を一緒に歌いながら話を進めていく体験型の絵本です。活動は、ねこのピートの世界を【絵本で聞く→工作で体験→歌やダンスで楽しむ→家に帰って宿題で再度自分のピートを表現→次回の活動の時にそれらを繋げる→それを繰り返す】の流れで行いました。本との関連性をもたせ(文脈化)、やり取りを重視し、一貫性をもたせることができました。この教室では親が教師役を務めますが、全ての活動が繋がり、家と教室が繋がることで、教師自身が活動を楽しみ、アイデアもどんどん出てきました。
◆当日配布資料はコチラ

◆幼児部自作の課題シート
「ボタン」いろいろなボタンを描いてみたよ
「よっつ」よっつあるよ。てんとう虫は4匹。黒い点がよっつ!

第2部 質疑応答

質問1:バイリンガル教室はなぜ補習校登録をしなかったのでしょうか。

  • 回答(深澤):補習校登録をすると日本から先生が来るなどの支援がありますが、それはいらない。日本に帰ることを前提とした補習校と自分たちの教室は明らかに違う場なんだ、自分たちはここで生きていく子どもたちの教室を作っていくんだ。そういう意思の表明でした。(深澤はバイリンガル教室のアドバイザー。補習校登録をしないと決めた時の状況を知っているため、親に代わり返答)

質問2:子どもの進路に迷っています。映像を作った学生の日本語の能力はすごく高いですが、どのくらいの時期にNISTに編入したのでしょうか。また、学校以外でも日本語の勉強をしているのでしょうか。

  • 回答(大倉):シルバニアのグループはそれぞれ入学時期がバラバラでした。エレメンタリーの時に入った子、去年入ってきた子。中学校ぐらいから入ってきた子がなどです。NISTに入る前の日本語使用経験もばらばらです。NIST学校外で日本語の勉強は基本的にしていないようですが、家庭教師などでサポートしてもらう生徒はいます。エレメンタリーの頃はそういうのはよくあるんですが、中学高校になるにつれてほとんどNISTの授業だけでやっていけるようになっています。

質問3:10歳と7歳の娘はイタリア生まれイタリア育ちです。イタリアではイタリア語で遊びイタリア語で喧嘩していました。半年前バンコクに移動しましたが、イタリア語をほぼ全て忘れて今は英語で遊んでいます。心配なことは、幼児期からどの文化でも100%ではない。日本人の両親で家で日本語でも日本語は100%にならない。どれも100%ではない。文化やアイデンティティですがどこにも帰属できない。今後どうやって彼女たちの自信を育てていけばいいのでしょうか。学校で静かにしているのも言葉の問題ではなく自信がないのではと思います。どういうことをしたら自信を持って生きていけるのでしょうか。帰属意識が持てない中でどこに拠り所を求めたらいいですか。アドバイスが欲しいです。

  • 回答(深澤):この質問は、セミナー全体のテーマです。後半はそれについて話し合っていきたいと思います。

次回は第1部と第2部のまとめの報告を掲載いたします。
(JMHERAT運営委員)

第14回セミナー「複言語・複文化活動報告 ―言語能力観の捉え直し―」第1部報告

みつめよう子どもの姿、考えよう子どもの現実

 子どもを育てる、ことばを育てる
 ―複数言語環境で育つ子どもが自信を持って生きるための言語実践―

2018年3月18日に開催した第14回セミナーの内容をこれから数回にわたってご報告いたします。今回は第1部の「複言語・複文化活動報告―言語能力観の捉え直し―」の発表概要と質疑応答、およびコメンテーターからのコメントを掲載します。
当研究会では複言語・複文化を生きる子どもたちに焦点を当て、子どもたちや子どもたちを取り巻く大人たちが参加する複言語・複文化ワークショップをこれまで4回開催しました。これをもとに、第1部では、運営委員によるワークショップの成果の報告、ワークショップに参加した教師による大学でのワークショップの実践報告、そして、ワークショップに参加した保護者による複数言語環境で育った子どもの事例報告を行いました。
以下、各発表の質疑応答から掲載します。発表概要及び発表に使用したスライドをご覧になりたい場合は、各発表名の下にある「発表概要」「発表PPT」をクリックしてください。

●複言語・複文化ワークショップ報告1
「これまでのワークショップとその狙い」 深澤伸子(研究会運営委員)
「発表概要」「発表PPT」

●大学での複言語・複文化ワークショップ実践報告
日本語教師の思い込みに気付くワーク ―言語マップ・言語ポートレート活動―」 久保亜樹(ランシット大学・研究会運営委員)
「発表概要」「発表PPT」

●複数言語環境で育った子どもの事例報告
「関わるためのことば、関わりによって生まれた成長 ―息子と私と夫の 21 年」 鈴木孝子(トレイルインター校)
「発表概要」「発表PPT」

●複言語・複文化ワークショップ報告2
「子どもたちの事例 ―複言語・複文化からトランスランゲージングへ―」 松岡里奈(研究会運営委員)
「発表概要」「発表PPT」

第1部 質疑応答 

―言語マップについて
質問1:言語マップは、実際の本人の現実世界を正確には表せていないと思うのですが。

  • 回答(深澤):言語マップは、その人にとって大切な世界が表されます。ペットの犬との世界が大切な学生は、犬との会話というのを書く学生もいますし、親との言語体験がこのマップでは書ききれない場合もあると思います。
  • 回答(石井):マップの左側は、コミュニケーションの相手を指します。だから、道を歩いている時に聞こえてくるものというよりは、伝えてコミュニケーションをして自分の意図を交換したり気持ちを表したりしたい対象のことを指しているんだと思うんですね。つまり、現実世界ではなんとなく耳に入ってくるという言葉もあると思いますが、それを表しているのではなく、お母さんととかペットとのやり取りをしたい時の言葉は何かということを表しているマップなのかなと思います。

質問2:学校の授業での英語を書いている人もそうでない人もいますが、それで良いのでしょうか。

  • 回答(深澤):このマップには自分にとっての大切度が表れてきます。心理的な部分を、マップを作成した後に、これをツールとして対話してもらえたらいいと思います。
  • 回答(石井):例えば、日本の状況では、日本の学校に入った外国ルーツの子ども達が、 学校で朝から晩まで日本語しか聞いていないと思っても、物理的にはいっぱい流れている音を「聞く」か「聞かない」かというのは、その子自身がそれを「聞こう」という構えをしない限りは耳に入ってこないんです。ですから、何年間か教室に毎日通っているのに日本語力が全然伸びないということはいくらでもありえます。周りの大人が全て日本語だったと思っていても、「ずっと日本語で考えていたかな?」などと子どもとやり取りを少しするだけでも、言語マップの結果が変わってくる気がしますし、そのやり取りも子どもにとっての経験になると思います。このワークを使った対話を通じて気付きなどのいろいろな効果が出てくる可能性があると思います。

―大学での複言語・複文化ワークショップ実践報告について
質問1:言語ポートレート活動で参加者が例に影響を受けないようにするには、どうすれば良いでしょうか。

  • 回答(久保):最初は例を見せずに描いてみて、途中でペンが進まないようであれば少し例を見せるか、教師が偏りのない例を作って見せても良いと思います。私の実践で学生の言語ポートレートが同じようになってしまった原因にはおそらく「いろいろな言語が混じっているから」「どの言語とも関わりがないから」描けないということもあると思います。描けない理由を文字で書いてもらうと個人の考えが見えてくるのではないかと思います。

質問2:言語マップと言語ポートレートを作成してもらった後、学生に何か具体的な対応をしましたか。

  • 回答(久保):ワークショップ後に言語マップや言語ポートレートを見て、疑問に思ったことは学生に個人的に聞きました。個別に話をするというのがメインで、他のところには活かせていません。ただ、ワークショップで得たことを授業にも取り入れてみることもできるでしょうし、この先何か問題が起こった時にこのように学生のことを知っていれば、うまく対処できることもあると思います。

―高校時代に言語環境が変化し苦労した大学生の事例について
質問: 苦労をした学生の話を聞きましたが、それを聞いて自分で子どもを育てる自信が少しなくなりました。ほかに成功した事例はあるのでしょうか。

  • 回答(松岡):日本人学校を中学校まで、そしてタイの現地校(タイ語と英語のバイリンガルスクール)に入ったその学生は、私は彼が大学に入って日本語学科に進んだところで出会ったんですが、今はとても元気です。今はとても幸せに生きているように見えます。友達も多いですし、友達関係で悩むことがあっても、今は彼の夢は、日本語とタイ語の通訳になることで、今は英語がもっとできるようになればという思いを抱いて、これからの人生計画を練っているところなんです。
  • 回答(深澤):つまり、人は変化するんですね。事例のKくんなんですけれども、私たちは継続して見てきました。最初は高校に入ってタイ語ができなくて大変だった、もう思い出したくもない、と言っていました。そして、大学は「楽をしたい」から日本語学科に入ったと言っていました。それを聞いて、「楽をしたいなんてなんてことか!」と思いましたけれども、彼の背景を知って、なるほどかと思いました。それで大学に入ってから、支援者に出会ったり、日本語というのを1つの武器にして、自分が支援する側になれた。私たちは変化してきた彼を見て、一昨年この研究会で、大勢の大人の前で発表してもらったんですね。この言語マップを書いてもらって。その時に最初に私が最初にインタビューした時とは全然違う語りが出てきました。最初は、「将来はどこで働くかわからない。タイで働くのに自信がないから、日本で働きたい」と言っていたんですけれども、それから5ヶ月後に大人の前で話をしてもらった時には、「働くところはどこでもいい。」という風に変わってきました。それはやっぱり、色々な人との関わりや、自分がやったことへの評価が、重要になるんだと思います。

―複言語環境で育った子どもの事例報告について
質問:インターナショナルスクールに通っている日本人の両親を持つ子どもに学習言語を習得させるのに、家庭での英語のサポートは必要ですか。

  • 回答(鈴木):これは年齢にもよると思うんですけれども、小さいうちは算数であれ英語であれ宿題であれ、親がしっかり、学校が何をやらせようとしているのかを考えて見てあげるのがいいと思います。ですから、手伝って完璧に宿題をさせるのではなく、何をしているのかということに関心を持つことが大切だと思います。私自身の場合はできる限り手伝いました。提出をさせる時に「ここからここまでは親が手伝いました。これはこう間違えたけれども、親がこう教えました。」という風に全部コメントを入れました。そうじゃないと完璧な宿題を出して、先生がこの子はここまでできていると思ったらとんでもないことになるので、そのくらいでいいと思うんですね。英語を習得させるために日本人の親がしてあげられることは限られているので、英語のサポートというよりも内容のサポートですね。言語のサポートはもう学校に任せるといいと思います。
  • 回答(深澤):学習言語能力の習得は何年もかかるんです。焦らないで、家ではむしろお母さんお父さんの母語で十分な体験をさせてあげるのがいいと思います。
  • 回答(鈴木):英語の本はたくさん読まされるんですが、子どもが読む本は自分も読んで、内容を聞いたり、一緒に読んだり、話し合ったり、報告させたりしました。

〇舘岡先生からの感想
※舘岡先生は本研究会の第1回目のワークショップから講師として参加してくださっています。

【1】お互いがリソースであるという気づき
第1回目のワークショップのときは言語マップ活動だったのですが、参加している皆さんがこういう風に相手によって言語を変えていくんだということがはっきりとわかって、とてもインパクトがありました。また、今でも印象に残ってるのは、家族にとって共通語が必要かということが議論になった時があるんですね。うちはモノリンガルなので考えたこともなかったんですが、共通語がないということがあるんですね。その議論の中で、参加している人たちがお互いのリソースになっている、つまり、そういう場を作ることによってこそ、学べることがいっぱいあるんだということを大変体験的に感じました。

【2】語り合うためのツールだという気づき
「複言語・複文化」というのは、私たちも本で読んで学んでいるし、自分自身はモノリンガルだけれども、そういうことは理解はしているつもりだったんですけど、本当にごちゃごちゃなんだなということがよくわかりました。私の中ではマップを書いたら3色ある、とかそういうイメージだったんですけれども、ある学生さんが喉の所に、黒でぐちゃぐちゃって書いていましたね。この黒でぐちゃぐちゃというのは、自分が何語を話しているかということを、切り分けて整理していないということだったんですね。ですので、さっきのご質問にもあったように、友達には全部日本語かとか、誰々さんには何語とか1色にできるかというと、そうではなくて、かなり混沌としているんですよね。だから、可視化できる材料として、マップはとてもいいと思います。そして、石井先生が先ほどおっしゃったように、マップはツールなので、「マップを完成させる」ことに意味があるんではなくて、書くプロセスで気付いたり、書きながら、「あ、1色にできないんじゃない?!」などを、語り合うためのツールなんだなということを感じました。

【3】そもそも人が言葉を学習する目的への気づき
私が普段している、日本に来た留学生に日本語を教えるというのは、教室の中で教科書もあります。「て形」とか「行く」とか「帰る」とか、そういう単語を教えて、活用を教えて、そういうのが日本語教育だと思っている人もたくさんいると思うんです。それは、先生ばかりではなくて、学生もそう思っているみたいなんですね。ですけれども、そもそも人はどうして言葉を学ぶのか、という現象的なことをすごく学ばせてもらいました。というのは、この言語マップのプロセスでもわかるように、「相手に伝えたい」から、その言葉が増えていくんですね。例えば、タイで生活している子どもさんで、お父さんもお母さんも日本人で、日本語でお家で話をしていて、学校にもまだ行っていない、幼稚園にも入っていないという子どもは、日本語ばかりの世界かというと、そうではないんですね。その子がタイ語を話すのはなぜだろうと思ったら、お手伝いさんとかベビーシッターさんがいて、言葉を使う必要があるわけですね。だから、言葉を学ぶっていうのは、「伝えたい」、それから「分かり合いたい」ということ。それが、言葉の学習の原初的なことで、これは当たり前のことですが、この活動を通して改めて気付かせてもらいました。どうしても、学校に入ると学校的な習い方で、規則があって、教科書があって、それを頭の中に詰め込むのが、言葉の学習になってしまいがちなんですけれども、なぜ言葉を学ぶのかっていうのを、日本語教師である自分も、もう一度考えてみたほうがいいと思いました。

【4】研究会を続けていくことの意義
研究会というのは、教えてくれる人がいないんですね。先生のように見える深澤先生も、深澤先生が知っている経験には限りがあるし、結局は親同士、または当事者同士が繋がって、自分達同士で教えあって、学びあっていくっていうことしかないんだと思います。そして、それが最高の学びの場なんだなというふうに思います。是非こういう活動に、色々な立場の人が参加してほしいと思います。そして、日本語教師である私にとっても、とても学びがあり、言葉の学びについての考え方もずいぶん変わってきているので、誰かから学ぶということじゃないんだなということに気づかされました。言語マップも第1回以来、どんどん進化しているんですね。それは、この研究会の人達が、当事者の子どもや学生たちへのサポートの仕方を、真剣に考え続けているからだと思うんですね。是非このような場を続けていただきたいと思います。

〇石井先生からの感想
※石井先生はご主人が韓国人で、成人されたお子さんが2人いらっしゃいます。昨年のセミナーで親としての経験を伺いました。詳しくはこちらをご覧ください(http://d.hatena.ne.jp/jmherat/20170715/p1)。

【1】パターン化するのではなく、状況を見て判断すること
昨年タイで多くの方のご協力を得て、長時間のインタビューをさせていただいいて、色々伺った話を振り返ってみると、本当に多様性が大きいと思いました。モノリンガルだって当然、多様性があるわけですが、私たちモノリンガルで育った人間は、バイリンガルとかトライリンガルとか多言語の人たちをパターン化してこうなるはずと思っているようなところがありますが、現実はそれぞれの家庭によって本当に千差万別な状況ですよね。だから、パターン化して「こうすれば、こうなりますよ」ということではなく、本当に多様で、どんどん変わっているということを自覚しました。その中で、親御さんが、この状況を必死でとらえようとして、まず始めからルートを決めて、最初はたぶん子育てをこうしていこうというイメージがあったのかもしれませんが、子育てを始めてから、実際によく聞く話とは違う現実というのを、自分がどういう風に受け止めて行ったらいいかということを、ずっと試行錯誤していくという、そういうプロセスだったという語りがありました。そこを、私はものすごく大きいことだと思っています。本などを読んでいると出てくるような、いくつかの類型みたいなものは、もちろん何かの役には立つんですが、実際に子どもを育てていくというのはそのパターンに乗せていくという話ではなく、そういう知識はあっていいんですが、むしろ目の前にいる子が、今どういう状況になっているのかということに、ちゃんと視線を向けることが大切ですよね。それぞれの方が、私から見ると、本当にダイナミックな選択を様々なタイミングでやってらっしゃいます。その時にその子が今どういう状況であるかを把握し、自分がどういう将来像を描いているかということだけではなくて、現在の自分の家庭がどういう選択肢を持っているか、どういうサポートができるか、それから自分の家庭だけではなくて親戚といったことも含めて、子どもたちがどういう風に動いていけるのかということを非常によく見通すことが大切だと思います。それは必ずしもそのまま予想通りにはいかないんですが、自分が自覚して決断したことというのは、それがうまくいかなかった時に戻る場所を持っているんですね。なんかどこかで聞いてきた、こういうことがいいとかいうことをただ信じて、それをやってしまった時に、うまくいかなかったらどこに戻ってやり直したらいいかわからないわけですね。
インタビューに答えてくださった方たちは、いろんなことをやってきて成功したり失敗したりって個々の事例についてはいろいろ思いがありました。その方たちのプロセスや葛藤してきたことについての語りを聞いていた時に、やっぱり夫婦でそのことを相談したり、他の人に相談したりというそのプロセスの中で自分はなぜそれを選んだのか、何を期待していたのかということをとても深く振り返っていらっしゃる方たちだという印象を受けたんですね。そのことが丸ごとうまくいくわけではなく、いろんな選択のやり直しをしています。その時にそれまでにうまくいったことやうまくいかなかったことをなぜそうかと問うといったように、自分をたどり直すことができて、もう一度決断のし直しをしている、そのことがとても大きい意味があるという風に思います。

【2】子どもの成長に終わりはないということ
まだほとんどの方たちは子育ての進行形のところにあって、それはたぶんそれぞれの人生が終わるまでどうなるか分からないというくらいの話だと思います。悩んでいたとしても、結果が見えてしまったという話ではなくて、子どもが成人になったとしてもまだそこからいくらでも言語選択や言語習得もありうるということがとても大事な部分だと思います。

【3】複言語だけでなく、複文化の視点も持つこと
私自身は、いわゆるモデル的なバイリンガル子女を作ったということがもし成功だとすると大ハズレな家庭で、子どもの韓国語は大して伸びなかったんですが、結構驚いたことは小学校ぐらいの時、私の知り合いと一緒にご飯食べようという時に「カレーのおいしいお店がある」という話になり、友人が息子に「そんな辛いの食べられないんじゃない?」と言ったんですね。すると、息子は「え、韓国人だから辛い物大丈夫」と言ったんです。他にも、ある人が「ハーフ」だということが分かると、その人に「え、同じ!私も!」というようなことをパッと言うんです。私は意外と、家に外国人がいるということを普段忘れていて、「うちにもいたんだ!」というぐらいの認識なんですが、言語的にはモノリンガル環境にいる子どもたちは自分のアイデンティティを言語力とは無関係に、自分が繋がってる何かがあるということを非常に強く感じていたんです。もちろんことばというのは心の動きをより豊かにする上でものすごく大きい要素だと思いますから大事にするに越したことはないんですが、向こうの親戚との付き合いが非常にスムーズで、言葉わからなくてもなんとか居心地が悪くないという関係が保てていることは大切だと感じました。ですから、複言語・複文化の「文化」の方を忘れずに、人とのつながりとか自分のバックにある様々な社会的な環境とか要因とかそういったものも常に意識しておくことが子どもを育んでいく立場としてはやっぱり重要なんだということを、インタビューでお話を伺い、自分のことを振り返りながら考えました。

次回は第2部の報告を掲載いたします。
(JMHERAT運営委員)

第14回セミナー「複数言語環境で育つ子どもが自信を持って生きるための言語実践」終了報告

みつめよう子どもの姿、考えよう子どもの現実

 子どもを育てる、ことばを育てる
 ―複数言語環境で育つ子どもが自信を持って生きるための言語実践―

日時 :2018年3月18日(日) 11:00〜16:00
参加者:96名


コメンテーターに池上摩希子氏(早稲田大学)石井恵理子氏(東京女子大学)ゲストコメンテータ―に舘岡洋子氏(早稲田大学)をお迎えし、大勢の参加者とともに言語活動実践報告セミナーを無事に終えることができました。
今回はタイの7県から、そしてベトナム、フィリピン、日本などタイ以外の国からも多くの参加がありました。参加の立場も、保護者、教育関係者、ダブル当事者、学生、日本語教育学習者、カウンセラーと様々な立場の方にご参加いただきました。参加者の感想の一部を掲載します。

第14回セミナーのご案内

みつめよう子どもの姿、考えよう子どもの現実

 子どもを育てる、ことばを育てる
 ―複数言語環境で育つ子どもが
自信を持って生きるための言語活動実践―

3月18日(日)に第14回セミナーを開催いたします。

プログラムを更新しました。2018.02.16
昨年初めて言語活動実践報告セミナーを行いました。今回はその第2弾です。第1部では、これまでの複言語・複文化活動で見えてきた子どもたちの言語体験の現実から言語能力観を捉え直します。第2部では、その言語能力観に立ち、実践を通して、子どもの何をどう育てるか、子どものための言語活動を考えます。国際結婚の子どもだけでなく、ことばや文化の間を移動して育つすべての子どもたち、幼児から大学生までを対象にして考えていきます。

参加申し込みはこちらの申し込みフォームからお願いいたします。
みなさまのご参加、お待ちしております。


日時:2018年3月18日(日) 11:00〜16:00(10:30受付開始)
会場:泰日経済技術振興協会日本語学校
    通称 ソーソートー(スクンビット、ソイ29)
コメンテーター:池上摩希子氏(早稲田大学
        石井恵理子氏(東京女子大学
ゲストコメンテーター:舘岡洋子氏(早稲田大学
参加費:200バーツ(学生:50バーツ)
主催:タイにおける母語・継承語としての日本語教育研究会
協賛:トレイルインターナショナル校
協力:タイ国日本語教育研究会
問合せ:JMHERAT[@]gmail.com ※送信には[ ]を外して下さい。


当日スケジュール(予定)
 10:30 受付開始
 11:00 講師紹介、今回のセミナー趣旨等、研究会より
 11:10 1部 複言語・複文化活動報告 ―言語能力観の捉え直し―
 13:05 休憩
 13:25 2部 言語活動実践報告 ―体験とことば―
 14:55 休憩
 15:10 まとめ ―コメンテーターより、全体質疑応答―
 16:00 終了

<プログラム>

【1部 複言語・複文化活動報告 ―言語能力観の捉え直し―】(11:10−13:05)

 ● 複言語・複文化ワークショップ報告1
 「これまでのワークショップとその狙い」
   ………………………………………………深澤伸子(研究会運営委員)(11:10−11:20)
 ● 大学での複言語・複文化ワークショップ実践報告
 「日本語教師の思い込みに気づくワーク―言語マップ・言語ポートレート活動―」(仮)
   ……………………………久保亜樹(ランシット大学・研究会運営委員)(11:20−11:50)
 ● 複数言語環境で育った子どもの事例報告
 「関わるためのことば、関わりによって生まれた成長―息子と私と夫の21年―」
   ……………………………………………鈴木孝子(トレイルインター校)(11:50−12:20)
 ● 複言語・複文化ワークショップ報告2
 「子どもたちの事例―複言語・複文化からトランスランゲージングへ―」
   ………………………………………………松岡里奈(研究会運営委員)(12:20−12:30)
 ● 質疑応答                            (12:30−12:45)
 ● コメンテーターより                       (12:45−13:05)
 当研究会と複言語・複文化ワークショップをやってきた経験から………舘岡洋子(早稲田大学
 タイで親の聞き取り調査をした経験から…………………………………石井恵理子(東京女子大学

休憩(13:05−13:25)

【2部 言語活動実践報告 ―体験とことば―】(13:25−14:55)

 ● インター校高校部の実践
 「映像から学ぶ日本語」
   …………………………………大倉尚巳(NIST International School)(13:25−13:55)
 ● 親が創る日本語教室の実践
 「対話を起こし、体験を繋げる幼児部の活動報告」
   …………………………ケウホワサイ美穂子・高見志津・青木有里香・番場亮・鵜野晋
             (バイリンガルの子どものための日本語教室)(13:55−14:25)
 ● 質疑応答                           (14:25−14:35)
 ● コメンテーターより
   池上摩希子(早稲田大学)・石井恵理子(東京女子大学)    (14:35−14:55)

休憩(14:55−15:10)

【1部2部まとめ】(15:10−16:00)

 ● 複言語・複文化で育つ子どものための言語活動実践を考える     (15:10−15:40)
  体験の視点で考える…………………………………………………池上摩希子(早稲田大学
  発達の視点で考える…………………………………………………石井恵理子(東京女子大学
 ● 全体質疑応答                          (15:40−16:00)

終了16:00

※第1部と第2部の間に休憩があります。どちらかだけの参加も可能です。


2017年9月ワークショップのご報告 第4回

みつめよう子どもの姿、考えよう子どもの現実

 タイで育つ子どもたちを新たな豊かさへ繋げる 複言語・複文化の視点 第4弾

 わたしを描く
 ―言語マップで何が見えるか―


言語マップで生まれた語り2

これから登場する2人にはワークショップ後にご自身でライフストーリーを書いてもらいました。
Aさんはご自身が日本以外の国で育ち、その後も日本国内、国外の移動の中で生きてきた方です。Mさんはタイは2か国目の海外在住経験です。国際結婚かどうかに関わらず、複数の言語・文化体験をしてきました。2人とも子育ての真っ最中の母親でもあります。


《言語マップ:大変さを中心に語られたライフストーリー3》

Aさん(30代)
父親:日本人
母親:日本人
0歳で父の仕事の都合で渡米。10歳までアメリカにて過ごす。
幼稚園は公立、小学校は公立と私立。ともに現地校に通うが引っ越しで2度ずつ転校。土曜日は日本人の為の補習校に通い午前中だけ授業を受ける。小学校4年生で日本に帰国し公立(大阪府)の学校に通う。5年生は兵庫県で、6年生は神奈川県で過ごす。香港2年、イタリアに3年滞在し、タイに来て2年になる

 

■日本に憧れを抱いていたが・・・
アメリカにて10歳まで過ごす。家族の間の言語は主に日本語だが、兄弟(兄)との会話は英語、特に喧嘩などヒートアップした場合は100パーセント英語にてやり取りをした。この頃は英語で話したほうが意思疎通は簡単だったが、日本語でも英語でも完全に自分の意志を伝えるのが困難だと感じていた。日本に4年生の時に帰国、公立の学校に通う。アメリカに住んでいた時に一時帰国時に友達ができ、毎年その友達に会うのが楽しみだった。日本の学校に通う彼らを羨ましく思っていて、日本に憧れを抱いていたので、日本に帰国が決まった時は嬉しく思った。しかし、文化や意識の違いに戸惑いを感じ、周りから、「英語なまり」などと言われ、次第に帰国子女だという事を周りに隠すようになり、中学、高校時代の同級生は、帰国子女だという事を知らない。そして言語は日本語のみを使用。英語に再びふれるのは20歳を過ぎた頃から。帰国子女の友人と交流するようになり、また英語を話しだす。
現在はアイルランド人の夫と娘と3人家族。夫とは英語、娘とは日本語で会話をする。
英語の読み書き能力は10歳当時のままだと感じる。

■日本の学校生活
小学生時代―日本に帰国
上履きやランドセルになじみが無かった。
転校初日に漢字テスト。分からなくて泣いた。英語なまりとからかわれる。
周りの子どもや大人から「英語で〇〇って言って!」と言われるのが苦痛に。

中学生時代―文化の違い、出る杭は打たれる
何故「髪の毛を結わくゴムの色が【黒】じゃなければならない」のか「髪の毛の色が黒じゃなければならないのか」(アメリカには多種多様な人種がおり髪の毛の色も肌や目の色も様々だった)。スカートの丈は膝下何センチじゃなければならないのか」(アメリカに住んでいる頃も制服だったが思い思いの格好をしていた)。「ピアス(イヤリング)を付けてはならないのか」(アメリカに住んでいる頃には女の子のほとんどが耳に穴をあけピアスを付けていた)。そういった日本では普通であろう【校則】が心の底から理解できなかった。理由がないと納得できない。納得できないから校則を守らない。そして、教師からは問題児、先輩からは目立つ生意気な子のレッテルをはられ、教師、先輩から呼び出しの日々。当時の教師達に今になって謝罪をされた。「理由なんか無かった、しかし従うしかなかった…」と。

高校時代
相変わらず、校則を守らず入学式の前のオリエンテーションで教師に呼び出され、注意を受ける。
高校時代の友人も中学生時代同様、私が帰国子女だということを知らない。発言や行動が少し変わっている子だと思われ、「天然女子」と呼ばれる。

■大人になって
転機は同じ帰国子女との出会い
20代になり、中学、高校時代をアメリカで過ごした帰国子女の彼と付き合い始め、周りの交流関係がガラリと変わる。周りに沢山の帰国子女の友人が増え、日本人ではない様々な国籍の人々と交流する。封印していた英語を再び話しだす。

苦労する英語
原材料のメーカーの会社にて国際部に所属し、勤め始める。英語を使うようになったものの10年近く英語に触れていなかった為、英語がなかなか出てこない。ビジネスに通用しない。アメリカにいた10歳の英語しか話せない。発音だけはネイティブな為、完璧な英語が話せると思われ苦労をする。そのため英語には苦手意識がある。

■現在の私
アイルランド人と結婚
日本語も英語も中途半端、ダブルリミテッド(である感じがする)。全てに自信を持てない。自分の人生、いつも、そのような気持ちを抱えていた。自分の娘には、そのような想いをしてほしくない。娘に日本語を教えたいが為に、日本語教育能力試験を受ける。そして、この研究会の活動にも参加した。それをきっかけに石井先生※にインタビューを受ける。その際に「日本語も英語も中途半端なわけではなく、慣れていないから」という言葉を頂き、人生観が変わった。肩に乗っかっていた重りが外れたかのように、英語も以前よりスラスラと出てくるようになった。
※2017年のセミナー講師、石井恵理子氏のこと。

ワークショプを終えて(終了後の感想文から)
言語マップを描くのは2度目ですが、大変シールを貼ることによって、自分では気がつかなかった自分の苦労を改めて発見することができました。他の沢山の方のマップを見て、こんなに多種多様なのかと驚きました。学生の大変シールの多さにも納得しながらも圧倒されました。
他の方の言語ポートレートを読んでみると様々な思考や心理があるのだと発見すると共に、あー!!私も同じ同じ!!と共感できる部分が沢山あることが発見できました。ひとりではないんだと思える体験でした。ポートレートを描いてみて、やっぱりアメリカで育ったけれど自分のアイデンティティは日本人であり基盤は日本なんだ!娘にもしっかりと”日本”を伝えたいと改めて思いました。
マップを描いてポートレートを描いてそれをみんなで共有して可視化できたことにより、今はトランスランゲージングの時代だと講師の舘岡先生が仰っていましたが、それを身を以て体験できたと思います。やはりマップとポートレートをワークショプで2つ一緒にしたことでよりいっそう体感できたのだと思いました。


この感想を読んで「自分のアイデンティティは日本人であり基盤は日本なんだ!娘にもしっかりと”日本”を伝えたい」というところが気になり、聞いてみました。

―日本を伝えたいというのは日本人らしさを継承したいということですか?
A:日本人らしさを継承したい。う…ん。自分が七五三とか経験していなくて、そういう、自分が体験したくてできなかったことを娘と一緒に体験したい。。。。。。。そうですね。自分が体験したいんですね、きっと。日本人らしさを継承してほしいと思っているわけじゃないです。
そのあとでAさんはこう続けました。
A:娘には日本人とかアルランド人であるとか、イタリア生まれ(娘さんはイタリア生まれ)であることに拘らず、あなたはあなたらしくと言ってあげたいんです。

「あなたはあなたらしく」
きっとAさんが自分が子どもの時に一番言ってほしかったのはこの言葉なのでしょう。「アイデンティティは日本人」という言葉には、民族アイデンティティへの拘りでなく、「変な日本人」扱いをされてきたけれど、私はちゃんと生きてきたんだという、自己肯定感の発露を感じました。
(JMHERAT運営委員)

《言語マップ:大変さを中心に語られたライフストーリー4》

Mさん(30代)
父親:日本人
母親:日本人
大阪生まれ。8歳(小2)で和歌山県の過疎が進む地域に引っ越し、少人数の学校で過ごす。高校は家から30キロ先の高校に通う。高校の時、アメリカと中国に約1ヶ月短期留学。大学は親元を離れ、四国の国立大学に通う。大学卒業後単身インドネシアに渡り、3年間インドネシアの大学で日本語を教えた後、日系企業現地採用として就職し、7年間働く。結婚を期に帰国し、東京の大学院に進学するが、出産と夫の海外赴任が重なったため、大学院を中退し0歳の娘を連れて家族でタイに移住。現在に至る。

 

■移動の経験―国内・国外
「よそ者」の我が家
8歳で移住した村は、過疎化が進む地域でかなり閉鎖的な村社会だった。そのため、都会から移住した我が家は「よそ者」として扱われ、冷たい仕打ちを受けた。
学校は1クラスの人数が10人程度の学校で、保育園から中学校卒業まで同じメンバーで過ごすことが多い。子ども同士では、方言の違いでからかわれる時期はあったが、すぐに仲良くなり問題なく過ごす。しかし、親世代が参加する行事などでは、親世代から「よそ者の子」という目で見られ、輪に入れてもらえないことなどがあり、心にもやもやしたものを抱える。また、中学1年の時、クラスが断裂する問題が起こった際、「都会から来たあなたのせいで元々仲良かったここの子たちが仲が悪くなった。あなたが1人になればいい。」というようなことを教師に言われ、教師と学校と地域に対する不信感を抱く。

何もかもが大変だったインドネシアの最初の2年
大学卒業と同時にインドネシアの大学で常勤講師として日本語を教える。他大学の大学生と同じコス(日本で言うと寮)に住み、生活をスタートさせる。インドネシア語が全く話せない状態だったので、ご飯を買う、シャワーを浴びる、洗濯物をするなど、生活全般に支障が出た。インドネシア語を学びたいものの、お金も時間もなかったため、なかなか学べず、最初の2年は四苦八苦して過ごす。また教科書以外の日本語に触れる機会がなく、日本語の文字と音声に餓える。教師としても大学を卒業したてのひよっこだったため、失敗が多く落ち込むが、周りに相談できる人もなく、また、インターネットや携帯電話も普及しておらず、日本との連絡も難しく、1人で抱え込む。この状況は2年ほど続くが、徐々にインドネシア語ができるようになり、またインドネシアの文化もわかるようになり、インドネシアの生活に馴染んでいった。

■ことばと私
どうでもいい話ができない
インドネシア生活が2年経過するころには、生活に困らない程度にはインドネシア語で会話ができるようになる。それまで挨拶程度しかできなかった屋台や市場の人たちとも少しだが話をすることができ、楽しさを覚える。ただ、どうでもいい、ただのおしゃべりができる人がおらず、ストレスを感じる。

会社でのインドネシア語
インドネシアの大学で3年間働いた後、教育関係以外の仕事をしてみたいと思い、日系企業に生産管理部のチーフとして就職する。インドネシア人の上司とインドネシア人の同僚との会話は全てインドネシア語だったが、それまで身近な人との会話が中心だったため、会社で使うインドネシア語として不適切だと指摘を受ける。そのような中、生産管理部にいた同僚の1人が会社に適したインドネシア語を教えてくれた。この同僚はインドネシアでできた初めての友人で、インドネシア語だけでなく風習から若者文化に至るまでいろいろなことを教えてもらった。彼女のおかげでインドネシア語力も飛躍的に伸び、インドネシア人と言っても驚かれないほどになる。

■新たな移動、そして今の私
インドネシア人の恋人との別れ
日系企業で働き始めたのと同時期にできたインドネシア人の恋人とは6年付き合い、お互いの家族にも紹介するほどだったが、恋人の家族との宗教に対する考え方の不一致から別れる。恋人の家族とは何度も会い、インドネシア語でたくさん話をしたが、どうしても乗り越えられない壁のようなものを感じる。

10年ぶりの帰国と学生生活
10年ぶりに帰国した日本での生活は、それまでに生活をしたことのない東京ということもあったが、インドネシアとの違いが多く、慣れるまで時間がかかる。また、大学院に進学し大学院での高度な日本語になかなかついていけず、自分の日本語力の低下を実感する。

再び海外生活
日本で結婚し夫の付帯で移住したタイは、人々や町の雰囲気がインドネシアと似ており、タイ語はわからないものの違和感なく日々を過ごす。インドネシアで、インドネシア語がわからないときも生活できたという経験があるため、タイ語が全くわからない頃から娘を連れて出歩くことができた。生活環境ではタイ語や英語が片言でもできれば問題なく過ごせるため、娘が幼稚園に入るまでは問題なく過ごすことができた。また、家族とともに移り住み、日常的に日本語で話せる為、インドネシア移住当初に感じた寂しさなどは感じない。

ワークショプを終えて(終了後の感想文から)
言語マップを描くのは、今回で3度目だったが、1度目は「言語」の大変さにしか気付けなかったものが、2度、3度と描くうちに「文化」の違いによる大変さにも気付くことができた。そちらのほうが大変さの度合いが濃いようにも感じる。また、国を移動するだけではなく、日本国内の移動でも「方言」や「文化」の違いに戸惑っていたことにも気付いた。

Aさんは、帰国した日本の学校で自分にとって当たり前のことが否定され、異質な子と見られないよう英語を封印してきました。それは10歳までの自分を否定されてしまうことでもあり、日本で居場所をみつけられない大きなストレスだったことでしょう。また、英語は周囲の期待と自分の能力に差を感じ、今でも苦手意識があるそうです。でも、こういう自分の思いを話したことはありませんでした。ワークショップは自分を語り、語りあうことで「それぞれの人に様々な思考や心理があり、自分はひとりではないんだ」と思える体験でした。
Mさんは何度か言語マップを描いていますが、今回子どもの時の田舎への移動が自分にとって大きな異文化体験であったことに気付きます。「1度目は『言語』の大変さにしか気付けなかったものが、2度、3度と描くうちに『文化』の違いによる大変さにも気付くことができた。」と言います。国境を越えた移動だけが複言語・複文化体験ではないことがわかります。

「これまでの自分」を描く言語マップ 「今の自分」を描く言語ポートレート
これまで子どもたちと4人の大人の語りを報告してきました。言語マップは言語体験を軸に自分を振り返り整理し、そして、語り合うツールになっています。また、Aさんは言語ポートレートが今の自分を理解するのに役立ったと言います。第3回報告に登場したDさんもそうです。言語ポートレートは言語と自分の関係を描くワークですが、言語だけでなく文化的な要素も描きこまれます。
Dさんはワークショップ終了後、様々に揺れ悩む娘さんに「混ざっていていい」「これでいい」と言えるとすっきりした顔で帰りました。
この二つのワークは複言語・複文化状況の自分を自覚し、複言語・複文化という新たな価値観で自分を捉えなおすためのものです。
今回のワークショップの参加者は程度の差はあれ、全ての人が複言語・複文化でした。でも、それを単言語・単文化的な価値で評価すれば「混ざっている」「どっちつかず」となってしまいます。そうではありません。どのような部分的能力であれ資源です。また単言語・単文化状況とは違い、参加者の数だけ多様な複言語・複文化状況がありました。複言語・複文化を生きている自分、自分たちの多様さ、大変さを自覚し共有することで、単言語・単文化的価値観を乗り越えるそれぞれの力が生まれるように思います。

タイにおける母語・継承語としての日本語教育研究会(JMHERAT)

2017年9月ワークショップのご報告 第3回

みつめよう子どもの姿、考えよう子どもの現実

 タイで育つ子どもたちを新たな豊かさへ繋げる 複言語・複文化の視点 第4弾

 わたしを描く
 ―言語マップで何が見えるか―


言語マップで生まれた語り1

第2回報告では子どもたちの語りを報告しました。第3回の報告では大人たちの語りを言語マップを中心に報告します。
9月のワークショップに参加した大人たちは、保護者、インター校教師、大学の日本語教師など、様々な経験を持った大人たちです。ベトナムからの参加者もいました。
今回紹介するのは、保護者でもあり、教育関係者でもあるDさんとTさんです。
ワークは言語マップを描いたのち、大変だった時にシールを貼り、大変だった時のことを軸に自分の経験を語り共有しました。(ワークショップの流れ


《言語マップ:大変さを中心に語られたライフストーリー1》

Dさん(40代)
夫:タイ人(中華系)
子ども:娘2人(高校3年生/大学生:日本に留学中)
 

タイ語と私
25歳の時に、結婚を期にタイに移住。それまでは殆どピンク(日本語)のみ。
タイ人の夫とはタイに移住後もずっと日本語を使っていて、銀行の手続きなどタイ社会との接触も全て夫がしてくれているため、タイ語やタイ文化とぶつかることはなかった。今も家の中は日本語。
結婚後3年くらいで子どもを出産、家庭内では日本語のみ。ただ、子どもを産むタイミングで夫の家族がよく出入りするようになり、そこでの会話がタイ語と潮州語が入り混ざっていたため会話に加われず葛藤を抱える。子どもの幼稚園とのやり取りはタイ語で、そこでもタイ語の壁にぶつかる。夫からもそのころタイ語をがんばれよと言われるようになった。でも好きでタイに来た人のような意気込みはなくて、いつも逃げていた。しかし、ムーバン※ のタイ人のママ友が声をかけてくれて自然にママ友のコミュニティーに参加するようになった。ママ友たちが幼稚園の手紙を読んだり、手助けをしてくれたおかげで、子育てのタイ語に困ることはなくなり、今はタイ語に対して居心地がいいという感覚を持っている。
※塀に囲まれ安全を確保された、郊外の集合住宅街のこと。

仕事、そして仕事で使うことば
子どもが生まれる前の3年間タイの学校で働き、タイ語と英語という2つのことばの壁にぶつかった。ことばだけでなく、学校文化の違いという新しい価値観にも馴染めなかった。現在はインター校で勤務している。英語はさんざん習って一所懸命やってきたけど、苦しい。それに比べてタイ語は読み書きできないんだけど安心感のあることば。今回のワークでそのことに気がついた。

ワークショップを終えて(終了後の感想文から)
日本語以外の言語に対して自信がなかったが、現在の状況の意味が分かってきた。→トランスランゲージング、それぞれの言語が独立していると思っていたので、渾然一体という新しい知識が、素直に現状(自分・子どもたち)を受入れることが出来る。


ご自身を語ってもらった言語マップでも、ご自身のことより娘さんたちの言語環境やアイデンティティーなどについて多く気にされていました。
タイで生まれ育ち、自分たちをタイ人と思っているが、日本人でもあるという葛藤を抱いている娘さんたちに「それでいい」と伝えられると、パッとした表情でワークショップを後にしたのが印象に残っています。
(同じ活動グループの運営委員より)

《言語マップ:大変さを中心に語られたライフストーリー2》

Tさん(40代)
妻:タイ人
子ども:息子2人(高校3年生/大学生:アメリカに留学中)
使用言語:妻とタイ語、子どもとは日本語、子ども同士は英語
 

言語経験の大変さ−方言、タイ語、英語
4歳で福井に引っ越した。福井は方言がきつくて、周囲のことばが理解できなかった時のことが強く記憶に残っている。大学を卒業してすぐタイにある日系幼稚園に就職。タイ語の勉強はしてこなかった。
勉強してから来たら、もっとスムーズに働けたのではと思うが、日系幼稚園だったこともあるし、周囲の人が助けてくれたから、何とか乗り越えた。結婚後、タイの親戚と集まると、ことばが分からない時があるので、取り残されてる感じがあった。それは今でもある。
職場ではタイ語と英語を使う。タイに来た当初、英語も通じず、タイ語もわからず大変だったが、それ(言語体験)も目的だったので楽しくもあった。自分の言語能力はビジネスレベルではないので契約や行事運営で勘違いが非常に多い。でも習慣の違いも関係していると思う。ことばだけじゃないだろう。大変だったこととして思い出されるのは、子どもがインター校に行ったことでインターの先生とのコミュニケーションが大変だったこと。学校の先生との面談のときに先生に気軽に聞けないということもあった。

子どもの学校選択の理由
子どもは2人とも、職場の日本人幼稚園卒園。日本人小学校に進ませる予定だったが、インター校にした。妻は日本語が分からない。インター校のほうが子どもの教育に関われると考えた。自分が働いているインターならタイ人スタッフもいるし、スタッフとも知り合い。日本人学校タイ語の対応があまりないのではと心配した。お弁当を作るのも大変。日本語で学べる高校がタイにないことも理由の1つ(今は1校できましたが)だった。

言語に関してー今は
今、家族の中でのことばの問題はない。妻とはタイ語、子どもとは日本語、子ども同士が英語、これまでは日本語とタイ語が混ざっていた。家族みんなではミックス、これが現実ということで(トランスランゲージングの話を聞いて)前回の学生たちのことば(第1回ダブルの大学生会「日本人なのに」「日本人だから」 - タイにおける母語・継承語としての日本語教育研究会)にも通じるものがあるような気がする。

ワークショップを終えて(本人からの聞き取り)
自分の人生を振り返る機会になった。タイバンコクに住み移り25年、日本語、タイ語、英語、複言語の環境にいることを実感。複数の言語と文化の豊富な環境で、幼稚園という職場で子ども達が色々な国の人々と交流を持てる機会を作っていきたいと改めて思った。そのため、英語、タイ語をビジネルレベルまで勉強しようと思う(やりたいこと、伝えたいことをことばで伝えたい)。ワークショップを経て、語学学習のやる気が出た。仕事自体がいい方向に向かっているので、言語の勉強をもっとしたいと思って、コミュニケーションがもっととれるようになりたい。子どもが独立したために、離れた分、もっとことばでの交流が必要になってきたから。バンコクという国際的な土地柄をもっと生かしていきたい。

Dさんは英語の方が明らかに言語能力は高いのに、タイ語のほうが安心感のある言語なのだといいます。言語ポートレートは自分と言語(と文化)との関係を表しますが、Dさんの言語ポートレートにはタイ語は自分を支えることばとして足に描かれているのが特徴です。私たちは、言語能力が高くなればそれだけ子どもを支える力になるはずだと考えがちですが、言語がその人にとってどのような価値があるかは、誰とどこで、どのように育まれたことばなのかが重要なのだと気づかされます。子どもにとって自分らしくいられ安心できることば世界があることの重要さを感じます。
Tさんは外国語体験の前に日本国内の福井の方言の体験を書いています。これも言語体験です。大人になってから自分の意志で来たタイでの外国語体験は楽しめる面もあったことに比べると、予測せずに起こった方言体験はもっと「大変な」経験だったようです。2回目報告で紹介した子どもの中にもタイ語と日本語のほかにイサーン語※ についても語った子どもがいました。イサーン語とタイ語は決して一括りにできないそれぞれの言語世界でした。
Tさんはタイ滞在25年で、家でも職場でもいま特に言語も問題を抱えているわけではありません。しかし、言語マップを描いたことで自分を振り返ったら、できないまま慣れてしまっていた自分に気づき、改めて英語もタイ語ももっと伸ばしたい、もっと深く関われることばにしたいと考えました。
※タイ東北部のイサーン地方で話される言語。

どの人も自分の言語体験は自分で十分わかっているつもりですが、言語マップを作成し自分のこれまでの体験を可視化すると、意識していたつもりと違うことに気づきます。そして、さらに言語ポートレートを描くことで、今の自分とことばとの関わりを見つめ直し、新たな自己発見がありました。これまでの自分の体験を整理し、可視化する「言語マップ」。今ここにいる自分と言語(と文化)の関係を描く「言語ポートレート」。この2つのワークで大人たちにもたくさんの発見がありました。
次回は自身が日本国外で育ったAさん。タイ以外の外国での生活経験しタイで子育てをしているMさん。このお2人の報告をします。2人にはワークショップ終了後、自分でライフストーリーを書いていただきました。

JMHERAT運営委員

2017年9月ワークショップのご報告 第2回

みつめよう子どもの姿、考えよう子どもの現実

 タイで育つ子どもたちを新たな豊かさへ繋げる 複言語・複文化の視点 第4弾

 わたしを描く
 ―言語マップで何が見えるか―


《子どもたちの報告》
複言語・複文化を生きる子どもたちの語り

「絵の具を混ぜたように混ざっている・・・」
これは9月3日のワークショップで、自分の頭の中の言語を説明した子どものことばです。
第2回報告では、子どもたちの描いた言語マップと言語ポートレートを紹介します。そして子どもたちの語りを動画でそのまま紹介します。子どもたちはどんな経験をし、何を感じているのでしょうか。


言語マップと言語ポートレートの紹介

言語マップは自分の言語経験を描くものです。自分の言語使用経験を可視化し、複言語・複文化を生きる互いの経験を共有することを目的にJMHERATで開発しました。縦が言語使用場面、横が経験の時間軸です。言語は色別にタイ語(青)日本語(ピンク)英語(黄緑)その他の言語(黄色)です。
また、今の自分を描くために「言語ポートレート」(Busch 2012、姫田2013、尾関2015)(注) を使用しました。自分と言語の関係、文化的影響も含めた自分を描くものです。言語ポートレートも同じく言語を色別に描きました。


子どもの描いた言語マップ −移動による大変さ−

・言語マップ活動の流れ
  1 自分マップ作成+「大変だったこと」シール貼り
  2 ひとりひとりマップ・「大変だったこと」の解説
  3 「大変だったこと」をポストイットに書き出す
  4 壁に貼り出して全体共有

・子どもの言語マップとプロフィール
子どもたちの描いた言語マップと子どもたちの簡単なプロフィールを紹介します。

ARISA(17歳・女性)
インターナショナル校12年生。父:日本、母:タイ、兄弟はいない。タイで生まれてタイで育つ。日本での生活経験はない。半年ほど現地の幼稚園、その後日系幼稚園に通い、日本人学校入学。高校はインターナショナルスクールに進んだ。日本人学校に入った時、インターナショナルスクールに進んだ時、一気に言語が変化し大変だった。

YUUKO(14歳・女性)
日本人中学校3年生。父:日本、母:タイ、妹が1人いる。タイで生まれ、現地の幼稚園に通っていた。父親とはタイ語で話していた。4歳から日系幼稚園に通うことになったが、日本語は父親の話す「行こっか」しかわからなくて大変だった。小学校は日本人学校に入学しそのまま中学部に進んだ。

MIKU(19歳・女性)
タイの国立大学日本語学科2年生。父:日本、母:タイ、兄弟はいない。日本で生まれて5歳まで日本で暮らしていたが、6歳の時に父親と別離。母親とタイに移動した。小学校、中学校、高校とタイの現地校で過ごしている。「ハーフだが日本語が上手ではないので、お父さんと話さないのかと言われてしまう。」英語が得意。

TAKANORI(20歳・男性)
タイの国立大学日本語学科2年生。父:日本、母:タイ、兄弟はいない。タイで生まれて、3歳までタイで過ごす。その後、4歳から5歳は日本、6歳から7歳はタイ、8歳から12歳は日本と、移動を繰り返してきたが13歳からタイで暮らしている。日本人の父親とは別離。環境が変わった時は大変だった。「今はいちから日本語を学習中。」

JUN(23歳・女性)
日本の大学4年生。父:日本、母:タイ、弟:1人。日本で生まれてから短期でタイ・日本と移動を繰り返し、9歳から17歳までタイ。17歳から現在まで日本。タイに来たときは9歳だったが1年生に編入。親は日本にいたため現地校の寮で暮らした。17歳で日本に戻ったが、日本語をすっかり忘れていたため大変だった。必死で日本語の学習と受験勉強を頑張り、普通入試で日本の大学に入学を果たした。就職も決まり卒論に取り組んでいる。

MALIKA(17歳)
インターナショナル校12年生。父:日本、母:タイ、姉:1人。タイ生まれ。幼稚園は祖母の元で家族と離れ1人日本の幼稚園に通う。小学校入学と同時にタイへ戻ったがタイ語がわからずタイ人の母親と話せず大変だった。小学校、中学校は日本人学校に通い、高校はインターナショナル高校に進んだ。英語の補助授業なしで通常クラスに編入できた。大変な時いつもが姉が助けてくれた。

子どもの描いた言語マップの特徴として、大人の描いた言語マップと比べて移動により一斉に言語環境が変わり、そこで一気に「大変だったこと」の印が現れていることが挙げられます。
では、子どもたちはどのようなことが大変だったのか、ポストイットに書かれた大変だったことを一部ですが紹介します。


・子どもたちの「大変だったこと」(一部)

言葉の問題

  • 授業の時、「なんでタイ語も日本語もわからないの?」とみんなに言われた。
  • 幼稚園でいきなり日本語。泣きました。
  • タイ語が全くできないのに、タイ語だけの環境だった。

言葉とアイデンティティ(様々な決めつけ)

  • 「何で日本人なのに日本語ができないの?」とみんなに言われた。
  • “タイのハーフ”のはずなのにタイ語が出てこなくなってきた。
  • (日本で)タイ語を話すことが恥ずかしかった。
  • 嫌いな言葉は「タイ語と日本語どっちが好き?」

周りの人たちとの関係

  • 日本語ができなくて友だちがつくれない。(日本人学校で)
  • 家族とのコミュニケーションができないことが悲しかった。
  • 日本人の友だちと遊びに行くと、タイ語と日本語ごちゃまぜ。ボーッとしていると、みんなが何を言ってるのかわからない。


子どもの描いた言語ポートレート −複言語からトランスランゲージングへ−

・言語ポートレート活動の流れ
  1 言語ポートレート作成
  2 自分の言語ポートレート紹介
  3 壁に貼り出して全体共有、話を聞きたい言語ポートレート選択
  4 全体発表

・子どもの描いた言語ポートレートとキーワード
「今の自分」を語るために各人が言語ポートレートを作成しました。ここでは、子どもたちの描いた言語ポートレートと発表の様子を紹介します。

TAKANORI(20歳・男性)
日本語が上手になりたい僕
耳も、日本語が下手なので、よくなりたいから、漫画とか、いろいろな歌とか、毎日勉強しています。
日本語にもタイ語にも英語にも感じるプレッシャー
肩は日本語が下手なのでプレッシャーがある。タイ語も一緒です。英語も。
タイ人とも日本人とも感じる僕
心は私はタイを感じる時もあります。日本を感じる時もあります。でも、ハーフになって誇りに思います。


ARISA(17歳・女性)
ぐちゃぐちゃな喉
言いたいことをその言語で言えないっていう気持ちです。日本語でこの言葉を言いたいのに見つからなくて、みたいな感じです。
英語、タイ語、日本語、それぞれの言語にプレッシャー肩のところは、3つの線になっている。これは英語、タイ語、日本語とそれぞれの言葉を話した時に感じるプレッシャーです。
タイも日本も同じ割合で大切なハーフの私
心は、わたしはハーフなので、どちらも同じ割合で大切に思っています。


JUN(23歳・女性)
場所によって変わる言語
日本にいる時は頭の中は日本語になるのでタイ語があまり出てこないし、タイでは脳みそがタイ語になるので日本語が出てこない。
インプットされた時の言語でアウトプット
頭は基本的に日本語だけど、かけ算とか数字とか小学校レベルの知識はタイ語で考えています。
ハーフだというプレッシャー周りの人からハーフだと必然的にいろんな文化に対応できるよね、っていうプレッシャーがあります。
ことばに感じるもどかしさ
左手のほうは読み書きにしたんですけれども、タイ語も日本語もどっちも100%ではなくて、どちらも70%から80%ぐらいなので、結構もどかしい。


YUUKO(14歳・女性)
絵の具を混ぜたように混ざっていることば
頭の中では、国別に分かれてなくて絵の具を混ぜたようになっていて、でも、話すときは(国別に)日本語も出てくればタイ語も出てくるし、英語もちょっと出てきたりします。
いろんな視点で見る目
目はいろんな視点から見て、例えば、漢字をタイ人から見たらどう思うか、日本人から見たらどう思うか、外人だったら、って感じで目を使っています。
イヤリングのように付け外しする英語
耳は、タイ語、日本語いつでも聞き分けられますけど、英語はイヤリングのように使う時だけ取り出して使っています。
生まれた時からグローバルな私
学校でグローバル化について考えるというのがありますが、わたしはハーフ。生まれたときからそういうの始まっているよって思う時があるんですけど。


子どもたちの言語マップ・大変さの書き出し・言語ポートレート



子どもたちの感想:二つのワークをやって

ARISA
昔、苦しかったことやハーフで良かった出来事を思い出した。それをマップに全て表せなかったのは残念に思う。自分と同じハーフの子のマップを見ると、似たような色合いになっていて大変だったことや苦労したことが似ていて親近感がわいた。そして自分の小さかった頃の気持ちを自分と同じ子たちと話し合えて情報を共有できて良かった。時間があったらもっと細かいマップを作ろうと思った。(中略)自分だけが不安、苦労しているのではなく、同じことを経験、感じているんだと知り安心した。苦しんだり泣いていたころの自分に「大丈夫だ!!自分だけじゃない!」と伝えたい。

YUUKO
今日は自分のことを知ることができました。普段あまり自分のことを書くということがありません。描いてみてちょっと悩みました。でも、班でこの人わかるみたいなことができました。いろんな人の考えを知れて、楽しかったです。学べたり、わかりあえたりしました。子どもたちでやりたいです。

JUN
”ハーフ”ではなく”ダブル”であることに実感させられました。昔はハーフであることがとても嫌でしたが、近頃はどちらの文化もわかるということが、就職活動や日常生活などでも他の人よりプラスになっていることに気付き、このワークをやることによって、より自分は恵まれているなと感じました。もちろんハーフだから全てがプラスになるわけではありませんが、ハーフとしての葛藤を乗り越えた時にくるプラスに気付けるワークで、もっと自分に自信が持てるようになりました。
自分のアイデンティティをわかっているつもりでしたが、このワークショップに参加したことで、より自分自身の中で消化しきれていなかった部分を明確にすることができました。また国際児として恥ずかしいと思う時がありますが、トランスランゲージングの考え方を知ったことによってより自分自身に自信が持てそうです。

TAKANORI
他の人のことを見て、みんなそれぞれ困難があって乗り越えてきていた。傷ついた経験も良い経験としての価値があり、私もこれからも前を向いて歩いていける。「明けない夜はない」。今日、良かったです。子供(で集まるのを)たのしみしています。

MIKU
I think I set to know many people and we the best. I've never join the event like this before and it's interesting. I want to practice more so I can know. I proud to be half. Today, everything goes well. I think it's interesting and I think I want to join again.

MALIKA
自分の頭の中を整理することができて楽しかった。ふだん考えたことがなかったから自分の新しい一面に気付くことができてよかった。多言語で生きている中で、つらいこともたくさんあったけど、それが今の自分をつくりあげてくれたから、つらい経験も悪くはなかったなと思った。

子どもたちは今まで自分のことを語ってこなかったと言います。そんな子どもたちが、言語マップや言語ポートレートで自分を描き、自分を語りました。そして、この子どもたちの語りから大人たちは多くのことを学びました。次回、第3回報告では、この複言語・複文化ワークショップで大人たちが何に気づき、何を語ったか報告します。また、この子どもたちの「また集まりたい」という声に応え、12月に子どもたちの会も開催します。

JMHERAT運営委員


(注)
尾関史(2015)「 自己形成・キャリア形成を支える言語教育実践を目指して―海外中等教育日本語教師研修での試み―」 2015年度日本語教育学会中国地区研究集会予稿集
姫田麻利子(2013)「大学生の言語ポートレート」『語学教育研究論叢』第30号,213-232.
Busch, B.(2012) The Linguistic Repertoire Revisited. Applied Linguistics, 33/5, 503-523. Oxford University Press.